唯一の女性である東さんの自己紹介の中で、にこっと笑って、「私の弟は歌手です。」というところがあった。
私の周りには歌手を生業とする人はいないので、へえ、と思って、「この街で日曜日に歌っているあんな人ですか。」と、聞いたら、「そうです」という。
この町では日曜日にデーパートの前など、何カ所かで、商売のためのキャンペーンで歌手らしき人がよく歌っている。そして、歌の終わりに最後に何か紙状のものを、パッと投げている。割引券か何かだろうか。人々はそれをめがけて群がる。
中国は共産主義だから商売は少し遠慮してやっているかと思いきや、大違い。中国は日本よりはるかに商売の盛んな国だ。
私のふるさとの街は東さんの街より大きいと思う。私の街では歌手という商売は成り立たない。中国では地方の小さな街でも、歌手という商売がコマーシャル用として成り立つのかもしれない。
柳絮(りゅうじょ)
私は今まで春の中国を訪れたことはなかった。
北京についての記事を読んでいたら「寒い冬から解放されるのはいいが、北京の春は黄砂と柳絮(りゅうじょ)に悩まされるまことにやっかいな季節なのです。」と、あった。
「やっかい」なのはお断りしたいが、柳絮(りゅうじょ)なるものを一度見てみたいと思っていた。電子辞書によると「柳の芽が綿のように飛び散るもの。春の到来を象徴するものとして詩文などに詠まれる。」とある。
ここは北京から440キロ南の地域だ。寒さこそ、北京ほどではないが、まだ、黄河より北(河北)の地域であり、黄砂も結構降る。
もうそろそろかな、と思っていた矢先、ぼたん雪のような白い綿状のものがふわふわと飛んでいる。飛んでいると言うより漂っている。雪のように結局は地面に落ちるのではなく、いつまでも。空気の流れに従って漂う。
建物のと建物の間の隅に行き着くと、ぐるぐると回る。手で捕まえようと思っても屋外ではなかなか捕まえることができない。捕まえるために手を動かすと空気の流れを作り、ひょいと動いてしまうのだ。もどかしい。子供の魚採りの網でも使えば簡単だろうが、今はそれもない。
写真の柳絮(りゅうじょ)はエレベーターの中で捕まえたものだ。後で出直して何とか捕まえようと部屋に帰ろうとしたとき、そこに閉じこめられていた。空気の流れが遮断されたここでは何なく、捕まえることができた。
この町では「やっかい」と言うほどは見られない。「あっ、雪が……」と、初雪を発見したときの程度なので、漂っているところを写真に写すこともできない。
研修生たちは元気がいい。一斉に読んだり、答えたりするときも大きい声で発表し、代表で会話をするときもはっきりという。間違ってもはっきりというので指導がしやすい。
非常にまじめで、恥ずかしがることも少ない。礼儀も正しい。廊下で会ったら立ち止まってきちんと挨拶するし、物を手渡すときなどきちんと手の上に載せて両手で捧げるようにして渡す。
滄州外経では全員軍事訓練を受けさせているので、みんな礼儀正しいのだと思っていたが、ここの研修生は軍事訓練は受けていない。それなのに礼儀正しいのは儒教を重んじる国だからなのだろう。
この年代の日本人だったらこうはいかない。
餃子の弁当

中国の餃子は水餃子。しかも、これが主食。
街で食べるときはこれにおかずを注文する。
今日の弁当は餃子と豆乳だ。
餃子はいつもの弁当容器にいつものように二つ分。それぞれに20個ずつぐらい入っている。食べてみるとどちらも野菜を主体としたものだがそれぞれ中身が違うようだ。多すぎるので半分ずつ食べて、残りを一つの容器に入れて持ち帰ることにした。これを今晩半分、そして明朝半分食べることにする。
通常餃子は酢を付けて食べるが、これは酢がなくても言いように味付けしてあるようだ。(でも、やっぱり酢が欲しい。)
豆乳も量が大変多い。それでコップに一杯分だけ研修生からもらって私の分はそのままその研修生にやった。
私の役割は会話の実践力をつけることだ。そのためには一人一人の力を見極め、それに対応した会話の実践をさせることが必要となる。
ただ、普通の授業の場合、教科書の進度を気にするので、なかなかそれができない。その結果、2006年11月28日の記事(ここをクリック)にあるように、面接をすると結果は惨憺たるものになる。いつも、何とかできないかと思い、授業の工夫はしているのだが、決定的な決め手にはならない。
ついでにここもクリック
私の本来の授業は月曜から土曜日までの午前中だ。ところが、夜6時から8時半までの晩自習の時間に週のうち半分ぐらい監督をしてほしいという話があった。
私は別にかまわないが、監督をして質問を受けるばかりでは退屈だし、時間がもったいない。それで、以前から考えていた模擬面接をしようと思った。
