これは何ですか(2)
10月4日からは中国で書いています。

形は違うが中国式の飯盒です。日本式より合理的だと思う。

これは何ですか?
「これは何ですか」を教えたら、研修生からいろいろな物の名前を尋ねられるようになった。しかし、答えにくいものもある。日本には無い物だ。研修生が使っている食器がそうだ。これは鍋としても椀としても使う。軍隊でも使うので、用途としては正しく飯盒だ。ただ、日本のものとは形が違うのですんなり飯盒とは言いがたい。
先日は昼食に出た主食について聞かれた。昔、十銭焼きとか地域によってはふな焼きとかいうのがあったが、それとも明らかに違う。小麦粉を水に溶いて、薄く伸して油で焼き、折り重ねたものだ。そんなことを李老師(先生)にしたら、「先生が名前を付けてくださいよ。」と、言われた。そこで考えた。
イメージからいえば「雑巾焼き」がぴったりだ。だけど、「それはあんまりですよ」と言われそうだ。
お願いです
読み終わったら、下をクリックしてください。
「見たぞ!がんばれ!」の清き1票です。
これはなんですか(3)
10月4日からは中国で書いています。

「これは何ですか」を教えて以来、私も積極的に身近なものを指さして「これは何ですか。」を言うことにしている。食卓でお皿を指さして「これは何ですか」というと、なんとパンツという。それで、ポケットから電子辞書を取り出して日中辞書でパンツを出して、研修生の目の前に差し出すと、大笑い。おかげで、静かであるべき食事の場にざわめきを作ってしまった。
お願いです
読み終わったら、下をクリックしてください。
「見たぞ!がんばれ!」の清き1票です。
ジャンケンポン
10月4日からは中国で書いています。

ジャンケンの練習

赤いスカーフを獲得したジャンケングランドチャンピオン
ジャンケンポンを教えた。
中国語のジャンケンポンは「シートー ジャンズ ブー」だそうだ。意味は日本と同じく「石 ハサミ 布」で、手の形もジャンケンポンと同じだ。ただ単に教えてもおもしろくない。そこで、何回かジャンケン勝ち抜き大会をした後、「今までのは練習でした、今からジャンケン大会の本番をします。全員にもれなく賞品があります。チャンピオンにはこれをあげます。」と先日デパートでコートを買ったときにもらった赤いスカーフを見せた。すると、研修生たちの目の色が変わった。指導員の先生も「私も参加させてください」と言った。俄然、教室は熱気に包まれた。そして、学級チャンピオンが決まった。
ところで、最初に負けた人には中国人がよく食べるひまわりの種を一粒、次に負けた人にはピーナッツ一粒、3番目に次に負けた人にはキャンデー一つ………と次々と全員に豪華賞品(?)をやった。これもまた大爆笑だ。そしてその後、二つのクラスの全員参加の勝ち抜き戦でグランドチャンピオンを決定した。
お願いです
読み終わったら、下をクリックしてください。
「見たぞ!がんばれ!」の清き1票です。
ジャンボカルタ大会
10月4日からは中国で書いています。
なかなか見つからない単語カード
李老師から相談があった。「午後4時から5時までの時間帯で楽しく勉強しながら過ごせないか、場所はどこでもよい。」ということだ。私はかねてから語学学習にカードを利用することに注目しているが、だったらジャンボカルタの手法がいいと思った。ジャンボカルタはカルタ発祥の地とされる我が町大牟田でカルタを拡大してカードを作り、広場などで何かのイベントのときにやっている。
今回は日本語と中国語の大型の単語カードを作り、両学級の指導員の先生に中国語単語カードを読み上げてもらい、それに該当する日本語のカードを取ってきてリレーする単純な遊びをした。はじめは枚数が多いのでなかなか見つからない。それで、やきもきしてかえっておもしろいのだ。
珍しいのか、学校中の職員が仕事を放り出して集まってきた。
お願いです
読み終わったら、下をクリックしてください。
「見たぞ!がんばれ!」の清き1票です。
「フレー フレー ○○○!」
10月4日からは中国で書いています。

