先生

中国人老師、指導員の先生との会議。もちろん、日本語で。
滄州外経日本語研修センターには三種類の先生がいる。まずは中国人で日本語検定1級程度以上の経験を積んだ先生である。研修の全体を統括している。研修生たちに対しては教材に従って基本的な文法を教えるが、日本の受け入れ組合や会社との連絡調整等、重要な仕事を受け持ち、多忙である。
次が指導員といわれる先生で、日本語検定2級程度以上の実力のある中国人先生だ。各クラスを担当して指導し、文法の指導の後を受けて練習や補充をし、自習時間や寮生活の管理も受け持っている。
次は私たちのように3ヶ月ビザで入り、ボランティア的に日本語会話を教える日本語教師である。これも、文法の指導の後を受けて、日本語の生の会話と日本の文化や、習慣など日本での生活に適応する指導するのが使命である。
中国人の先生たちのほとんどは滄州外経で日本語研修を受けた上、日本で3年間の研修を経て帰ってきた人たちだ。日本から帰ってくるころ、ほとんどの人は日本語がかなり上手になっている。しかし、その中でも特に勉強した人たちは日本語会話2級の資格を取って帰ってくる。そういう人たちの中から更に選ばれて、指導員として採用されるので、滄州外経の先生たちはみんな優秀な先生ばかりである。
これからは混同しないようにそれぞれを中国人老師、指導員の先生、日本人教師と呼ぶことにする。
このブログの中で、 滄州外経の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。なお、日本人教師の募集はこのブログのみで行いますので直接滄州外経には連絡しないでください。質問等については、ブログでコメントをしてください。ブログ記事でお答えします。
先生(2)
中国では先生のことを老師(ラオシ)という。それは知っていたけど、 私がギターを習った先生は大学生ぐらいの若い先生だった。こんなに若い人に老師といってもいいのか、失礼ではないのか、と、これまた私の子供のように若い指導員先生に聞いたところどんなに若くても老師は老師だ、という。考えてみれば日本語の先生という言葉の使い方も同じである。別に先に生まれていなくても先生は先生なのだ。
中国では老という文字は敬意のこもった意味があるようだ。老王といえば、王さんと、敬意を込めた言い方になる。中国は儒教の国だ。年長者を大事にする。日本では最近老人のことを、高齢者などと言うが、中国人には理解できないことだろう。
そういえば、不屈の前畑さんから、中国で、バスの中で、席を譲られた、という話を聞いていたが、私も、40代の女性から席を譲られた。「私はまだ、元気なんだけど、………」と、とまどったのだが、ここでは素直に受け入れるのが礼儀だろうと思って、金縛りの口を無理にこじ開けて。謝謝といって、座った。
不屈の前畑さんも、まだ、席を譲ってもらえる年齢にはとうてい見えない。日本だったらあと10年たってもそんな場面に出くわすかどうか、分からない。そんな前畑さんが素直に座ったのか、中国語で突っ張って断ったのか、私は聞いていない。
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1日の研修日程

日本語の勉強を中心に徹底的にたたき込まれる。
私の担当は男子研修生の3クラスだ。各クラスとも30人以下。Aクラスは足場組み立て実習のいくつかの組合の混合編成で29人。Bクラスはダイサンという足場組み立ての組合の18人。Cクラスは足場組み立て、鋳造、機械関係などの研修生で、すでに3ヶ月の研修が済んだが十分に成果が上がらなかった者や、日本側との受け入れ時期調整のための期間で、継続研修を受けるものなどの混声の補習クラスで構成人数は刻々と変わる学級である。
AクラスとBクラスは前任の笹原さんがひらがなとカタカナの50音を教えており、いわゆる第1課から始めるクラスである。Cクラスは今までの復習をする。
私の日程は、月曜日から土曜日まで、8時30分から10時までがAまたはBクラス。10時から10時30分までが休憩時間。10時30分から12時までが、逆でBまたはAクラス。12時から13時30分までが昼食を含む休憩時間。13時30分から15時までが、Cクラス、と単純である。
一方、研修生たちは朝、8時の朝自習から始まって、20時30分の晩自習終了まで、日本語の文法(中国人老師)、演習(指導員の先生)、会話(日本人教師)を基本に、足場組み立て実習、集団訓練、中国の音楽、法律等、短期間にたくさん詰め込まれる。
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研修生はどんな人

