中国語は日本語より同じ内容を短く いえる。
アルファベット文字は中国語のいわばローマ字、ピンイン。
「北国の春」はいわば日中交流のテーマソングだ。日本の田舎の情景を見事に歌い上げる。
歌詞は「白樺 青空 南風」ではじまる。これをそのまま中国語に直すと「白樺 碧空 何来風」となる。
ところが実際は中国語歌詞は「亭亭白樺 悠悠碧空 微微南来風」と、歌っている。どういうことだろう。
しらかば あおぞら みなみかぜ」で始まる第一フレーズの歌詞の 音節の数を見ると日本語では4ー4−5である。
ところが中国語は「ティンティンバイフォー ヨウヨウビーコン ウェイウェイナンライフェン」であり、音節数がすごく多いように思える。
しかし、中国語にはイン、アイ、オウ オンなど、二重母音があるので、この中国語歌詞の音節数は日本語歌詞と同じく「4−4−5」である。
すなわち、音節の数を合わせるために亭亭(まっすぐに上に伸びる)、悠悠(ゆったりとした)、微微(穏やかな)という言葉を付け加えたのである。それによってこのメロディに中国語がピッタリとはまるのである。
そんな話をして、中国語で、日本語の直訳通り「バイフォー ビーコン ナンライフェン」と、で歌って見せたら、大笑いだった。なんとも、間のぬけた歌になるのである。
一般的に同じ内容を言うのに中国語は日本語の半分から3分の2の時間で いえるように思える。
ちなみに、「白樺 青空 南風」の部分を中国語に訳した意味を込めて 訳してみると、こんな風になる。
「まっすぐ伸びた白樺 ゆったりとした青空 穏やかな南風………」
それで、この歌詞で研修生の前で歌って見せたら先ほどよりもっと大笑いで盛大な拍手までくれた。
ちょっと、あなたもワンフレーズだけ声を出して歌ってみてください。ほら、後ろで奥さんがわらっているでしょ?正月早々どうしたのって。
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。まもなく、江西省南昌にいきます。まもくこのシリーズを終えて、そちらから新しいシリーズでお送りすることになります。
竹田の子守唄のレコードジャケット
昔、「赤い鳥」が歌っていた竹田の子守唄は結構ヒットしていたと思う。メロディーが素朴で哀愁を帯びており、歌いやすい曲である。テレビでよく歌っていたが、さっぱり聞かなくなっていた。
機会があれば、日本的なこの曲を研修生に教えようと思っていたがちょっと引っかかることがあった。
それは、歌詞に出てくる「かたびら」とか「在所」が今ではあんまり使わない言葉なので、中国人に教えるのにどうかなと思っていたからである。
それはともあれ、竹田の子守唄の正確な歌詞を調べようと、googleで調べてみるとなんと、歌われなくなったわけがわかったのだ。
この曲は京都府の竹田という地域で生まれた子守唄で、「在所」という言葉は
この地域では被差別部落のことを示すのだそうだ。そこで、NHKをはじめ各局でこの曲の放映を自粛し、「赤い鳥」も歌わなくなったのだそうだ。
詳しくはここ(封印された竹田の子守唄)http://www7a.biglobe.ne.jp/~panikku/page072.html を参照してほしい。
元歌も聴けるはずだ。
ところが、この曲が思わぬところで復活することになるのだ。
白い服を着た天使たちが整然と動き、歌い、フィナーレを告げる。
中国の正月は旧正月である。(2007年の旧正月は2月18日、2008年は2月8日) 中国人はこの日を日本の正月以上に祝い、1週間の休みに入る。
その前日は大晦日の「NHK紅白歌合戦」に当たる番組が放映される。おそらく、NHKと同じく中国国営放送である「中国中央電視台」が威信をかけて作る番組であろう。花火あり、雑伎あり、その規模は日本の「紅白」をしのぐほどだし、結構洗練されている。
それが、何回も再放送されていたのは承知していた。
ある時、聞くとはなしに聞いていたその番組の終わりに懐かしい日本の歌のメロディが聞こえてきたのである。耳をそばだてて聞いてみると間違いなく「竹田の子守歌」の児童合唱である。
画面は白い服を着た子供たちが背中に羽根をつけて整然と動き、隊形を変えながら美しく歌う。
「紅白」でいえばいわゆる「トリ」が歌い終わり、番組そのもののエンディングの場面であった。エンディングの字幕も流れる。