フレー フレー 3組

盛り上がった応援団練習
ジャンボカルタ大会にあたって、日本式の応援の仕方を教えた。
「フレー! フレー! ○○○!」と「3 3 7拍子」だ。私がまずお手本を示し、やり始めるとすごく盛り上がった。そして、自然にリーダーが決まった。しかし、一生懸命やっているが、何となく間が抜けた応援団だ。元々、身に付いている別のリズムがあるので一回の練習ぐらいで直るものはない。でも、本番では「フレー フレー」 「ガンバレー ガンバレー」と大声で応援し、大変盛り上がり、楽しいお勉強となった。
指導員の李栄さんは今年8月に日本での研修を終え、帰ってきたばかりだ。同じ会社に50人ぐらいの後輩が残っている。今日、その一人から電話がかかってきたそうだ。そして、11月3日は会社の恒例のソフトボール大会で、今の時間がちょうど試合中だという。研修生も応援に参加するが、「一応教えたけど、電話では大声では話せないし、今にでも飛んでいって日本式応援の仕方を教えてやりたい。」と話していた。
お願いです
読み終わったら、下をクリックしてください。
「見たぞ!がんばれ!」の清き1票です。
体操
10月4日からは中国で書いています。

整然と並んで朝の体操

体操は3種類。そのうちの2つはリズミックなダンスだ
朝6時起床、夜10時就寝まで研修生の生活は極めて規則的だ。その間、8時から朝自習が始まり、20時30分の晩自習が終わるまで決められた学習時間は8時間半である。 1日の日程は全てタイマーによる音楽テープで制御されている。同じ校舎内の日本人寮に住む私も自然に規則的になる。午前中に2回ある体操に後ろの方で参加すればもっといいのだけれど、今から寒くなるので「おそらく続かないだろう。」 と、参加しないことにしている。
お願いです
読み終わったら、下をクリックしてください。
「見たぞ!がんばれ!」の清き1票です。
食事会
10月4日からは中国で書いています。

日本からお客さんがあると私たちも歓迎の宴にかり出される。今日は四国の受け入れ組合の副理事長さんが来ていた。夜に食事会があるのかなと思っていたら、午前の授業が終わったらいきなり、今から食事会がありますと言うことだった。昨年までは食事会は外部のホテルであっていたが今年はセンター内に設置された超豪華な食事の間で行われることが多い。いろいろなお客さんがあるので、1週間に1.5回ぐらい食事会があっている勘定だ。日頃、研修生と同じ粗末な食事を食べているので、中国の豪華料理を一層おいしく食べることができる。
お願いです
読み終わったら、下をクリックしてください。
「見たぞ!がんばれ!」の清き1票です。
おおらか上田さん
10月4日からは中国で書いています。
新しい日本語教師、上田さんが来た。教師としての経験はあるが、海外での日本語教育は全く初めての新人だ。到着後、とにかく奥さんに「無事に着いた」の一言を伝えたいというので、李老師の携帯を借りて、日本にいる奥さんに用件のみの電話をしてもらうようにした。上田さんが電話中に李老師が横から「愛してます、と言ったら?」と言った。上田さんはそれに応じたのか、「愛してます」と淡々と言った。上田さんはきっと奥さんに毎日「愛してます」と言っているか、もしくはすごく機知に富む人だ。李老師もまた日本語で冗談が言える数少ない中国人である。
ところで、私も妻の小波(おば)さんを心から愛しているのに、「愛してます」と言えないかわいそうな日本人だ。
上田さんには日本で一度だけ会ったことがある。温厚でまじめな感じの人だ。しかし、こんな面もある。私が滄州に船で来るとき、実習を兼ねて、一緒に見学に来てもらおうと計画した。天津行きの船の切符を買うためにパスポートの写しを送ってもらおうとしたら期限が切れているのに初めて気がついたという。結局は再申請が間に合わずにそのときには来られなかった。「中国へ来る人はそのくらいの太っ腹のおおらかな人がよか(いい)!!!。合格!!!」と不屈の前畑さんと大笑いをした。実際、中国は小さいことを気にする神経質な人には向かない国だ。「おおらか上田さん」が来た以上、今から楽しいこと、おもしろいことがいっぱいありそうだ。
お願いです
読み終わったら、下をクリックしてください。
「見たぞ!がんばれ!」の清き1票です。
乾杯は乾杯
10月4日分からは中国で書いています。

