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tadanooji

Author:tadanooji
忠野小路(ただのおじ);


会社ごっこ、先生ごっこ、政治ごっこ……。
「ごっこ遊び」が終わったら、誰だって [ただのおじさん」。
古い上着を脱ぎ捨てて、自分で歩こう第二の人生。
大きなことはできないけれど、世界のどこかを明るくしたり、ちょっぴり人を元気にしたり………。
そんなことができたらいいなあ。

ただのおじさんが好きな言葉……「思い立つ日が吉日」 「千里の道も一歩から」 「枯れ木も山のにぎわい」
 
まずは、中国で日本語教育ボランティア体験からどうぞ。


>☆お願いです☆
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私に日本語教師の世界を紹介してくれた人。2006年6月30日の記事参照
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「うみ」(2)

「うみ」(2)

2006年10月4日分からは中国で書いています



瀬戸内海から見た四国。見えるのは讃岐富士?研修生はこのあたりの工場に来る。


 




 


 うみ」は言葉が簡単だと書いたのは実は日本人にとっての話である。中国人は「ハヒフヘホ」の発音が非常に苦手である。特に「ヒ」は「シ」と発音しがちである。だから、「海はシろいな」「シが沈む」となる。また、あまりにも発音を矯正しすぎると奥歯の横から息が抜けたような「キろいな」「キが沈む」となってしまう。

 歌はメロディがあるので一つ一つの音の高さも長さも決まっている。だから、発音の指導では口の形や息の出し方だけの指導に集中できる。それで指導がしやすいのだと思う。しかし、昨年の男子研修生の場合も同じように日本の歌で発音を指導したが、中途半端な指導に終わった。結果的に3ヶ月の指導を経た後、「広い」は「白い」であり、「日が沈む」は「死が沈む」であった。
 今年は全くの白紙の状態から教えることができたし、副社長の考えで、最初の指導を普通は中国人とコンビで教えるところを全部日本人の私にまかされたので、十分に時間を取ってきちんと指導することができた。そこで私が選んだ曲がこの「うみ」である。単純なメロディでゆったりしたテンポ。

 1ヶ月半の繰り返しの指導で、中国人が最も苦手とする「ヒ」についてはほぼ克服できたと思う。もちろん他の発音では様々な課題はあるのだけれども………。

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再び滄州へ | 06:52:50 | Trackback(0) | Comments(2)
「瀬戸の花嫁」

 「瀬戸の花嫁」

2006年10月4日分からは中国で書いています




四国研修所で日本語研修に励む先輩研修生(2月)


 




 


  「瀬戸の花嫁」は滄州外経女子研修センターの研修生たちの愛唱歌である。ここで学ぶ研修生のほとんどは四国の瀬戸内地方の工場で食品加工の実習をする。
 研修生たちは同じ村や親戚関係のこの研修に参加した経験者から情報を得て応募してきている。日本での研修が楽しかったこと、日本の受け入れ先の会社の人々が優しかったこと………。経験者からはこんな話をよく聞く。

 「瀬戸の花嫁」では瀬戸内海の小さな島から別の島に住む好きな人のところにお嫁に行く日のことを歌っている。幸せを求めて瀬戸地方に旅発つ。ちょっぴり寂しいながらも、大きな夢を持っている。 「瀬戸の花嫁は」この娘たちのために作られたのではないかと思えるくらいだ。この研修センターの「校歌」とも言える。