言葉は中国語だったので、はっきりは分からないが 間違いなくこのメロディは「竹田の子守歌」で、その雰囲気から厳かな天使の歌として仕上がっている。
いつも心に残っていた「竹田の子守歌」がこんな形で歌われていたので、うれしくなり、翌日早速研修生たちに話してみた。
ところがさらに意外なことが分かったのだ。
「竹田の子守歌」はここ(封印された竹田の子守唄)http://www7a.biglobe.ne.jp/~panikku/page072.html で聴けます。
この少女たちは「竹田の子守唄」のメロディで「祈祷」を歌っていたのだ
「知っている」も「祈祷」もカタカナで表せばチーダオ
前日テレビで聴いた「竹田の子守歌」のメロディを歌って、「この歌を知っていますか?」 と、研修生に聞いてみたらみんな、口々に「知っています。」という。また中国語で「チーダオ、チーダオ」という者もいる。「チーダオ」は「知っている」という意味というぐらいは私だって知っているので、「そうですか、だったら何という曲ですか。」と聞いたら、やっぱり「チーダオ、チーダオ」という。何度聞いても同じで、なんだか馬鹿にされたようだったので、「知っているなら黒板に書いてみなさい」といって一人にチョークを渡したら「祈祷」と書いた。
そうだ、「祈祷」を「チーダオ」と読むのだ、と思い、電子辞書で調べるとまさしく「チーダオ」と、読むのだ。
厳密には「祈祷」の「チーダオ」と「知っている」の「チーダオ」は発音は違うのだが、日本人の私には区別が付かないし、元々その違いをカタカナで表わすことはできない。
ところで、この「祈祷」の曲が元々は日本の歌であることを知っているのは半分ぐらいであとは中国の曲だと思っていたようだ。 そのくらい、この曲は中国人に親しまれているということだろう。
ところが、その「祈祷」をネットで調べると、またまた意外な事実が浮かび上がってきた。
ジュディオングのヒット曲のジャケット
「竹田の子守歌」の中国語版「祈祷」がどうして中国で歌われるようになったのか。それにはあの歌がうまくて目が大きくて美人でそしてダンスが上手な台湾人のジュディオングが関わっていたという。
ジュディオングはすばらしいメロディの「竹田の子守唄」が気に入り、お父さんの50歳の誕生日にプレゼントしたそうだ。そして、詩人であるお父さんが中国語の歌詞をつけてくれた。その際、中国では日本の歌詞と全く違う「祈りの歌」として生まれ変わったという。
それを歌って台湾でヒットした。さらに、デュエット版がヒットして、中国でも知られるようになった。現在ではほかの多くの歌手たちも歌っているという。だから、それが、日本の歌だったことを知らない人が多いという。
1番だけ日本語に訳してみるとだいたい次のようになると思う。
(おかしいときには指摘してください。すぐに書き換えます。)
讓我們敲希望的鐘啊,多少祈禱在心中;
讓大家看不到失敗,叫成功永遠在.
希望の鐘をつかせてほしい 祈りたいことがある
皆に失敗させないで 永遠の成功を与えてほしい と。
詳しくは
ここ「竹田の子守歌」海を渡る
http://www.jca.apc.org/~hirooka/archive/20050117takeda_qidao.html
をクリック
「未来へ」のジャケット
「未来へ」は1998(H.10)年の“Kiroro”のヒット曲だ。
演奏者もいいが、メロディも大変心に残る曲で、あか抜けしている。
これも研修生たちに教えたいと思っていた曲だが、言葉のリズムがちょっととりにくく日本語ができない彼らにこの曲ができるかが、ちょっと疑問であり、躊躇していた。
ところが、例のごとく、テレビをつけたままぼーっとしていると「ほーら………」と「未来へ」の曲が流れてきたのである。 「ほーら」の部分以外は中国語で、紛れもなく「未来へ」のメロディである。
翌日、研修生たちに「ほーら、足もとを見てごらん」と、日本語で歌って見せたら、声をそろえて「知っています。」という。
そして、曲名は「ほーら」だという。
それで「ほーら」というところは日本語の「ほーら」のかけ声をそのまま使っていると思い、中国語でどう書くのか、漢字を書いてもらった。そしたら「后来」だという。
それで、まさかと「后来」は「未来」という意味ではないのか」と思って、電子辞書を引いてみたら、ちょっとニュアンスは違うが、「未来」という意味なのだ。
それにしてもよくもこの歌にぴったりの言葉があったものと感心した。