さいわい、夜は廊下を隔てた前の教室が空いているし、そこを使って、面接しようと思い、申し出たら、「そうだったら、本来の面接室を使ってください。」ということになった。
この部屋は毎日、仕事を求めて来る人たちに実際の面接をしているところで、夜は空いている。ここだったら、模擬面接にはうってつけのところだ。
こうして、雰囲気満点の面接室で1つの課が終わるたびに模擬面接をすることになった。
研修が終わるまでに30回ぐらいできる勘定になる。これなら効果は十分期待できる。
江戸の敵は東京で
昨日の記事の写真の革ジャン君は今度は面接官だ
江戸の敵は「長崎で」じゃないか、という人がいると思う。そのとおりだ。だが、この場合はやっぱり「東京で」なのだ。
この模擬面接のミソは、今、面接を受けた人がそのあとで、すぐに面接官になることにある。面接は「習った構文と、単語を使って、できるだけ意地悪な質問をしてください。」と言っている。
面接を受ける人は何も持たないが、「面接をする人は教科書でも、ノートでも見ていいです。」とも言っている。研修生は前の人の面接の様子を見たあと、自分が面接を受ける。さらにその後、自分が面接官となって次の人を面接する。
意地悪質問をされたら、その後すぐにさらに意地悪な質問をすることができるのである。しかし、そのときはすでに「江戸が東京になっていた」というこのお話なのだ。
もちろん、研修生の質問だけでは不足するので、私がバトンタッチして質問を続ける。
意地悪質問はこんな具合だ。「家族は何人ですか。」「5人です。」「奥さんは?」「一人です。」「どうしてですか。」
交差点で道路を渡るのは大変だ。
中国の街中の主要道路はだいたい8車線ある。高速車用が上下4車線、低速車用が上下4車線だ。低速車用と高速車用は柵や安全帯で区切られている。低速車用は本来は一方通行だと思うが、上下両方向に走っている場合が多い。
赤信号でも右折(日本で言えば左折)は自由だ。
そこで、上の図で人が、上の方へ歩いて渡るとすると実に5つの方向からの車を注意しながら渡らなければならない。後方から来る場合もある。道幅は50メートルぐらいあるので、渡っているうちに、事情が変わる。そのときそのときに判断しなければならない。
日本では横断歩道に人がいると、車は必ず止まるが、中国の車はそうではない。人の間をすり抜けて通るか、方向を少し変えて空いているところを通る。人も人で、車が来るのを見たら、自然に空いている方向に少し向きを変えて歩く。その際、絶対に急に止まったり、走ったりはしない。あくまでも「自然に」である。
中国の車は(あたりまえのことだが)人をはねようという意志はない。人も同じくはねられようとしている人はいない。そのお互いの信頼関係に基づいた絶妙なタイミングで、成り立っているのが中国の交通だ。
私はいつもポパイの漫画のタイミングだと思う。たとえば、ポパイが高いビルの建設現場で、ブルートとオリーブオイルを奪い合って争っている場面がある。大変危険な場面だ。
ポパイがクレーンにつるされた鉄骨の上を歩いている。端まで歩いて次の一歩を踏み出そうとして、視聴者はハッとする。するとその瞬間、すかさず、画面の横から別の鋼材がすっと出てきて、なんなく渡っていくのだ。ポパイは立ち止まったり飛び降りたりはしない。あくまでも平常心だ。チャップリンの映画でもそんな場面がよくある。
私はそんなに車を信頼できないし、映画のようなまねもとてもできない。
運転
狭い道を抜けていく
大きな道路に出た
左折中 まだ、一番左の車線 向こうから2台の三輪オートバイが来る
中央線は右のワゴンと乗用車の間
あと2車線ある そのまま斜めに
2台の三輪バイクをやり過ごす 中央線はワゴンの手前
逆走中 中央線までまだあと2車線
バスまでやり過ごした トラックが来る
人が
現在中央線の上 向こうの乗用車も中央線上
やっと右側車線へ本線へ
上の一連の写真はある日の運転中の様子だ。断っておくが、これは中国ではいつでも見られる普通の運転の風景だ。
狭い道から大きな道に出て左折し、本来の右側車線に移るまでの流れだ。車や人や車線の位置を見てほしい。
この車はあまりスピードは出してはいない。時速30キロぐらいだろう。でも向こうから来る車は通常どおりのハイスピードだ。
日本だったらこんな場合は信号があるか、左折(日本では右折)禁止となっている。
日本人だったらまずは逆走は絶対にしないものだ。間違って逆走していることに気づいたら、急にブレーキを踏んだり、あわてて車線を変更をしたりするだろう。
だが、ここではそうではない。ゆっくりと、逆走しながらだんだんと右へ進路を取り、本来の車線へ入る。その間に対向車と何台もあるが、何事もないようにやり過ごす。
これが普通の姿であり、それでうまくいっているのは不思議なくらいだ。お互いあうんの呼吸のようなものがあって、信頼関係の中で、スムーズに事が運んでいるようだ。