声をそろえて、大きな声で
男子の研修生の場合は30歳前後の人が多い。一応経験者を募集するというから、足場組み立ての場合、それに近い仕事をしていた人たちである。ほとんどが、田舎の中学校卒業者で結婚して子供を持っている者が多い。すなわち、一家を支える大黒柱となるべき人であり家族からの期待が大きい。
会社(本社)の前の大きな看板に出国打工(ダーコン)と書いてある。打工とはいわゆる出稼ぎのことであり、日本へお金を稼ぎに行くのである。そのために、滄州外経にたくさんのお金を払うのだが、3年後中国に帰るときにはその数倍のお金を確実に持って帰れるのである。先に、女子の軽作業の場合200万から240万円のお金を持って帰ると書いたが、男子の場合重労働のため更に高額のお金を持って帰ることだと思う。
研修の態度は非常にまじめである。日本では考えられないほど大きな声で、声を合わせてテキストを読んだり、会話をしたりする。また、教師に物を出したり、受け取ったりするときには捧げるように受け渡しするし、廊下ですれ違うときには立ち止まって、大きな声で、挨拶するので、前に進むのに躊躇するぐらいだ。みんな陽気で、家族思いの人たちだ。
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3人の先生の連携

滄州外経で使う教科書。日本語版と中国語版
教科書は海外から日本に来る研修生用に作られたもので、中国語ばかりでなく、いろいろな言語用のものがある。この手の研修所では一般的に使われているものである。
日本へ来る研修生は知的レベルの非常に高いグループから、そうでないグループまで様々である。残念ながら、今から始める研修生そうでないグループであることが予想される。そのほとんどが、中学校を卒業をして、希望する仕事に就けず高所作業に従事しているのだ。仕事は厳しく、とてえも、本を読んだり、語学を勉強したりする時間は持てなかったはずだ。しかし、卒業から15年以上もたっており学問とはずっと離れた生活をしてきた。
しかし、ここで、家族の幸せのために一念発起、日本に行って、お金を稼いで、豊かな生活をしようとする者たちである。大事な家族を置いて日本で働こうという彼らにとって、気持ちだけは満々である。
先に、韓国語を勉強したとき、韓国人の先生から習ったが、あまり上達しなかったと述べたが、ここではその欠点が見事に解消されている。私たち日本人が文法的なことを話しても彼らの知りたいことを適切に教えることはできない。また、中国人が会話を教えても、実践に役立つ会話や細かい表現を身につけさせることができないであろう。ましてや、私たちが演習をさせても無駄であろう。
そこで、滄州外経では立場と能力の違った3人の先生がチームを作り連携し、それぞれの役割をきちんと果たすことによって、総合的な力を引き出せるように工夫してあるのだ。
Aクラスは金老師と張指導員 そして忠野。Bクラスは金老師と竺指導員 そして忠野。 Cクラスは王老師と竺または張指導員 そして忠野。この組み合わせで、やっていくことになった。
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教科書

ちょっと手強い教科書。研修生はこの1冊(中国語版のあるので実際は2冊)を徹底的に覚える。
上の写真は日本語版教科書の第1課である。2ページに渡って、文型と文例、そして会話例が載っている。更に6ページに渡って、練習問題が載っている。
まず、金老師が別の中国語版の文法解説編で、文法を教えた後、私がこの2ページを中心に徹底的に丸暗記させ、練習問題から抜粋して応用会話をさせる。同時に指導員の先生が練習問題をさせる。
見て分かるように、中学校で初めて英語の教科書を手にしたときよりも、文字の数も多いし、内容も豊富だ。明らかに知的レベルの高い人向きの教科書だと思う。それでも、やらねばならぬ。1課から25課まであるが、1週間に2課ずつ進むと、文字の練習等もあるので3ヶ月で全部はできない。従って、19課までをめどにしている。補習などで残って研修を受ける者は25課まで、全部をやる。
文型のところを転載すると、
1.わたしは ラオです。
2.ナロンさんは日本人ではありません。
3、アリさんは研修生ですか。
4.りーさんも研修生です。
日本人から見ると、なんでもない文だが、助詞の感覚が全くないのに、「は」と「も」の二つの助詞があり、さらに、肯定と否定の文がある。それに、例文と会話ではさらにいろいろ入ってくる。大変苦労するところだ。特に、慣れるまでの、1課から6課ぐらいまでは大ごとだった。
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会話練習(1)