左手前の白いグラスが白酒。グラスは極めて小さい。
日本では宴会のはじめに乾杯をする。ビールをグラスになみなみとついで「カンパーイ!」とやると実に気分爽快だ。
中国でもよく乾杯をする。会のはじめにはまず主催者が音頭をとる。宴会の途中、何回もやる。円卓越しに1対1あるいは複数同士でもよくやる。滄州あたりでは酒は白酒(ばいちゅう)が一般的だ。白酒は50度以上あるアルコール度数の高い蒸留酒だ。度数が高いので、白酒のグラスが小さい。それを顔を上向きにしてぐいと一気に飲む。そして、飲みましたとばかり、相手の方にグラスを傾けてグラスの中を見せる。時には周りから拍手が起る。すなわち、中国では乾杯は本当の意味の乾杯なのである。一般的に中国人は酒が強いと言うのが私の印象だ。
お願いです
読み終わったら、下をクリックしてください。
「見たぞ!がんばれ!」の清き1票です。
再び雑巾焼き
10月4日分からは中国で書いています。
靴箱や狭いところを拭くのは布きれの雑巾だ。

中国の掃除はほとんどモップでする。モップをきれいにしないと、ただ、汚れを散らすだけだ。
李老師も人が悪い。昨日の昼は例の「雑巾焼き」だった。研修生たちと一緒に食べている私のところにニヤニヤしながらやってきて、大きな声で「『雑巾焼き』の名前を研修生に教えたらどうですか。」と、言う。研修生には分からなかったけど、やっぱり雑巾焼きはまずい。これが、研修生に伝わり、さらに調理人に伝われば私は毒を盛られるかもしれない。
李老師は先の私のブログを見て、「それはまずい、食べる気がしない、調理員さんたちがおこる。」などとさんざんにこき下ろした張本人である。
※ 「雑巾焼き」は11月1日分、「これは何ですか(2)」を参照
お願いです
読み終わったら、下をクリックしてください。
「見たぞ!がんばれ!」の清き1票です。
唐ゴマ
10月4日以後分は中国で書いています

3時からは一斉に唐ごまの練習
女子研修センターでは3時からの1時間、全員が唐ゴマの練習をする。研修生たちと日本語の自由な会話の時間をとれるので私も参加している。研修生は3ヶ月間ここで過ごすが、実際は学級によって入所してくる日がずれている。また、日本の受け入れの調整のため、5ヶ月間ぐらい滞在する研修生もいる。当然、滞在期間に応じて技術のレベルが違う。入所後1ヶ月過ぎた私の担当のクラスは現在いる研修生の中で最も遅く来たので、1番レベルが低い。私はこのクラスより、1週間遅れて練習を始め、更に1日40分間ぐらいしかしない。また、参加できない日もあるので、私が全体の中で1番下手なのは当然だ。これは私の苦しい言い訳である。
テレビ
2006年10月4日分からは中国で書いています

滄州はいま、紅葉が真っ盛りなのだが………

日本国中の紅葉を楽しんでいます
日本人の部屋にはテレビがある。CNNや、映画専門のテレビなどたくさんのチャンネルを見ることができる。しかし、台湾のテレビ局はあるけど中国のテレビは見られない。せっかく中国にいるのだからやはり中国のテレビも見たいと言う気持ちは日本人教師は誰も持っている。特に中国語の堪能な神戸さんは一番見たいのは中国のテレビだと、不満げだ。永年の経験から知識も豊富で、何事も参考になる。時には、あり合わせの材料で、チョコチョコと料理を作ってふるまってくれる日本人教師のお母さんだ。
ここでは、NHKワールドの日本語放送を見ることができる。日本にいれば今頃は日曜日ごとに小波(おば)さんと一緒にあちこちの山に行っては紅葉を楽しんでいる頃だ。日本ではほとんどテレビを見ない私だが、こちらでは連日、紅葉前線を追っかけて、移りゆく秋を伝えているテレビを見て楽しんでいる。
こちらでは紅葉は全然期待できない。それだけにテレビがもう少し鮮明に映ってくれればいいのだけれど………。
家庭訪問
2006年10月4日分からは中国で書いています

研修生たちは滄州市の田舎から応募してくる
研修センターの大きな行事の一つは日本から研修生を受け入れている会社の経営者の来訪だ。
目的の一つは、現在日本で研修している研修生の実家への家庭訪問だ。日本での近況を伝えるとともに留守宅を激励する。研修生は滄州の田舎から来ている。保護者の職業は主に漁業と農業だ。会社ごとにそれぞれ出身地が決まっているので、日本語ができる先生とともに出身地方面に赴く。日本から帰って来た研修生の話では日本での研修は本当に楽しかったという。会社も研修生を大事にしてくれ、工場の日本人も大変親切だったという。そんな様子を社長さん自身が家に来て話して頂くと、家族はどんなに安心することだろう。
歓迎会
2006年10月4日分からは中国で書いています。