その間250メートル、その日も事故なく平和な1日だった。
道路の横断
道路の横断 片方だけを注目する 中央線で立ち止まる
道路の横断はバス停を利用するのが安全
バス停のすじ向かいは、たいてい柵を開けある
交差点での道路の横断は大変怖いので、以前滄州にいるときは交差点にさしかかったときは100メートルぐらい交差点から離れたところを横断するようにしていた。そうすると横断するときあちこちを注目する必要がないからである。
中央線までは左に注目し、中央線で立ち止まった後は右に注目すればいい。特にバス停の筋迎えは柵を少し開けてあるので、大変都合がいい。
直線道路で横断歩道があるところもいいが、その場合は柵を広く開けてあるので、車がそこから入り込もうとすることがあるので、用心しなければならない。
聊城に来てからは少し運転が穏やかなので、交差点を渡っている。
事故は起こるべくして
交差点内の突起 高さは20センチ以上 乗り上げたあともある
上の写真は交差点内の突起物だ。
いくつか見かけたので水が入らないようにわざと高めてあるのだと思う。一方、手前のマンホールは下水用などで、水が入ってもいいものだろう。突起物の高さは20センチ以上はあるようだ。赤と白で縞模様をつけてあるものの、コンクリートで縁取りをしてあるといえども、これは一見して危ないと思う。
「中国の交差点にはどこでもありますよ」といわれて、「そうか…、これが普通なんだ…」と妙に大陸的に納得せざるを得ない。
中国の人の自転車のスピードは速い。それに集団でどっと動く。最近は電動自転車が増え、人力自転車(こんなのあったかな?)もそのスピードに合わせて動くので、さらに速くなったのではないかと思う。
おそらくこの突起物のためにここで何人もの人が転びそうになり、そのうちのいくらかは転倒し、そのうちのいくらかが小さな怪我がをし、そのうちのいくらかが大怪我をし、さらに……と、考える。
私は現にこれを避けるために前の人が急にハンドルを切りそれを避けるためによろけそうになった女の人を見たことがある。その人は転倒もせず、小さな怪我も、大きな怪我も……何もなかったからよかったものの……。
しかし、事故は起こるべくして起こるのだ。
今日はクリックの日
5月27日午後九時現在のランキング
150ポイント 14位
帰国前日 雨に煙る天安門
この記事は5月28日午前1時に
アップします
実は私は5月23日にすでに聊城での日本語教師の役目を終えて、日本に帰ってきている。
このブログを始めた当初の目的は 前回行った滄州外経で日本語教師を捜すのに苦労しておられたのを見て、私が体験記を書いてインターネットで募集しましょうと言って始めたのだ。しかし、現在はその役目を終えている。
現在は私が中国に滞在している間に家族や友人に「私は生きていますよ」のメッセージを送ることがこのブログの直接的な目的だ。
一人一人にメールや手紙で近況を報告をするよりはるかに効率的だし創造的だ。今回は始めるのが遅かったが毎日更新することに心がけてきた。ただ、すでにもう日本へ帰ったので、その意味での書く理由はなくなってしまった。
そこで、やめようかと思っている。ただ、他にもこのブログの意味はあるので、現在迷っているところだ。。
ランキングに出しているけど、一時は300ポイントで6位ぐらいの位置にあったけど、5月27日21時現在では150ポイント14位で、このところ、低迷を続けている。
来場者は1日50人程度はあり、まずまずのところだが、これは機械的に情報収集に回ってくるロボットのようなものがほとんどではないかと疑っている。
要するに現在、時間を掛けてブログを書く価値があるのかを迷っている。ただのおじさんは他にやりたいことがいろいろある。もちろん次に中国に行くときはまたこのブログを開く予定だ。
そこで、今日は続けてほしい人がいれば、ぜひ左のランキングボタンを押して頂きたい。ポイントが上がれば、読者の皆さんがまだ書くのを期待しておられるのだと判断し、しばらくは続けたい。なお、6月5日分まではすでに書いているので、自動的に続く。
クリックしたら上のような表が出るので順位とポイントが分かる。確認したら、ただのおじさんの日本語教師体験記と書いてあるところをクリックすると、すぐに元へ戻る。自分がクリックした結果はすぐには反映されない。翌日もう一度クリックすれば、自分のクリックの結果が反映されているはずだ。
また、一つのパソコンからは1日1回しかカウントされない。このようなわけで今日はクリックの日とした。よろしくご協力願いたい。
ここまで書いたところで、一つの歌が口から飛び出してきた。
♪♪♪調子をそろえて、クリック クリック クリック はさみの音も軽やかに……♪♪♪
そんなに何回もしなくてもいい!!