この曲はやっぱり難しいかと思い教えるのはやめようと思ったが、研修生たちが教えてくださいと懇願するのである。
「未来へ」のメロディーはここ
http://momo-mid.com/mu_title/miraie.htm
で聞くことができます。
「未来へ」は「涙そうそう」(むこうの掲示物)のやり方で教えるとうまくいく。
研修生たちは「未来へ」(中国名「后来」)を教えてほしいという。
私は、無理だと思った。この曲は言葉のリズムが、ちょっと難しく、中国人に正確に教えるのは難しい。
「北国の春」や「竹田の子守歌」は言葉のリズム通りにメロディに 乗せてあり、歌いやすいが、この曲は難しい。
私はかつて、「もしもピアノが弾けたなら」を教えたことがあるが、正確に教えるのはなかなか難しかった。休符があるところを飛び出してしまう。 延ばす音符を間延びさせる。 おまけに、中国人独特のなまりのある節になる………。
そうなると、その歌の「良さ」が台無しだ。 それでも、研修生たちは気持ちよさそうに歌ってはいたが………
一度間違ったリズムを直そうとするのは至難の業だ。
「未来へ」はそんな風になるのは分かりきっているので躊躇していたのである。
ところが、方法はある。 「涙そうそう」を教えたときの方法だ。
「未来へ」のキロロの二人
「涙そうそう」で教えた方法とは簡単だ。
夏川りみが歌った元歌を休み時間に流すなどして、何回も聴かせる。そして、そのリズム感とメロディーを完全に身につけさせてから、部分的に少しずつ教える。
このとき大事なことは中後半端に覚えさせたりあんまり先走って教えないことだ。 つまり、彼らが持っているリズム感やメロディー感を元歌によって音楽の中国なまりを封殺してしまうのだ。
その際、必要なものは正確な元歌と、大音量の再生機器だ。
大音量が必要なわけは研修生たちは結構大きな声で歌うので、少々の音ではかき消されてしまう。だから、研修生たちに負けない音量のアンプが必要なのである。
前回の学校ではワイヤレスの拡声器があったので、私のパソコンに前もって入れておいたMP3の「涙そうそう」を再生し、それをワイアレスアンプを通して再生する方法でやったが、今回の「未来へ」はその方法ができない。
ワイアレスアンプがない(と、思う)し、そもそも「未来へ」の元歌がないのだ。
それで「『未来へ』の日本語の歌があれば教えられるかもしれない。」というと、「ありますよ」、といって研修生が持っていたMP3プレーヤを聴かせてくれた。それはまさしくキロロの「未来へ」だった。「未来へ」も研修生たちがもともと教えてもらいたい曲の一つだったのだ。
「それじゃ、それではアンプがあればOKだ」と、事務室に相談に行った。
キロロの「未来へ」が入ったMP3プレーヤーと外部スピーカー
MP3の「未来へ」は手に入ったし、パソコンの外部スピーカーのようなものがあれば何の問題ないと思って事務室にアンプを借りに行った。そしたら「これを使っていいですよ。」と、机上の外部スピーカーをはずしてくれた。
それで、問題はすべて解決して、「未来へ」を滞りなく教えることができた。
音楽を持ち運ぶというのはソニーのウォークマンから始まり、今や、世界共通の若者の文化となりつつある。それを先行しているのは日本の技術であり、日本の若者である。
確か、初代のウォークマンはカセットテープだったと思う。それが、CD→MD→MP3と変わり、日本ではMP3プレーヤーは若者の必須の道具となっている。
中国では街角で、携帯電話を使っている人をかなり見かけるが、今まで、イヤフォーンをつけて歩いている人はあまり見かけなかった。ところが、最近イヤフォンをつけて歩いている若者を時に見かけるようになった。
今まで、たくさんの中国の若者に日本語を教えてきたが、MP3プレーヤーを持っている者は一人もいなかったが、今回は、21人中7人も持っていた。
急速な普及の表れであろう。
ところで、私は若者ではなく「ただのおじ(い)さん」なのだがMP3プレーヤーに中国語の会話集などを入れて持ち歩いている。
ちっとも効果は表れないのだが………
ワンバの入り口
1時間15円、これなら気楽にできる。
「『未来へ』をどうして手に入れたのか」と、聞いたら「『ワンバ』です。」という。
「ワンバ」とは「網把(実際は口ヘン)」と書き、インターネットカフェのことだ。
「ワン」は「網」で「ネット」のこと。