 童謡4曲を学び、日本語の感覚が少し育った頃、一般の日本の歌を教えるとき真っ先にこの歌を教えたのはこういうゆえんである。



再び滄州へ | 20:56:34 | Trackback(0) | Comments(1)
七五調

七五調

2006年10月4日分から中国で書いています
ただいま、こちらからのメール送信不可状態。ご迷惑おかけします。18日帰国予定。




日本の歌の歌詞はほとんどが七五調




 日本の歌の歌詞は七五調や五七調のもの、あるいはそれに準じたもの以後七五調という)が多い。俳句だって短歌だって七五調そのものだ。なぜだか知らないが、とにかく七五調に言葉を乗せると、日本語のリズムとメロディにぴったり。調子がいい。むしろそういうことを体感的に知った祖先が必然的に七五調の詩歌を作った。更にそれが洗練され、エッセンスだけを取り出して独立させたものが短歌や俳句になったものだと思う。
 今までに教えた曲は全部七五調である。意図的に選んだわけではなく代表的な日本の歌を選べばそうなるのである。
 七五調の日本の韻律には独特の読み方がある。私はこの独特な読み方で読めば日本語のリズム感とメロディ感を獲得できると思う。そこで、日本語を大体読めるようになったこの時期に、今まで教えた歌の歌詞を七五調の読み方で暗唱させ合格したら次へ進めるように個人指導することにした。その結果、中国語の独特ななまりから少しでも脱却させるようにしたい。私の帰国は迫ってきたが、それまでに教える12曲の日本の歌を歌詞カードなしで歌えるようになるならば、一石二鳥である。はたして、日本人でもはっきり覚えている曲を12曲歌いなさいと言われてすぐに歌える人は多くはないのではないかと思う。



再び滄州へ | 20:55:50 | Trackback(0) | Comments(0)
軍事訓練

軍事訓練

2006年10月4日分からは中国で書いています


 




先輩たちのふりを見て体操を学ぶ


 




ただひたすら行進の練習。その向こうは教官と唐ゴマを楽しむ研修生





 新しい研修生が入ってきた。といっても、正式には研修生になる前の軍事訓練を受ける人たちだ。しかし、同じ寮に住み同じ食堂で同じ時間帯に食べる。しかし、彼女らは日本語の研修は受けない。無事、3週間の軍事訓練を終えたとき、初めて滄州外経の研修生となる。
 軍事訓練で入ってきた当初は廊下で出会っても何の愛嬌もない。日本の若者と同じだ。挨拶もしないし、愛想もない。ところが、3週間の研修を終えて、晴れて本科研修生になるころにはまるで人が変わったようににこやかに挨拶をし、すれ違えば立ち止まって最敬礼をし、建物や教室の入り口で私たちを見かけるとサッとドアを開け、「どうぞ」と身振りをつけて、案内するようになる

 いま、軍事訓練が始まって1週間、最近「ニーハオ」と挨拶するようになった。私の担当の研修生は9月に滄州外経に来て、最もいい季節に軍事訓練を終えたが、新しい研修生は零下に冷える校庭でただひたすら、整列・行進を繰り返している。軍事訓練と言っても集団行動訓練だ。

 担当は軍服を着た軍人(現役かどうかは知らない)であるが、正式に資格を持った人が正式にやっているのには違いない。日常の生活指導(掃除や整理整頓、食堂での態度、後かたづけ………)も担当している。研修生にとっては怖い存在だ。(実は優しい人だと言うことは研修生も知っているのだが。



再び滄州へ | 17:52:33 | Trackback(0) | Comments(1)


2006年10月4日分から中国で書いています。 




箱は違うが中身は同じ  下は香港で販売しているもののようだ




 小波(おば)さんから、「勝田さんから頼まれていた薬はゲットできたか」というメールが来た。いま、メールの送信ができない状態なので、返信ができない。それで、ここで報告しておく。事前に李老師に聞いたら、「見たことがある」という。
 そこで、先日の日曜日、街に出たときに薬局に寄った。「これ、ありますか。」とドキドキしながら空き箱を見せた。奥から出してきたのは箱が違う。急に心配になったが、箱に書かれている文字をよく読んでみると、薬の名前、製造会社、効能など、同じだ。持っていった箱は香港の販売店から出しているもののようだ。こちらは本家、北京から販売されているものだった。
 具体的には何の薬かよく分からないが功能は「益気養血」、主治は「気血不足」などと書いてあるので血液を正常化する薬なのだろう。沢山の漢方成分が入っているようだ。3箱で、79元(約1200円)。日本で買えば10倍ぐらいの値段がするという。こんなことならおやすいご用だ。



