背景には富士山もあり、日本語の学習の雰囲気はあるが、
初めて見る日本人にいささか緊張気味だ
会社の中に日本語教育センターがあり、現在130人あまりの研修生が日本語を勉強している。
研修生の募集から送り出し、日本との折衝などの事務的な手続きは他の部署でやり、センターは日本語を教えることをもっぱらの仕事としている。
クラスの数は変わるが、現在4クラスあり、私は全てのクラスに関わる。
ただ、4クラスがそれぞれ進度も違うし、人数も多いので、均等に割り振ってもらったらどこも中後半端になり、効果のほどが分からない。どのクラスかを重点的に教えるように配分して頂きたい、とお願いしていたら、一番進度の遅い(遅く研修を始めた)クラスで、比較的早く出発するクラスに1日に2単位時間ずつ割り振って頂いた。これだったら十分だ。せっかく日本語教師として来たからにはこのクラスで即戦力になる日本語会話の力を育て成果を出したい。
次にすでに目標の25課まで、済んでいて出発待ちをしているクラスを週3単位時間受け持ち、残りの2クラスは各1時間ずつ配分してもらった。
週1時間ではクラスは日本人教師が入る効果が薄いと思われるだろうが、いままでは、全然入っていなかったことだし、早く出発したクラスがいなくなれば時間配分も増えてくる。
毎日放映されている旧日本軍のテレビ番組。左はいかめしいひげの軍人さん。
帽子をかぶっているので髪の毛があるかどうかは分からないが、
笑っていても「こわいおじさん」だ。
中日親善の文字も見えるが………
「ただのおじさん」だということがわかると、一挙に緊張がほぐれる。
中国のテレビでは50ぐらいあるどこかのチャンネルで、いつも旧日本軍の悪態ぶりを放送している。
彼らは軍服を着て軍刀を持って、いつも大声で、怒鳴り散らしている。鼻ひげをたて、いかめしい面をして中国人を追い散らす。
研修生達はこんな場面をしょっちゅう目にしてきたはずである。日本へのあこがれの一方、そのイメージが心の底にちらついているはずだ。
「初めて見る日本人の先生がテレビに出てくるような人だったらどうしよう。」
研修生たちは緊張の面持ちで待つ。
ところが、軍服は着ていない、軍刀も持っていない、鼻ひげもなければ、髪の毛もあんまりない。そんな「ただのおじさん」だと分かると緊張は一気にほぐれる。
最初は席の配置を変えるのも一苦労。でも、後になると、一声で動くようになる。
会話例を覚えて、実際に対話練習をする。
残念なことに私は中国語がしゃべれない「ただのおじさん」だ。だから、日本語でしか指導できない。研修生は初めは日本語ができない。
だったら、どうやって日本語を教えるのだ、と思われるだろう。
でも、心配は要らない。不思議と心配は要らない。
「ゆっくり、はっきり話すこと」を徹底して続けると、研修生はだんだん分かるようになってくる。
ひらがなカタカナの指導が終わって2週間目頃、教えた文型と単語を使って、
「私は皆さんの日本語の先生です。」
「皆さんは私の中国語の先生です。」
「先生、どうぞよろしくお願いします。」
と言う。
そうすると、教科書の例文や簡単な日本語はみんなで優しく中国語に訳してくれるようになる。中には中国語と日本語が対応できないで、読まされるままに日本語をだらだらと読んでいる者もいるから、これも大事な作業である。
訳してもらっても意味は分からないが、みんな声を合わせて同じように言うから、間違ってはいないのだと確認できる。
これで、研修生達とのコミュニケーションが深まる。
初めのうちは無理だが、そのうちに私自身も、それまでに教えた教科書の文型と単語を使って自然に日本語を話していることに気づく。
そして、1ヶ月半ぐらいたつと文型の数も増え、単語の数も増え、ぐんと話が通じるようになる。