できるだけ、多くの会話の機会を
足場組み立ての作業は危険を伴うので、日本語をきちんと教えてください、といわれる。高所で右に行けというところを左に行けば、落下の危険性があり、命の問題だからだ。それで、会話では実際に即して、できるだけ会話する機会を多く取る。
たとえば、こうだ。
A: いらっしゃいませ。
B: このかばんはいくらですか。
A: 3500円です。
B: じゃ、これをください。
と、例文にあったとする。
1 まず、私が日本語で言うのを、 中国語で何回か言わせる。
2 次にクラスを二つに分けて、それぞれをAとBとし、向かい合わせて日本語で声を
を合わせて言わせる。
3 そして、向かい合った一人一人に順番に対話させる。
4 最後に席を離れて、それぞれ別の3人の人と対話させて、戻らせる。
こういう具合にだ。
そして次はAとBの役割を変わって同じことを繰り返す。そのころは、値段を変えさせたり、
かばんをカメラに変えさせたりして対話させる。もちろん最終的には教科書は見ないで言えるようにさせる。
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会話練習(2)

この赤いかばんはいくらですか?じゃ、この黒いかばんは?
教科書を使っている以上、教科書はバイブルである。しかし、会話練習については教科書通りやればいいというものではない。教科書に乗っとって、できるだけ実際の場面に即して、対応させることが必要だ。たとえば、前回の教科書の会話にちょっと味付けをする。
たとえば、
A: いらっしゃいませ。
B: このかばんはいくらですか。
A: 〇〇〇〇円です。
B: じゃ、このかばんはいくらですか。
A: 〇〇〇〇円です
B: じゃ、これをください。
この場合Aの売り手にはあらかじめ二つのかばんに値段を付けさせておく。または、その場で値段を付けさせる。そうして、買い手はどちらが安いかを判断して買わなければならないようにする。
もちろん単なる繰り返し練習は絶対必要だが、判断する場面をつくり、それに対応させる訓練もまた絶対必要だ。
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キョロキョロカンニング

「カンニングは止めましょう」、「ハーイ」、とはいうものの。
いくら会話が大事だと言っても、書くこともおろそかにしてはいけない。
生まれたての赤ちゃんは文字による言葉の習得はできないが、大人が学習するときは大いに活用すべきだ。ただ、文字が主になってはいけない。
毎時間、少しの時間を使って書取のテストをした。教科書と同じ文をこちらが読んでそれを書くわけだが、研修生にとってはそれが、むずかしい。前から見ていると目がキョロキョロ動く。カンニングだ。こちらからは実によく見えるが、本人たちはこちらから見られていることが分からないのだ。ただ、本当に見たかどうかは判定できない。
この程度のカンニングは時代を通して、万国共通だ。私にも経験がないとは言えない。ただ、私の場合、それが成功した憶えもない。だから、この研修生たちもその程度だろうと思い、目くじら建てるほどの者ではないと思っていた。カンニングがあまりにひどいとテストの意味はもない。だから、このテストは自分の勉強の成果を確認するためにするのだから、成績とは直接は関係ないと言っている。
しかし、キョロキョロカンニングはひどくなる一方だったから、最もひどい(へたな)ヤツ見つけて、「君はテストを受ける意味がない。今から、私と一緒に監督をしなさい。テストは0点だ。」といって、監督をさせた。彼は青ざめて、前に立った。そうするとみんなのキョロキョロは一切なくなった。2日目も監督をさせたら、そのあと、班長(クラス長)と一緒に謝りに来たので、許してやった。それからはキョロキョロカンニングは皆無ではないが、かなり減った。
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怒りの日中連携