研修生たちによる華やかなショー

じっと見つめる保護者たち
経営者来訪2日目、センター内は朝から華やいでいた。9時からは、間もなく渡航する研修生たちによる華やかな歓迎会が行われる。研修生たちはこの日のために数週間前から寸暇を惜しんで練習を重ねて来た。厳しい研修生活の中で研修生一人一人が最も輝く時である。演目は自分たちで構成した、歌、音楽、京劇、民族舞踊、ゲームと多種多様である。全員で練習してきた唐ゴマの演技は選抜されたチームにより行われた。プロの雑技団並の演技はトリとして演じられ、会場を沸かせた。
懇談会
2006年10月4日分からは中国で書いています。
社長との懇談会。この場合、保護者はご主人。
3組はそれぞれ結婚していて子供もいる。

研修生の研修は続く。 ご主人との別れ。
2日目は、間もなく日本へ渡る研修生とその保護者に対して、会社とその仕事の実態などを説明する会社合同説明会があった。その後、すでに会社が決定している人は保護者とともに会社別に経営者との懇談会である。社長、研修生、保護者は特別に作られた日本食弁当を味わいながら、間もなく始まる日本での研修生活に思いをはせていた。
研修生の大多数はこの研修センターで3ヶ月の日本語研修を受けた後、日本で3年間の研修を受ける。しかし、一部はここで2ヶ月の研修を受けた後、日本で1年の研修を受ける人たちである。彼女らはすでに結婚しており、子供がいる人たちである。
中国のアパート
2006年10月4日からは中国で書いています。

金老師のアパートは都心にある6階建てだ
中国では土地は国の物だから私有は考えられない。けれども、実際は数十年単位で契約して国から権利を買い、生涯住むことができるし、権利を子供に譲ったり他人に売却したりして、個人の持ち物のように使うことができる。町中での住まいはほとんどがアパートだ。私の知る限りでは町中での1戸建ての高級住宅の話は聞いたことがない。最近のアパートは十数棟(もっと多い場合もある)が計画的に建てられ、塀で囲まれる。その入り口にはゲートがあり、部外者はチェックされる。アパートは買ったけれども月々の管理費が要るという点では日本ではマンションと言うべきものだ。
先日、日本語教師4人は金老師の家に招かれた。6階建てのアパートだ。1階の入り口は一つで、1階から6階まで階段が続き、各階に2つずつの各家の玄関がある。従って1つの入り口を12家族が使用することになる。金老師の場合は同じ入り口の3階に、ご主人のお母さん夫婦が住んでいる。金老師家族は6階に住んでいる。入り口が違えば別の棟と同じく遠くの人になるので、この場合は親子の理想的な住み方だ。
※ 老師は日本語では先生と読み替えてください。若くても老師は老師です。
広いアパート
2006年10月4日分からは中国で書いています。

広い居間

大きな金魚鉢 一人ではもてないぐらいの大きさです。
団地の構内に入ったところで元気いっぱいの金老師の娘、胖胖(パンパン)ちゃんがローラースケートで遊んでいた。本名は別にあるが生まれた頃、痩せていたので、「太れ」と言う意味の胖胖と言う呼び名を使っているという。
まずは3階のおばあちゃんの家に行った。重厚な置物と飾りの中国風の豪華な居間に寝室が二つ、2世代が十分に過ごせる広さだ。そのうちに胖胖ちゃんがローラースケートを履いたまま上がってきた。居間をグルグル回ってもちっとも狭さを感じさせない広さだ。食事の後、6階の金老師の家に上がったがここは最上階で、1〜5階の広さに加えて屋根裏部屋とバルコニーがある。日本の一般のアパートならこの屋根裏部屋だけで1軒分だろう。一般にアパートの値段は2階〜4階が高く、1階と6階が安いという。屋根裏部屋およびバルコニーは6階だけのおまけだそうだ。6階は階段しかないので大変だろうと聞いたら、まずは3階のおばあちゃんの家に帰り、食事の後6階に帰るのが日常の暮らしで問題はないという。
手作りの料理
2006年10月4日分からは中国で書いています