目指すは日本語会話実践力の向上だ。中国語ができる日本人が中国語で教えても、中国人教師にかなわないのは目に見えている。
だから、自分たちが得意な日本語で勝負するのがいい。
これこそが日本人の特典であり、中国語ができない「ただのおじさん」が日本語教師としてやっていけるゆえんでもある。
書くことで文例を覚えることも大切だ。しかし、………
「ちょっと待ってください。」を 発せざるを得ない状況を作る。
授業が進んでくるとさらに緊張がほぐれる。それは、会話例を中心に実際の場面に即して会話の実演をするからだ。
写真は教科書の会話例を練習しているところである。
外から帰ってきた寮生が受付で鍵をもらい手紙を受け取る。そして部屋へ行こうとすると受付の人が「ちょっと待ってください。」「このボールペンもあなたのですか。」と、呼び止める場面である。
習いたての研修生には、呼び止めるタイミングが難しい。日本人ならタイミングを外さずにごく自然に「ちょっと待ってください。」といえるのだが、研修生にとってはちょっととまどうと、相手は遠ざかってしまうし、あわてて早く言い過ぎると、けんか腰になるし、非常に微妙である。
「ちょっと待ってください。」を発せざるを得なくて発する言葉にすることが大切である。そのために何度も実際にやってみて、体得させる。
教科書を読ませたり書かせたりするだけでなく、実際に近い場面を作って何度もやってみる。
これが、実践的会話力の育成に役に立つと思う。
理屈をこねるよりも実際にやってみると気分もほぐれ、楽しく勉強ができる。
ここでは短期間で一定レベルの日本語力をつけることが求められるので、このようにして意欲をなくさないことが大切だ。
日本人教師の役割は実践的会話力の育成だ。
役割演技を中心に授業を進めていく。
研修生たちはこのセンターで、3〜5ヶ月間日本語を勉強した後、日本へ3年間の研修に行く。 その内容は酪農、園芸、機械技術………など、多彩だ。
本センターでは日本人教師は昨年、私を紹介してくれた神戸さん以来7ヶ月ぶり、2人目である。現在は研修生が多いときにのみ、日本人教師を雇っているようだ。将来は常駐させたい意向のようである。
私は本来中国人教師と日本人教師の役割は違うと思う。文法事項や練習、生活指導などは主として中国人の役割だ。日本人は実践的会話力を高めることが大きな任務だ。
私はここで成果をあげて、日本人による日本語教師の必要性をアピールしたい。日本語会話能力が高まることは本人たちにとってはもちろんのこと、受け入れ会社にとっても送り出し会社にとっても都合のいいことである。現在、たくさんの中国人研修生が 日本に来ている。その研修生たちが日本語が上達することはすなわち、研修生の質が高まることであり、ひいては、日中友好の大きな役割を果たすことになる。
研修生は南昌市街区から来る者もいるが、大部分は郊外から通ってくる。バスで1時間以上かけて来る者が結構いる。
さらに遠い者は市街区に3〜4人で部屋を借り、共同生活をしている。
今まで私が経験した日本語センターは全寮制で、日本語の集中訓練をしたが、 ここは南国(といっても寒いが………)のせいか、比較的ゆったりしているようだ。
大きな決断をして、今、一つの山を越えた。
日本語の研修を終え、出発を待つ研修生。その顔は希望に満ちあふれている。
彼ら(90パーセントが女子)のほとんどは農村部の出身である。年齢は職種にもよるが、20歳ぐらい。中国の農村部は結婚が早いので、もし、ここで決断しなければ、この2〜3年のうちに農家の者どうし結婚し、子供を産み、そこで一生を送る。
最近の中国は開放経済の進展に伴い、ますます、都市と農村部の貧富の差が広がり、苦しい生活が強いられている。農家は一人っ子政策から除外(緩和)され、2〜3人の子どもがいるが、農家を継ごうとする者は少ない。