再び滄州へ | 07:41:40 | Trackback(0) | Comments(1)
日本語専門学校

日本語専門学校

2006年10月4日分からは中国で書いています 




テープカット キレイどころはみんな研修生






アトラクションは滄州外経お得意の唐ゴマ


 




 



   昨年から今年にかけて滄州外経は目を見張るほどの発展を続けている。昨年末に現在の女子校舎が完成し、更に今年の春には同じ敷地内に4号棟が完成した。昨年、街の中心地の本社の脇の建物を買い取り、男子校舎を建設中だ。来年3月には完成する。
 そういえば、滄州外経の伊社長は最近滄州市の最も成功した人の一人として。テレビで放送されたばかりである。


 滄州外経の研修生は着実に増え続けているし、日本の会社や受け入れ組合との関係も極めて良好だ。受け入れ先の社長さんたちは目が行き届いており、研修生の一人一人をよく知っている。研修生たちはまた日本に行きたいという者が多い。そして、そういう人たちが日本に留学できるように、この女子校舎内に日本語の力をつける日本語専門学校を作ることになった。そして、先日、その開校式が盛大に行われた。

 主賓は四国の受け入れ組合の理事長である加ト吉食品の加藤社長、それに滄州市の書記長である。
 中国の書記長は共産党書記長のことで、市長を任命する権限を有する最も偉い人だ。また、中国の「市」は日本で言う県と同じレベルにあり市長はいわば「県知事」だ。
加藤社長はいわば日本冷凍食品界の大御所も言うべき人物、たたき上げの社長だ。

下をクリックするとテレビ画像が見られるかも‥‥‥‥
http://www.cangzhou.gov.cn/moves/cznews/2006/11/16504.shtml



再び滄州へ | 23:01:33 | Trackback(0) | Comments(0)
日本語専門学校(2)

日本語専門学校(2)

2006年10月4日分から中国で書いています









受け入れ校の学校案内



日本語専門学校の開講を伝える新聞




 日本で3年間の研修を受けたあと、もう一度日本へ行きたいという研修生が多い。私が知っている人の中にもそういう人が複数いる。それほど、日本での研修が気に入ったと言うことである。しかし、制度の主旨からそれは出来ない。そういう人たちの夢を実現させるためにこの日本語専門学校が作られた。

 
具体的にはこうだ。まず、希望する研修生を1年課程でこの専門学校で日本語を習得させる。ここで、日本語検定2級または1級の資格を取れば四国の上戸学園が入学を許可する。上戸学園は高校と短大等を併設しており研修生の中国での学歴に応じて、高校も短大も受け入れるという。更に日本での留学期間は関連の食品加工組合の工場でアルバイトができるという。更に奨学制度や学資免除制度もあるという。


 日本から帰ってきた研修生達はまとまったお金を持っている。向学心のある研修生達はそのお金でこの日本語専門学校に入り資格を得た後、自力で日本の学校に留学することが出来るのである


研修生の中には高校に進もうと思っても行けなかった人、大学など夢のまた夢という環境で育った人がほとんどだ。それが自力で日本語を勉強し、自力で留学できるという夢のような話が現実にあるのだ。また、今担当している研修生達の様子を見ていると、その勤勉さ、忍耐力から見てこのような道を進むことを勧めたいような研修生も数多くいる
 滄州市で初めての日本語学校となるこの学校はユニークな学校だ。


この学校ではそのうち、一般の中国人の入学も認めるという。

下記は新聞記事
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/education/article.aspx?id=20061201000131


 


 

 



再び滄州へ | 22:26:52 | Trackback(0) | Comments(0)
日本語専門学校(3)

日本語専門学校(3)

2006年10月4日分から中国で書いています


 




中国内に20000人の従業員を有する加ト吉の加藤社長の挨拶



  日本語専門学校開校式での来賓の挨拶の中に、「この専門学校を経て、無事日本留学を終えた研修生は中国内の日系企業や合弁企業で期待される」という話があった。

 ここ滄州では滄州外経関係者以外では日本人に会ったことはない。日本食の店もない
し、日本食の食材店もない。昨年、正月は滄州外経の日本人教師では私一人が正月を滄州で過ごしたが滄州市500万人の中で日本人は私一人ではないかと思ったものだ。しかし、こんなところでも、日本との合弁会社は33もあるそうだ。