心のこもったおいしい料理 ご主人の手作りだ
日本人教師が金老師宅に招待された日、近所のスーパーで手みやげを買って待ち合わせた。ご主人が迎えにくるものと思っていたら金老師自身が迎えにきた。今日は「餃子と家庭料理をごちそうします」と聞いていたので、料理の準備を済ませてから迎えに来たものと思った。ところが、部屋に着くと、「料理は主人が作りました。」という。そういえば、昨年正月、李老師のお宅へ伺ったときも料理はご主人が作っておられた。昨年担当した男子の研修生の場合も料理が得意という人が多かった。小波(おば)さんの領域に踏み込まないように、料理には手出しも口出しもしない、としてきた私は中国では通用しないようだ。
餃子はおばあちゃんの担当、朝鮮族である金老師からは手作りのキムチの一品が出た。
ご主人は日本人を意識して作ったのか、あっさりした味付けはかなりの料理の達人と見た。
餃子作り
2006年10月4日分からは中国で書いています 
大らか上田さんの餃子

楽しい餃子作り
金老師訪問のメインイベントは餃子作りだ。ここはおばあちゃんの出番。鮮やかな手つきで、次々と餃子の皮を作る。我々はそれに中身を詰めるだけだ。さすが、中国経験10年の二人の作った餃子は形が整っている。私は昨年李老師の家に行ったときに経験があるものの四苦八苦、なかなかうまくいかない。特に「あん」(?)がビビリ出てくるのを形よく整えるのは難しい。おおらか上田さんは初めてだが、個性的な型にはまらない作品を次々と作る。これは「俺が食べる」と、責任感も強い人だ。こうやって、みんなでヤイヤイ言いながら作るのは楽しい。
中国の最も大きな家庭の行事は春節だ。旧暦の正月で、日本の正月よりも大きな意味を持つ。遠くから家族全員が集まり、みんなで餃子を作るのが習わしである。今日は金老師のいとこである張さん(女性)夫婦が来ていた。張さんは滄州外経の日本語指導員でつい最近結婚したばかりである。春節の餃子は食べるより作る方が楽しみだという。きっと、こんな風にして過ぎ去った年と迎える新しい年のことを親戚一同で談笑しながら楽しい時を過ごすのだろう。中国家庭の春節の雰囲気を少しばかり体験させてもらった。
心づくしの歓迎
2006年10月4日分から中国で書いています
胖胖ちゃんが作ったサラダ

胖胖ちゃんの演奏
おいしい食事も終わりに近づいた頃、胖胖(パンパン)ちゃんがデザートを作るという。台所でなにやらゴトゴトと音がしていたが間もなくバナナとリンゴにマヨネーズをかけ、小さな傘や、花の飾り付けをしたフルーツサラダを持ってきた。元気いっぱいの胖胖ちゃんだが、女の子らしい優しい心遣いが見えた。
この胖胖ちゃん、街の音楽教室で胡弓を習っている。まだ初心者だが、その腕前を披露してくれた。みんな楽しく聴いたが最も興味を示したのは同じ音楽教室で胡弓を習っている日本人教師の神戸さんだ。続いて神戸さんの登場となったが、短い滞在期間で、まだ、数回しか通っていないので、結果は「胖胖ちゃんの勝ち!」だった。どこの国でも主役は子供だ。
ネイガ禁止令
2006年10月4日分からは中国で書いています