毎日1回で十分なのだ!!!
ハイヒール
バスはどこまで乗っても1元(15円)で大変便利がいいが……
ハイヒールを履いた運転手
市内バスの運転士は制服も着ていないし、安全のための指さし確認などもしない。
こんな光景を見た。
私の乗っているバスに別のバスが近づき、2台は併走状態になった。すると、向こうのバスの運転手が窓を開けてこちらの運転手に何か大声で言い始めた。私のバスの運転手はよく聞こえないので、運転席から乗降口を空けて、それに答えた。冗談でも言っているのだろうか、二人は大笑いしながら運転を続けた。後ろからのクラクションで向こうのバスがそのまま追い抜いて行ったが、併走状態は200メートルぐらい続いた。
これに類したことは日常茶飯事だ。中国のバスの運転手は安全意識が希薄だ。
バスの運転士には女性も多い。
上の写真は市内バスの運転手の足元だ。ハイヒールを履いて運転している。中国には事故につながる要素がいっぱいある。
ここで標語を思いついたので書いておく。
その甘さ それが大きな事故のタネ
故障
働き者魂が入っていると思われる車
トラクター型の車 力持ち魂が入っている
そこで止まってはいけませ〜〜ん
大きなかけ声で気が付いた。
魂が買い物に行って人力自動車と化したバス
中国にはいろいろな車が走っている。ドイツの製の最高級車を始め、トヨタやホンダ、マツダの高級車もたくさん見られる。韓国のヒュンダイだって負けていない。
ただ、どうしてこんな車が動くのだろうか、と思われるような車も動いている。私はきっと魂を入れて動かしているのだと思っている。そうでないと動くはずがない。もちろんここでは大和魂は入れられないので大陸魂か何かを入れるのだろう。でも、その魂は遊び好きらしく、あらぬところで止まっている車をよく見かける。
バスだって止まる。一番下の写真は北京の西単の交差点で撮った写真だ。西単は中国で1,2を争う繁華街。日本で言えば、六本木に当たるところ(行ったことないけどたぶん)だ。あの有名な毛沢東の肖像画が掛かっている天安門の前の道路を西に1キロ行ったところだ。
こんなところで軍が訓練をする訳はないのできっと故障したのだろう。あるいは魂が西単の商街に遊びに行ったのかもしれない。
日本ででも中国ででも車は故障するものだということをよく心にとどめておかなければならない。
その甘さ それが大きな事故のタネ
ナンバープレート
中国ではナンバープレートのついていない車が走っている。
これを聞いて驚かれる方も多いと思うが、私も、最初は目を疑ったものだ。
ある時、研修センターの前にナンバープレートのついていない車が駐車しているのを見つけたので、研修生に聞いたところ、「この車は古いからはずれたのでしょう。前にはついているでしょう。」という。前に回ってみればなるほど、ナンバープレートはちゃんとついている。「なあんだ、中国はこれでいいのだ」と、大陸的納得をせざるを得なかった。
ところが、ある時、真新しい車が、ナンバープレートをつけないで走っているのを見かけた。そして1台見つけると次から次へと見つかるようになった。そして、ついには車の前面にもナンバープレートがついていない車が街中を堂々と走っているのを見かけた。しかも、買ったばかりのピカピカの車と思われるやつが………。
「あの、研修生が言ったことはおかしい。」と思い、また、同じ研修生に聞いてみた。そしたら、「新車を買ったときはしばらくの間、ナンバープレートをつけなくてもいいのです。」という。
「中国はそうなのかあ………」またまた、大陸的納得をせざるを得なかった。
こんなところにも事故の種が
学習
車の中をまさぐる人物 どう見ても善良な市民に見えるが……
黒いガラスの内側に黄色い「学習」のカードが見えますか。
センター駐車場内で怪しい人物を発見……。さっそくカメラを構えて待機。幸い彼はカメラの存在に気づいていない。顔の表情まで、はっきりと分かる距離だ。
しかし、どう見ても彼は悪いことをするような顔はしていない。善良な中国のお兄さんだ。しかし、こういうのこそ油断をしてはならない。カメラは彼の動きを監視している。