「○○しようよ」というとき「○○バ」というので、「ネットしようよ」という意味も含まっての「ワンバ」かもしれない。 ちなみに「酒(ジュー)バ」というと一般的いう日本のスナックのようなところのようだ。
研修センターは町の中心部にある。 センターと同じ建物にも「ワンバ」が2店入っているし、道を隔てた向こうにも2軒ある。街なかには結構「ワンバ」があるようだ。
「日本の歌もいろいろありますから先生も是非」といって研修生が「ワンバ」に案内してくれた。薄暗い室内はパソコンの画面のをはっきり見るためなのだろう。
1時間1元(15円)で気楽に入ることができ、パソコンを自由に使うことができる。
もちろんインターネットには太い線で繋がっている。
研修生たちは、そこで音楽をダウンロードしてくるのだ。MP3プレイヤーさえあれば ばっちりだ。
中国語サイトだからあんまり分からないが、著作権などあんまり関係ない世界をちょっと垣間見た。
中国でもパソコンの値段は日本円換算でいえば20万円近くする。そんなものを月収1万円そこそこの若者が買えるわけがない。 そこで、若者は「ワンバ」に行く。
中国ではそういう風にしてインターネット人口が急激に増えているようだ。
中央の3人がフリートーキングの当事者。自分たちで、話題を作り、話す。
手前は先生役。いつでも話に割り込んでいい。ただし、最後に評価やコメントをしなければならない。
一番奥は次の当事者。前の会話の様子を観察できる。
フリートーキングでは笑顔が見られ、リラックスした雰囲気で会話が進む。
研修も最終段階に入った。夜の自習時間に監督にはいるのだが、私はじっとして監督するのは時間がもったいないし、私の性分には合わないので、教室から呼び出して、別室で口頭試験をやっていた。初めは私が研修生(一人)に質問する形でやっていたのだが、その後研修生が研修生に質問する形でずっと続けていた。
すごく順調で、スムーズに実践的会話能力がついてきているようなので、3人でのフリートーキングをさせることにした。
そのとき、決して二人だけの会話にならないこと、たとえば、AがBに質問してBが答えたら、Cに「あなたは?」と聞くこと、など一定のルールを決めて、やったのだが大変楽しくできた。
教えている私がびっくりするほどの成長ぶりだ。
だから、「今晩から明朝にかけて研修生は日本語以外は使わないように。君たちならできる。」と、自信を持たせて課題を出して、その日の晩自習は終わった。
同じ寮の中に住んでいるので、それとなく、会話を聞いていたら、残念ながら全然、日本語は使っていない。
ちょっと残念だが、さすがにこれは無理なのだろう。 翌日には私はそれについては何にもいわなかった。
質問に対してなかなか答えが出ない者がいる。
一般に男より、女の方が発達が早い
会話の上達の様子を見ていると人によって様々だ。
はじめから、習ったことをすぐに会話として言葉に出せる人がいるかと思えば、
しばらくは全く言葉が出ない研修生もいる。
もちろん、言葉が出るというのは習ったことを応用して自分の意思を表す言葉を出すこと、つまり習ったことを使って会話ができることである。
ところが、言葉が出るのが遅いのでこの人は無理ではないかと、思っていると急に言葉が出るようになることがある。「急に」と、いっても1週間ぐらい前から予兆はある。それがいつかは分からないが、誰にも必ずその時は来る。
一般的に女子の方が会話の習得は早い。男子の場合3ヶ月の研修期間で、5〜6人ぐらいが 大変困難だが、女子の場合は1人ぐらいだ。
いったん言葉が出るようになると、あとは、急速に会話の発達が進む。
言葉が出るのが遅いのは知能とは特別の関係はないようだ。パソコンなどが非常に得意で、社会的な生活も非常に良好な人も遅いことがある。
長い間言葉が出ない人が、予兆の期間を経て話せるようになるのを見るのは
なんといっても教師冥利に尽きるものだ。
会話の練習は飛行機の離陸の時のようなものだ
いったん飛び立った飛行機はどんなことでもできる(築城基地にて)
私は言葉の習得は飛行機が離陸するときのようなものだと思っている。
飛行機は飛び立つ前が大変だ。バルブを開き、エネルギーを最高に開けて、加速する。飛び立つに必要な速度に達すると機首を上に向ける。さらにそのままエンジンを全開にして予定の高度まで達する。
後はエネルギーもあんまり必要ないし楽々だ。墜落(挫折)することもない。