そんな中で、彼らは研修に行って稼ぐお金に揺り動かされ、大きな決断をして日本へ行くことにしたのだ。
研修に行きたい希望者は多いので、試験により選抜され、選ばれた者だけが、 ここに来ている。
職種によっては大学出もいるが、ほとんどが、中学、高校卒業で、若干の職業経験がある。
彼らの素直な気持ちは「お金がほしい」である。
研修生達を日本に研修に行く決断へ導いたのはなんと言ってもお金の魅力である。
中国は、市場経済の時代に入り急激に変化している。 また、中国は日本以上の学歴社会である。
第一に安定した生活を送るには高学歴であることがもっともいい。しかし、彼ら農村部の若者達にとって、大学は夢のまた夢である。
農村部においては特別に優秀な者か、特別の資産家しか大学に行くことはできない。しかし、日本に研修に行くことによって一時的にではあるがそこでいくら働いても稼ぎきれないお金を手にし、貧乏から脱出したいという夢が実現するのである。
ある研修生に日本で、いくら稼ぐつもりか聞いたら、300万円と言った。
また、特殊な例だが、韓国に同じような研修生として1年間行ったことのある研修生に聞いたら、100万円稼いだ、と言った。(日本へは1度しか行けない。)
市内には新しいマンションが次々と建てられていく。
市内の景勝地、象湖のほとりのマンションは特に人気の物件だ。
建築中の農家の家。このあたりでは煉瓦造りの二階建てが多い。
韓国に1年間の研修に行って100万円を稼いだという研修生にお金をどう使ったかを聞いたら、親に家を建ててやった、そして電化製品を買ってまだ少し余っていると言った。
中国の田舎では、60万円あれば農家の家が建つと聞いたが、それを裏付ける言葉だ。
そうすれば、300万円稼いで帰る研修生達は5軒ぐらいの家を建てることができる勘定だ。
日本では一生働いてやっと家一軒分の退職金をもらうかどうかの話だが、ここでは20歳の若者が 3年間我慢すると家の5軒も建つお金を手にすることができるのである。
これが彼らを日本へ研修に行く決断をさせるもとになるものである。
ただ、これは農村部の話。都市部ではマンションの1軒分が3000万円とか4000万円とかする。
中国では通勤可能な一つの経済圏にありながら、都市部と農村部では別世界と言える奇妙な実態があるのだ。
レストランにはたくさんのウェイター、ウェイトレスが働いている。
この街ではウェイトレスの給料は600元が相場だ。(一番上)
しかも、身長は165センチ以上ときた。
もう少しお金の問題を見てみよう。
食堂の前に張り出してあった求人案内には月給600元と書いてあった。他の店でも同じだ。日本円に直せば9000円だ。日本では、毎日働くならどう見てもこの10倍はもらうだろう。
タクシーの料金は南昌では初乗り6元だ。日本円に直せば、90円だ。単純に日本円の初乗りと比べると7〜8分の1程度だ。
バスは市内はどこまで乗っても1元(15円)だ。先日20キロはあろうところへ タクシーで行ったら44元(660円)だった。日本だったら5000円ぐらいだと思う。帰りはバスで帰ったので1元(15円)だった。これは400円ではきかない。だいたい、交通費は日本の10分の1程度だと考えてさしつかえない。
このように基本的に生活に必要な経費、食事や交通等の物価は10分の1ぐらいと考えられる。
それにしても9000円の給料では苦しいようだ。
田舎の若者は街の生活にあこがれるが、学歴も資格もない彼らは街に出てもこの程度の職にしか就けない。
こんな中、「お金を儲けたい、日本へ行きたい」の思いがつのるのだ。
「あなたは北京へ行ったことがありますか。」 「いいえ。」
「あなたは上海へ行ったことがありますか。」 「いいえ。」
上海さえも行ったことがないのにどうして日本へ………???