あっ、車のドアを開けた。車内に腕をつっこんだ。カメラは彼の手先の動きをとらえている。彼の手先はしきりに何かをまさぐっている。そして、その手は後ろの棚の端にある何か黄色いものに手を掛けた。スモークガラスは濃くて、それが何かまでははっきりとはとらえられない。もどかしい。
と、次の瞬間、彼はそれをつかむやいきなり、後ろのガラスの真ん中に持ってきてベタンと貼った。
よく分からないが確か、それには黄色いものに赤い文字で「学習」と書いてある。いったいこれは何だ。彼は辺りを見回し、車を離れた。同乗してきた女性に手を振って別れを告げた。女性はにっこりと笑い、勢いよく発進して行った。
彼は怪しい人物ではなかったようだ。やっぱり言ったとおり、善良な中国の市民であり、女性はその奥さんらしい。
自分がここまで運転してきて奥さんと運転を代わる。仮免許中の奥さんは「学習」のカードを張らなければならないのだ。
「学習」のカードは150元で買うのだそうだ。150元は日本円にすれば2200円ぐらい。物価が10分の1ということを考えると結構高い。
でも、どう見てもあれでは見にくい。見えないなら意味がない。しかし、日本の初心者マークのように磁石式ではないので、車内にしか掲示できないようだ。
もちろん「学習」の「習」の文字は簡体字だかもちろん「学習」の「習」の文字は簡体字だから第3画までしか書いてない。
その甘さ それが大きな事故のタネ
広い中国 そんなに急いでどこへ行く
北京の第2環状道路は車でいっぱい
今回、日本へ帰国する時、北京に寄った。北京西駅からホテルまでタクシーに乗った。
第2環状道路は片道3車線の大きな道路だが、ぎっしり詰まっている。流れに乗って運転しなければならないことはよく分かる。しかし、この場合、車間距離が短かすぎる。
左隣の車線の前の車がウィンカーを出して、こちらの車線に割り込もうとするが、この運転手は応じない。強行に割り込んで来るがそれでも応じない。ついには危険な状態になり、こちらの運転手がもう一つ右側の車線に急ハンドルを切った。右車線には別の車が接近しておりこちらはもっと危険だ。その瞬間、前の車があきらめて元の車線に戻ったので、事なきを得た。3秒ぐらいの出来事だったが、これは重大事故になるところだった。
しかし、これらの運転ぶりを見ていると、彼らはいつもこんな運転をしているのではないかと思われる。
車はいつ故障するか分からない。人間の運転はどう間違うか分からない。事故が起きた時、おまえが悪かったでは絶対に済まない。
人命を尊重するかどうかはその国の文明のバロメータだと思う。車の運転についてそれが端的に言える。40年前の日本はもっとひどかった。15年前の韓国も今の中国と同じだった。タイのバンコクは今だってそうだ。昨年行ったスリランカでは車は少ないが、運転はメチャクチャだ。その前に行ったエジプトのカイロは最悪だった。車のサイドミラーは割り込むためにじゃまになるので、もともと取り外している。考えられないことだ。
以前、日本にあった標語「狭い日本 そんなに急いでどこへ行く」、これは万国共通の標語だ。ただ、ここでは当然「広い中国 そんなに急いでどこへ行く。」に変わる。
しかし、国が広い狭いにかかわらず、無謀運転をする人の行き先は決まっている。「地獄」だ。そこまでの距離もまた万国共通だ。3秒とかからない。
中国に文明の明かりがもっともっと輝くように祈っている。
交通事故
過積載による事故は多い
車輪がはずれたのか車軸が折れたのか
過積載による転落事故と呆然と立ちつくす人
キャベツを山のように積んでいた
人身事故でなければいいが……
これは日本でも多い雪の日スリップ事故
トラックに突き飛ばされた
どうやら運転手は無事のようだ
交通事情がこのような状態だから、事故が起こらないはずがない。
中国の1年間の交通事故による死者の数は10万人を超えていると言われる。日本は長らく1万人を超えていたが、最近では6000人〜7000人に落ち着いている。とすると、日本の15倍ぐらい????