今回の研修生21人の中でも、全然話せなかった人が急に話せるようになるなどいろいろドラマがあった。
ただ残念なことに3人については離陸するには至らなかった。正確に言うと1人は飛び立つ前の十分な加速ができている状態で、もう一人は、すでに飛び立つ前の機首をあげた状態になっていた。
残念ながら。もう一人はもう少しの辛抱だとは思うが、十分な加速が得られず、飛び立てなかった。しかし、日本へ行ってからあと1ヶ月ぐらいの研修があるので、この研修生はきっとその期間に話せるようになっただろう。
炭焼きのカモ料理店もおいしそう。 ウサギ料理もこんな雰囲気かな、と、ついて行った。
実は研修期間が終わる2週間ぐらい前から、寮に帰ったあと9時から9時45分まで、特に会話の開始が遅れている研修生5人に個別指導を始めていた。結局は前述のように間に合わなかったのであるが、そのうちの2人は何とか会話を開始できるようになった。
研修が終わる3日前になって、それらの研修生たちが中心になって、「ウサギを食べに行きましょう、おいしいですよ。」という。私は研修生たちにはお金を出させないことにしているが、相手は大勢だし、純粋な気持ちだからいいか、と、OKを出した。
それには林先生も同席することになった。そして、道すがら、林先生が妙なことを行った。「ウサギを食べるのはかわいそうですね。」
私はウサギは食べたことがあったし、林先生も食べたことはあるはずなのに、おかしいなと、思いながら、「それをいうなら牛や豚はもっとかわいそうでしょう」と、言った。林先生は「そいえばそうですね。」と、答えた。
路地を抜けて、ウサギ料理屋さんのある通りに出た。
ところがそこで、私はギョッとするものを見た。
私が白いのは「いや」といったばかりに一番左の黒いウサギが選ばれた。
この日の主役であるウサギはこんな姿で食卓に登場した。
なんだこのビールは!世界一の缶ビールでは?
そこに私が見たのは店の前の小さな檻に入れられたのウサギたちであった。
店のおじさんと研修生たちがなにやら話していたが、いきなり、「先生はどれがいいですか」と聞いてきた。こんな質問はイヤだと思いながら、「あの目が赤くて真っ白なやつはイヤですね。」と言ったとたん、一番左側にいた一番黒いウサギを「これをお願いします。」と、研修生が指さした。私は「そんなこと言っていないのに……」と、思いながらも何も言えなかった。そしたら、店のおじさんは慣れた手つきで一番黒いウサギの首筋をぎゅっとつかむや、持ち上げて、何か「ガクッ」という鈍い音をさせた。(この瞬間は目を背けてしまい、見ていない。)
その後、おじさんの足下には全身をけいれんさせている黒いウサギの姿があった。
中にはいると世界一大きいと思われる缶ビールが置いてあった。それを飲みながらワイワイ言っているうちにウサギを思う初めの仏の心はいつしか忘れてしまい、 「がんばれよ」「はい、がんばります」の有意義な送別会と、なった。
研修生たちは久しぶりに家族と対面する
大学卒業の別のコースの研修生たちは研修はまだ続くので、
しばしの憩いのひとときだ。
かくして私は去っていった。今頃日本での仕事の研修に元気に励んでいるだろう
研修生たちはこのセンターに入る時から日本へ発つ準備をして来ていた。その間、一度も家に帰ることなく、一生懸命にがんばった。その結果、大いに成果が上がったと考えている。すなわち、彼らにとってはすでに場所は違うけど日本での研修がすでに始まっていたのである。
2ヶ月半という短い期間ではあったが、この体験は彼らの人生の中で最も充実した時間になったと確信する。なぜなら、私たち凡人が10年かけてもあまりものにならない語学をこの短期間のうちに何とか理解し、しゃべれるようになったからである。人間の集中力はすばらしい。私は彼らの生き様を見て改めて感動を催すのであった。
最後の日は家族を呼び寄せて、ホテルに泊まる。家族が来られない者と、大学卒業生の別のコースの研修生は寮で過ごした。
一日も休まず、勉強に明け暮れてきた研修生たちにはなんとこの日が待ち遠しかっただろう。寮に残った研修生たちは押入の中に眠っていた麻雀牌を持ち出して、喜々として遊んでいた。
彼らが日中友好の架け橋となって、大きな役割を果たしてくれることを心から祈っている。
私は、現在すでに次の赴任地江西省南昌で活動している。次回からは南昌から報告することになる。