まじめに勉強する研修生
失敗するようなキョロキョロカンニングは、かわいいもんで、まだ許せるが、悪質なカンニングは許せない。
小テストは文を一字一句間違わないように書いた者を「〇」、句読点など、ちょっとした間違いを「△」、それ以外を全部「×」として採点した。問題は分かっているものだから、60%は「〇」で、10%がぐらいが「×」をもらっていた。「×」のなかでも、ほとんどは文をある程度書いていたが、A君だけはほとんど1文も書けなかった。だから、毎日1時間ぐらい夜自習の時間を利用して、部屋に呼んで個別指導をしていた。少しは変化があったとは思うが、依然他の研修生並みには行かなかった。
ところがある日、小テストで、いきなり、「〇」を取ったのだ。それまで、用紙の管理をあまりよくしていなかったので前日余った紙を取っておいてそれに事前に書いて提出したのが、すぐに推測された。それで、次の日はちょっと紙の大きさを変えてテストをしたところ、また、「〇」だった。それで、部屋に呼んで、もう一度同じテストをしてみたら、案の定「×」だった。あっさり白状した。
金老師も据えかねたところがあったと見えて、私が怒っていろいろ言うと、もっと言ってくださいよという目をして、私の言葉を訳してくれる。早口の中国語の中に独特のイントネーションの「タイドゥ」という言葉が何度も聞こえる。これは「態度」に間違いない。私が言っていることに付け加えて、日常の態度の悪さについて付け加えて言っているようだ。怒りの日中連携だ。わたしは、彼のために特別に時間を割いて個別指導をしてきたが、今後一切しないことを伝えた。実際その後成績の悪い方から6人を個別指導したが、一番に該当するはずの彼は除外した。
金老師と話し合ってこのままでは日本へ行けるだけの学力は保証できませんという報告書を社長に上げることにした。
ここでは研修態度が悪いと、家に帰されることがあるという。成績が、悪いだけだったら、補習を受けて、日本へ行く時期が遅れるだけだろうけど、他と条件と重なれば本当に家に帰される。そうなったら、本人にとっても家族にとっても大変なことになる。滄州外経に支払った研修派遣費も戻ってこないはずだ。日本に派遣されてからいろいろな問題が起これば日中双方にとても本人にとっても大変困った問題になる。私は心を鬼にして、報告書を書いた。
ところが、その後、2回ほど、実習をさぼる事件が起きて、とうとう家に帰されるはめになった。しかし、親(保証人)が謝りに来て、なんとか復帰はしたというが。
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思わず吹き出した(1)

数字をとっさに言えるように「番号!」の号令をかけた。
言葉を覚えるときに、数字を覚えることは何よりも大切である。買い物だって、仕事だって、数字なしには過ごせない。しかも、考えずにとっさに言えることが大切である。
そのための練習法として、私は整列などの時に使う、「番号!」と号令をかけて、数字を順に言わせたり、逆に言わせたりして訓練していた。また、「2,4,6,8,10,」や「5、10、15、20、30」も言わせた。全体の流れの中で途切らせないようにすることはかなり緊張するものだ。その緊張感が、力になると考えている。
どういう訳かほとんど30歳代という研修生の中に特別若い、20歳の研修生がいた。彼は若いせいか、物覚えがよく、抜群の成績だった。
あるとき、「番号!」と号令をかけると、番号をかける時に15,16,17,18,19、ハタチ!、と言ったヤツがいる。20に当たったのはまさしく二十歳の若者だった。ふざけているわけではない。
私は思わず、吹き出した。指導員の先生も吹き出した。私たちが、大声で笑ったので、途中でとぎれた。残りの研修生はなんだか訳の分からないような顔をしている。二十歳の若者は不満そうな顔をしていた。
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思わず吹き出した(2)

「どうしたんですか」 「おなかがいたいです」
ある日の授業中、B君が突然前へ出てきて、「先生、頭が痛いです。」という。
見ると、おなかを押さえ、腰をくねらせながら、青白い顔をしてせっぱ詰まっているようだ。
私は全てを悟り、さあ、早く行きなさいと外へと促した。
あの仕草はどうしてもトイレに行きたいのだ。私は笑いをこらえきれず吹き出したのだが、他の研修生にはこのやりとりはほとんど聞き取れていなかったようだ。
B君は数分後、何事もなかったような爽やかな顔をして、教室へ戻ってきた。
「B君、さっき、どこが痛いと言って出て行きましたか。」
「はい、おなかが痛いと言って行きました。」
「私には頭が痛いと聞こえたんだが、君の頭はこんな所にあるのかね。」と、おなかあたりを指さした。
「はい、さっきはおなかか頭か、分からなかったので頭と言いました。でも、先生が笑ったのでおなかと分かりました。」
これは、通訳としての指導員の先生を介しての会話である。
研修生一同、大笑い。
日本人教師には日本語で話しかけるように言われているので、どうしようかと、ずいぶん迷ったに違いない。そして、いよいよせっぱ詰まってから出て来たはずだ。
日本で生活すると、こういう場に出くわすことが結構あるはずだ。
そこで、これを、すぐ教材として取り上げた。
「どうしたのですか。」
「おなかが痛いです。」
この会話を練習した。
もちろん、「おなか」の部分を、「頭」、「歯」、「足」……などに置き換えて、
ジェスチャーと表情を交えてしたのは当然である。
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街は交通博物館