先週の日曜日
(123)に行われた外国人に対する日本語検定試験の受験者は世界で50万人以上、そのうち中国21万人を占めるという。中国では空前の日本語ブームだ。滄州外経でも何人かの先生が北京に受験に行った。中国の日本関連企業では日本語が出来る中国人を大変優遇している。



 ところで、来賓の挨拶の中の「この専門学校を経て、無事日本留学を終えた研修生は中国内の日系企業や合弁企業で期待される」という言葉の意味は大きい。

 例えば、今回の主賓である加藤社長の加ト吉食品では中国内に20000人の従業員を要する工場を持っているそうだ。例えばここで、日本で研修と留学を終え日本語検定で保証されている実力のある勤勉で、日本語が堪能な滄州外経出身者を優遇しないわけはない。



再び滄州へ | 22:45:11 | Trackback(0) | Comments(1)
涙そうそう

「涙そうそう」

2006年10月4日分からは中国で書いています




 


「涙そうそう」を歌う研修生たち







日本人は沖縄の歌に淡い郷愁を憶える。以前、「花」がヒットしたが、歌謡曲の雰囲気を取り入れた沖縄の旋律が心地よい。それに比べると「涙そうそう」は伝統的な日本の歌謡曲に沖縄の雰囲気をとり込んだ曲だ。


私はこの歌はいい歌だと思いながらも、テレビから流れる曲をちょっと聴いた程度で、落ち着いてと聞いたことがなかった。でも、いつか自分でもじっくり聴きたい、出来れば研修生にも教えたいと、思っていた。
 この滄州外経に来て間もなく、一緒だった丹後さんが研修生に「涙そうそう」を教えるという話を聞いた。そこで、わたしはその曲を頂いていた。
 丹後さんは私よりうんと若いがこの道10年以上のベテランだ。直接授業を見せてもらったことはないが、滄州外経のビデオの中で授業風景が出ていた。ほんの5秒ぐらいのカットであったが、その表情、身振り、手振りの全てから優しい雰囲気が伝わる。これだけでいい先生だと直感した。きっと、この雰囲気の中で、たくさんの中国人たちにたくさんのことを教えてきたのだろう。現在は河南省の大学で教鞭をとっているはずだ。


 「涙そうそう」を始めた。李栄指導員は日本にいた頃、よく聴いたという。聴いただけで涙がにじむと言っている。研修生も1回聴いただけで気に入ったようだ。沖縄の音楽は中国の影響を強く受けているので、彼女らにとっても淡い郷愁があるのだろう。





再び滄州へ | 17:33:40 | Trackback(0) | Comments(0)
一休さん

「一休さん」

2006年10月4日分から中国で書いています 
 



おなじみの一休さん、中国の若者の心にしっかり根付いている




晩の自習の時間に教室に顔を出すと、研修生の一人から質問があった。


「イーシュー」のなんの、と言っている。書かせてみると「一休~」と書いた。ピンと来るものがあった。李栄指導員に入ってもらって聞くと、やはり、「一休さん」の歌を知りたいと言っているのだ。李栄指導員によると日本で先輩の研修生たちが歌っていたそうだ。でも、自分は良く知らないという。


実は5ヶ月目になる上田さんのクラスでも一休さんの歌を知りたいと言ったので上田さんが調べて、歌詞を教えたということである。私も教えてもらおうとしたが、「待てよ」と思いインターネットで、「一休さん 好き好き好き好き」で検索したら下記のサイト


http://ihung.net/2006/10/05/cong-ming-de-yi-xiu/


が、出てきて、原曲を聴くことが出来た。クリックしてみてください。懐かしい歌が聞こえると思います。



再び滄州へ | 09:39:14 | Trackback(0) | Comments(0)
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