日本語で話しているとき「ネイガ」を使うと手のひらピストルで「バン」とやられる
日本人は会話の始め、または会話の途中で「あのう」と言う言葉をよく使う。研修生は会話のはじめ、または会話の途中で「ネイガ」という単語をよく使う。日本語の「あのう」と同じ意味だ。日本語の「あのう」は遠いところを指す「あの」から来ているが、同じように中国語の「ネイガ」は日本語で言えば同じく「あの」に当たる言葉だと言う点もおもしろい。
外国語の習得は自国語の単語を一つずつ自国語に訳すのではなく、外国語の頭で考えなければならないと言われる。「ネイガ」は使い方も意味も日本語とそっくり。そこで、日本語で会話するときに「ネイガ」を使ってはいけないことにした。「ネイガ禁止令」だ。もし、「ネイガ」を使ったら「ゲンコツだ!」と拳を作って見せた。しかし、外国で体罰先生、と言われると大変なので実際は頭を軽くポンとたたいて指摘するだけだ。
本人は何気なく使っているので、ネイガを使ったことに気づかない。周りの研修生もあまりにも日常の言葉なので、同じく気づかない。必ず私から「ポン!」と指摘される。遠いところで「ネイガ」をやると指示棒を鉄砲に見立てて相手めがけて「バン!」とやる。そのたびに本人はもとより回りも大笑いだ。最近は徐々に周りの研修生が気づくようになり「ネイガ」が出たら研修生が手でピストルの形を作り、「バン!」とやっている。
一方、「あのう」はどんどん使いなさいと、言っている。「あのう奨励令」だ。
日本語に慣れていない中国人の脳は日本語を話し始めても中国語構文の分野が働いている。そこで、「あのう」を使うことにより、脳の中国語構文の分野のスイッチを切り、日本語構文の分野のスイッチを入れる。さらに、わずかだが考える時間を稼ぐ。日本語の中でも実際、「あのう」は時間稼ぎの言葉なのだ。
教室から「ポン!」と言う音と、「バン!」と言う声が消え、「ネイガ禁止令」が解除される頃にはきっとみんな日本語が流れるようにしゃべれるようになっていることだろう。
会話の試験
2006年10月4日分からは中国で書いています

会話の口頭試験のシミュレーション 結構これで対応が身に付く
6課を終えるとテストをする。テストは筆記試験と会話の口頭試験、それに作文だ。口頭試験は私と私のクラスと関係のない老師が試験官である。今まで教えた構文と単語を使って質問をする。
いくつかの例と口頭試験の実際を私が示した後、自分たちで問いを作らせ、それを元に研修生自身を試験官として交代で実習させた。それぞれの質問が適切か、それに対する答えが正しいかを自分たちで確認しながら、楽しく実習した。
ラジオ体操
2006年10月4日分から中国で書いています

ラジオ体操、ようーい!

足場組み立て研修生受け入れ組合の経営者の見学
「○○は○○時からです。」という文型を教えている。会話口頭試験の練習の中で研修生から「ラジオ体操は何時からですか。」という質問例が出た。「中国のラジオ体操とは一体なんだろう」と思ったら、ここで毎朝行っている体操は実は中国国内でラジオによって普及されたいわゆる中国版ラジオ体操だと言う。しかし、日本には別のラジオ体操があるからその質問は「体操は何時からですか?」の方がいいと指導した。
それから、日本の「ラジオ体操はどんな体操ですか?」と言うことになり、みんなでラジオ体操をした。日本の工場ではたいていは始業時にラジオ体操をする。3年間の研修を終えて帰国した李指導員がいつも教室にいるが、やはり、毎朝工場でラジオ体操をしていたので大変懐かしかったという。日本での研修の先行体験だった。
靴(1)
2006年10月4日分からは中国で書いています

前日,閑散としていた市場は実は定期市の会場だった
先日、駅の近くに行ったら靴専門の市場を見つけた。かわいい靴がたくさんあったので、1歳5ヶ月の孫の土産に買って帰ろうと思った。というのは息子がアメリカで買ってきた靴がすごくかわいかったけど、すでに、大きさがキチキチだったからだ。しかし、サイズが分からなかったので出直すことにした。メールで聞いて、この日曜日に行くことにした。
研修生たちは私に「今度の日曜日に何をしますか」と、しきりに聞く。すでに教えた文型だ。一緒に買い物に行って、日本語を試したいのだ。何人も聞くので、誰と行くか選びにくい。かといって全員連れて行くわけにはいかない。それで、今回も一人で行くことにしていたが、「あそこは『嘘』です。行ってはダメです。」としきりにいう。「嘘」が偽物という意味か、品質が悪いという意味か、あるいは騙まされるという意味か分からない。それでも一人で行こうと思って、門のところにまで出ると、研修生たちがグループで思い思いのところへ買い物に出かけようとしていた。
ここは街の南のはずれで、これより南には店も民家もほとんどない。ところが「南の方に市場があるから行きませんか」という。靴もあるというのでついて行った。そういえば「昨日大らかさんと散歩したときに「??市場」と書いてあるゲートがあったが、あそこは人っ子一人いないところだったけどなあ」と、思いながらついて行った。同じ方向に行く人がだんだん増えてきた。そして、そのゲートあたりには大勢の人がたかっていた。ゲート内に入ると、広い広場は人だらけの大市場だった。この市場は何日かに1回行われる定期市の会場だった。
靴(2)
2006年10月4日分からは中国で書いています
19歳の姑娘(クーニャン)も市場ではオバ○リアンになる