あるクラスで「○○したことがあります。」の文型を勉強したとき、「北京へ行ったことがありますか。」と、聞いてみた。当然のこと一人もいなかった。次に「上海へ行ったことがありますか。」と、聞いてみた。そしたら、意外なことに一人もいなかった。
上海は南昌から最も近い大都会だ。一人ぐらいいてもよさそうだと思ったけど………。
と、言うことは「海を見たことがありますか。」「飛行機に乗ったことがありますか。」 ………等、すべて、「いいえ」である。
地図で見ると南昌から上海まで、近いように見えるが、つい最近、新幹線ができるまで、高速鉄道でも11時間以上かかっていたのだ。現在でも多くの人はそれを利用している。
田舎で暮らし、仕事に追われていた彼らにとって上海へ遊びに行く時間もないし、お金もなかったであろう。考えてみると、当然のことだ。
お金が儲かるというのが、研修に行く大きな動機というのは分かるが、それにしても、上海までも行ったことがない人が、はるばる日本まで、出かけていく決断ができるのはどうしてだろう。不安はないのだろうか。
しかし、それには決断を促す明確な理由があるのだ。
日本語の研修はすべて終わった。研修生たちの心は躍る。
渡航用のスーツケースをもらった。出発日にこれに25キロ以内の荷物を入れてくる。
上海にすら行ったことのない若者が日本へ行く決断をすることができる のはなぜか。
研修に行く人たちは地域的に偏りがある。ある村では若者が、ごっそりと研修に行くことを希望する。
しかし、研修に行くことができるのは職種が決まっており、一定の職業経験が必要である。しかも、選抜試験があるのでだれでも行けるわけではない。
そのような村では研修から帰ってきた人の話題が広がっている。
20歳そこそこの若者が、家を何軒も建てるようなお金を持って帰ったという。それはまさにチャイニーズドリームである。そんな話を耳にしたり、実際に家を建てるのを目にしたりして、自分も行きたいという気持ちが高まる。
しかも、そういう人たちは口々に「日本は楽しかった。」「日本人は優しい。」 「できれば、もう一度行きたい。」と言うのだ。
これが、上海にすら行ったことのない若者をはるばる海を越えて日本まで行く気にさせるもとであり、親も安心して送り出すことができる理由なのだ。
しかし、研修に行くためには一定の資金と保証金が必要だ。親はそのお金を何とか工面し研修に送り出す。研修には親の大きな期待もかかっているのだ。
日本で会った研修生の姉妹。お姉さんの方が1期先輩だ。
記事とは関係ないけど、高橋尚子選手にも会った。
研修生の中には「去年、お姉さんが日本に研修に行った。」とか、「いとこが行った。」、「友だちが行った。」など、知り合いが日本に研修に行ったと言う者が多い。
ある日本語センターでは日本へ研修に行ったあと、日本語の資格を取り、指導員となった人の弟が研修生としてセンターに来て、研修を終え、日本へ出て行った。
また、日本での研修経験のある先生(老師)の親戚の人が日本へ研修に行き、同じセンターで日本語の指導員として働いている例もある。
これらの例は始めに日本へ研修に行った人が、その結果がよかったので、兄弟や親戚の人に勧めたのに違いない。
そればかりか、経営陣の一人が自分の娘を研修生としてセンターで研修させた例すらある。これは会社が研修を自信を持って行っていると言う証でもある。
しかし、新聞での報道のように、現実には、日本でいろいろなトラブルがあるようだから100%うまくいっている訳ではない。
しかし、研修制度の上で、できないことになっているが、私が知っている研修帰りの人はみんな「日本での研修は楽しかった。」「もう一度行きたい。」と言っている。
以前挙げた韓国へ研修に行って、今回日本へ研修に行くという例は国が違うからできるのであって、きわめて特殊な例である。
努力すれば2級がとれる
中国での研修が終わる頃、ほとんどの研修生は片言の日本語を話せるようになる。これは教える方も信じられないくらいだ。そして、そういう研修生は日本に行っても日本語の勉強を続けたいという。
日本に行って、3年間のうちに日本語検定を受け、2級をとって帰る者もいる。2級をとった者はほとんど不自由なく話すことができる。そして、2級に合格した者に報奨金を出すところもある。
2級をとった者は日系の会社に就職するのに非常に有利である。そのほか、日本語の指導員になったりホテル就職やガイドの道も開かれる。
「帰ったら日本語を使う仕事をしたい。」 本来の職業研修よりも、そんな夢を持って、日本へ渡っていく者は多い。
それが実現すれば、田舎で一生暮らすことに比べれば比較にならないほど、