私の勝手な推測では中国の自動車の保有台数は多くても日本とトントンぐらいだ。日本の15倍ということはあり得ない。
私は中国で、交通事故の現場を何度も見た。
それによると、中国では過積載による事故が非常に多い。日本ではあり得ないことだ。「それによると」という言い方をしたのはそれなりの根拠がある。
中国では出歩く機会が少ない私でも、延べ9ヶ月の滞在期間の中で、見た事故現場の数は大小取り混ぜて、30は下らない。そのなかで、10回ぐらいは過積載によるトラブルだったからだ。
車で100キロ移動すれば、大体3つぐらいのトラブル、1個の事故現場を見るのは普通だ。
一番上の写真は天津から滄州までの100キロぐらいを移動したときに見た光景だ。このときは5つの事故現場を見た。その中に大型トラックの前輪の脇に人が倒れており、何人かの人が集まりつつある場面もあった。
上の写真にはないが、荷台が二連になった超大型トレーラーが、積んでいた石炭をそこいらじゅうにばらまいて、道の脇の畑に仰向けにひっくり返っている有様を見たとき、私には食い過ぎたライオンが手足を広げて仰向けに寝そべっている姿に見えた。「どうして、そんなに食うのか」と言いたいくらいだ。
聊城の郊外にある火力発電所に石炭を運ぶトレーラーが大きな道路から発電所への進入路へ入ったとたん、過積載とスピードの出し過ぎのため、横転したもようだ。実際は横転ではなくて、「仰天」だったけど。
まだ明けさめぬ中、北京の空港へ行く途中、第二環状線の下の交差点で見た光景は悲惨だった。薄暗い中、中身の詰まった大きめの袋のような物体と、いくつかの肉片らしき物体を片づけもせず、また、何かで覆い隠そうともせずに、現場検証をしている警察官達の姿を見たとき、明日は我が身と、恐ろしい気持ちになった。
中国で恐ろしいものは、サーズではない。まして、日中間のトラブルのとばっちりでは決してない。まさしく交通事故なのである。
イルミネーション
延々と続くイルミネーション
これは全部LED球を使ってある
交通事情について書き始めたら止まらなくなった。ちょっとドッキリされたと思うので、話題を変えよう。
聊城に到着したのは夜だった。駅前から街の中心地の先までのイルミネーションが大変きれいだったので、写真を写しに行った。やっぱり見事だ。
我がふるさとの街にも国道沿いの街路樹に少しばかりのイルミネーションがある。300メートルぐらいだろう。そこの関係者に聞いたところ、電気代だけでも大変なんですよ、ということだった。
ここの場合、ざっと、3キロメートルぐらいある。両脇の街路樹だけでなく道路上も渡してあるので、その消費電力は大変なものだろうと思う。しかし、ここの電球はすべてLED球を使ってある。LED球の消費電力は従来の白熱球に比べて、格段に少ないので、このようにたくさんのイルミネーションでもいいのだろう。
白熱球のぬくもりのある感じの良さもあるが、LEDの透き通った美しさもまたいい。
教科書の構成
中国語版解説書の形容詞の説明
「午前の講義は何時から何時までですか。」
「8時から11時半までです。」
第4課の会話訓練の一コマ。実際の生活を元に練習する。
使っている教科書「しんにほんごのきそ」の構成を見てみよう。
1課から25課まであり、2ヶ月半で全部を学習する。一つの課は文型 例文 会話 練習A 練習B 練習Cの6つの部分からできており、一応全部を通して教えるが、私が重点的にやるところは文型 例文 会話の部分だ。
これには中国語の解説書があるので、それを元に林先生が先行して文法と単語を教える。それから自習の時間もあるので、私が教えるときは、単語と文の意味は基本的には知っている状態だ。林先生も全体を通して教えるが、重点的に教えるところは練習の部分だ。
私の持ち時間は月曜日から土曜日まで、朝8時10分から11時半まで。約3時間を大体60分単位で区切り、10分の休み時間を2回取る。2日で1課進むので、6j時間を1サイクルとしてどの課も大体同じようなパターンで学習する。
私は会話が主なので、文法的な理屈はあまり言わない。徹底的な実技練習だ。