研修生が選んでくれた120円の靴
人の海をかき分けながら靴売り場に行った。10軒ばかりの露天の集まりである。子供用の靴はいっぱいあるように見えるが大きさやデザイン、それに機能を求めていくと、そう沢山はない。特にまだ歩き始めたばかりで足の形が固まっていないので、靴底に厚みがあり、柔らかいものがほしい。そんなことをいうと、研修生たちは、靴底を折り曲げたり引っ張ったり中をのぞき込んだりして、次から次へと物色していく。もちろん私の意向を伺いながらではあるが気に入らないと「ダメ」、と元のところに置く。ちょっと気に入ればもっと小さいものはないかと露天のおばさんの後ろにうずたかく積まれた箱の中から探させる。全部の店を回って選んだいくつかの候補の中から一品を選んだ。次は値段の交渉だ。結局12元の靴を8元に負けてくれた。私一人だったら日本人と見て20元と言われただろう。そして、よく選びもせずにハイと素直にお金を出して買って帰っただろう。研修生が言った「嘘」は騙される(吹きかけられる)と、いう意味だろうと、つくづく感じた。
かくて私はかわいい孫に120円のおみやげを買って帰ることになった。
黒板新聞
2006年10月4日分からは中国で書いています

思い思いのことを書く黒板新聞
土曜日の夜、研修生たちは当番を決めて黒板新聞を書く。粗悪な黒板面に巧みに書く。これはジャンケンを教えた後の黒板新聞である。なんと真ん中の人物が私だと………????。
「この人、どこのお兄さん?」「 いえ、ただのおじさん」
加油(チャーヨウ)は「ガンバレ!」にあたる言葉。なんと雰囲気の伝わる言葉だろう。
左には自分たちで考え出したしりとり。この後、日本にはしりとりという遊びがあると言って紹介したが現在のこの程度の語彙力ではなかなか言葉がつながらない。
ただのおじいさん
2006年10月4日分から中国で書いています

初めは私はチョキ、相手がグーで負けていたのだが………

どこから見ても「ただのおじいさん」
先日の黒板新聞を初めて見たときには中央の私こと「ただのおじさん」は「チョキ」で右の研修生に負けていた。ところが後日見たら私が「グー」で勝っていた。毎日書き変えていたのだ。それにしても研修生の書いた私は若すぎる。「ただのお兄さん」と言ってもいいくらいだ。
ところで、ここにもう一枚、私を描いた色紙がある。先日神戸ー天津航路の船客部長さん一行が滄州外経にご挨拶に来られた.そのとき描いてもらったものである。部長さんは大変な特技をお持ちで、初対面の私を宴席の脇に座らせて、2〜3分でサラサラと描いてくださった。特徴を捉え、不要な部分を省き、見事に描かれている。もちろん黒板新聞の私より本物に限りなく近い。
しかし、これを見ると当たり前の話ではあるが、まさしく「ただのおじいさん」そのものである。
そこで一句
「ただのおじさん 網の外では ただのおじいさん」
雨が降った
2006年10月4日分からは中国で書いています
このコンクリート面が雨に濡れるのを初めて見た
雨が降ったぐらいで記事を書くことはないと思われるかもしれない。でも、ここ、滄州ではそうではない。
私は昨年の同じ時期に、3ヶ月ほど滄州で男子に日本語を教えた。ところが、うかつにも、準備していた折りたたみ傘を忘れて来ていた。そこで、指導員の先生に「傘を買いましょうか」と相談した。ところが、「必要ないでしょう。」という意外な返事だった。実際、12月中旬に2センチほど雪が降った程度で雨は1回も降らなかったのである。
今年も、10月初めに滄州に来てすでに1ヶ月以上になる。もちろん傘は持ってきていないが、雨は全然降らなかった。今年も降らないものと、思っていたが今日は朝からしとしとと一日中降っていた。全部で20ミリ程度降っただろうか。今日は気温が高かったので雨だったが、おそらく、今後は降ったら雪になるので、これが最後であろう。
今日の昼食はいつもお世話になっている李老師グループの中国人先生方と私のおごりで歩いて5分ほどの高級レストランで食事をする予定だった。ところが、雨のため、場所をセンターのすぐ隣の安食堂に変えた。そのために費用が40元(600円)で済んだのは幸いだったと言うべきか否か。