金銭的にも文化的にも豊かな生活を送れるのだ。
南昌の中日友好会館は安心して泊まれる比較的安いホテルだ。
日本語が通じ、留学生候補に対する日本語教育が行われている。
中日友好会館での日本人の日本語教師による日本語の授業。
彼らはトレンディな留学生候補だ。彼らの将来に期待したい。
中国では子どもを留学させるとか、させているとかいう人の話をよく聞く。
私の日本語教育センターの夏先生の娘さんは成績がよくて、市内の名門高校に進学しているが、今年秋には留学させる準備をしておられる。
お母さんが日本語の先生で、日本に長期出張もされたこともあるので、行き先は日本かな、と思って聞いていたら、ニュージーランドだそうだ。得意な英語を活かすことと、日本は学費が高いからだそうだ。
そのほか、私が知るところでは、アメリカ、イギリス、シンガポールなど数多い。
日本の高松市と南昌市が協同で作った中日友好会館(ホテル・南昌市 ※南昌市と高松市は友好都市?姉妹都市?)では日本へ留学する人たちのための日本語教育を実施している。そのために高松市は市民からボランティアを募り、毎年4人(3ヶ月単位を4人)の日本語教師を送り出し、実績をあげている。
今、中国では大学を卒業した人で、きちんとした会社に勤めている人は海外留学をさせることができるぐらいのゆとりができつつある。
海外留学は現代中国のトレンディな社会現象となってきた。
もちろん、行き先の一番人気は日本である。
聊城日本語センターの併設校
研修制度はいわゆる技術面の研修ではほとんど形骸化している。しかし、まじめにやっている会社もあるようだ。
旋盤の技術をもって日本の同じ会社に行く研修生2人がセンターに入ってきた。あるとき、二人と、友だちについて話をした。
センターに来る前に旋盤の技術試験と面接試験を受けた。二人が、初めて出会ったのはそのときだった。
年上のA君は旋盤技術が抜群だった。B君も合格はしたが、経験豊富なA君には完全に負けていた。
ただ、センターに入ってからはB君は日本語会話能力がぐんぐん伸びて、常に上位にいた。でも、A君はなかなか伸びなかった。しかし、A君は努力家だ。暇さえあれば、自分で勉強をしていた。その結果、研修が終わる頃には中ぐらいの成績にのびてきた。
A君は中国に帰ってからも旋盤の仕事をしたいという。そのために日本の高性能な旋盤を操作する技術を身につけたいという。しかし、日本語が分からなければ、正確な技術を身につけることができない。だから、一生懸命日本語を勉強しているのだという。
B君もA君に旋盤の技術を習い、優れた旋盤技術者として中国でがんばりたいという。
正月前にA君から早めの年賀郵便が来た。ずいぶん上手になった日本語の文の中に「日本語の勉強ををがんばっています。」と書いてあった。
彼らのことだからきっと日本語も旋盤技術の習得も切磋琢磨しながらがんばっているだろう。
3月11日、ハクモクレンの花がきれいだった。日本では桜が迎えてくれるはず。
「お金をもらって行く留学」に出発前、人民公園で記念撮影。
私は研修生が出発するまでに「研修はお金をもらって行く留学だ」 という話をすることにしている。
実質、本来の研修は形骸化され、研修生から言えば金儲け、受け入れ側からいえば安い労働力となっているが、見方を変えれば、研修生にとっては本来の研修以上の立派な研修であり、留学だと言える。
先に、努力をすれば、日本語検定2級をとることができると述べたが、中国の大学の日本語科を卒業したものでも1級取得はなかなか難しい。だいたい2級止まりだ。
それを日本に行ってちょっとの努力するだけで2級免許を取って帰ることができるのである。まさしく日本への語学留学ではないか。
それに中国の大学では得られない日本の風習や、生活を自ら体験し、身につけてくる。
国際的な視野も広がり、労働に耐える力も育つ。
お金も将来の展望もない田舎娘が、帰るころには国際的な感覚を持ったレディになって帰ってくるのである。
しかも、農家の家が数軒も建つぐらいのお金をもらってである。普通、奨学金は帰さなければならない。しかし、このお金は帰す必要はない。
苦しい貧乏暮らしに耐えながら、田舎のおばさんに終わるはずの人生が、この「お金をもらって行く留学」に参加することにより前途洋々の人生に一転するのだ。


.jpg)

.jpg)
.jpg)
.jpg)

.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
b.jpg)

.jpg)
.jpg)



.jpg)
.jpg)



.jpg)
.jpg)
.jpg)


.jpg)
.jpg)