練炭を運ぶ荷馬車。 用途は限られるが、荷馬車はあちこちで見かける。

これでも動くのか、と思われるような車が実際に動いている。

電動自転車は快適。日本の電動自転車と違って、人力(ペダル)は補助動力だ。
滄州の街には日本では考えられないような古い車や三輪人力車、馬車などが走っている。かと思えば、最新型の日本製高級車、スイスイと走る電動自転車………。日本で言えば昭和20年代から現代まで、全ての車が走っている。まるで、に街全体が動く交通博物館だ。
特に、電動自転車の普及はめざましい。もともと、街全体に高低差がほとんどないが、音もなくスイスイと走る人たちはこの町ではちょっとハイクラスな人たちだ。ここでは新車が2万円以下で手に入る。持って帰りたいぐらいだが日本では交通法規上乗れないはずだ。もちろん、こちらの給料からすれば、そう安いものではないが、私が買った携帯電話と同じぐらいといえば安く思える。
滄州外経に勤務する3人の中国人老師は会社からよく仕事をし、功績があったとして電動自転車をもらっている。それが、日本で言うボーナスの全てかどうかは知らない。でも、老師たちは会社とセンターの移動の際に使うなど、実際、仕事上でも使っているし、大変頭のいいやり方だと思う。もちろん老師もそれ以上に通勤等に助かってはずだが。
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滄州の交通事情

舗道は商売空間だ。人々はやむなく低速車用車道を歩く。
滄州の市街地は大ざっぱに言えば一辺が7〜8kmの大きな道路に囲まれた長方形の街と言える。街は、数本の大きな道路が縦横に通じている。
その大きな道路はおおむ真ん中に上下4車線の高速車用の車道があり、その外側に安全地帯を設け、更にその外側に上下2車線の低速車用の車道がある。そして、更にその外側に舗道があり、全部で50メートルぐらいの道路となる。
ところが、実際は一番外側の舗道は商売の空間である。店があるところは、店を広げ、店がないところは、誰かが露天を広げている。そして、店も露店もないところは敷石がはげ、ガタガタだったり、掃除をしていないので、犬の糞が散乱していたり、実際に歩くのにはとても、不便なところである。それで、人々はみな、低速車用の車道を歩く。この部分は、市から常に清掃作業員が出ており、比較的きれいに掃除してある。
安全地帯まではスムーズに行けるが、高速車用車線を横切るのは大変である。私はまずは、交差点では道を渡らないようにしている。交差点では車は右折(日本で言うと左折)はいつでもできるので、歩行者用信号の正面が青でもいろいろな方向から車が来る。したがって、私は交差点を少し離れたところで渡る。ここだったら単純だ。真ん中まで、左だけを確認して渡り、真ん中から右だけを確認して渡れるからだ。渡っていても車は止まってくれない。スピードも緩めないで、予測運転をしている。中国人は歩く方も止まらない。普通の速さの歩き方で、予測歩行をしている。予測と予測がうまく合うのでいい。ちょうど、ポパイの漫画やチャップリンの映画で出てくるように、空中で、クレーンにつるした建築資材の上を歩いていて、足が、はずれようとすると横から、すっと次の資材が出来て落ちないような。そんな綱渡りのような感じがする。日本人の私にはそんなことはできない。車道の脇で車がとぎれるのをじっと待って、急ぎ足で渡る。待っていると大抵タクシーが止まる。だから、タクシーが来そうなときにはクルッと、後ろ向きになったり、靴のひもを結ぶふりをしたりする。
中国人と一緒の時には私と腕を組んで、しっかりリードしてくれる。中国人が二人の時は両脇から抱えるようにしてリードしてくれる。中国人が4人いたら両手両足を抱えてく担いでいってくれるのじゃないかと心配しているが、まだそんな経験はない。日本人は渡るのがへただから、会社からしっかりガードするようにとのの指示があるのだろう。不屈の前畑さんも同じようなことを言っていた。日本だったらおじいちゃんと娘がくっつき合って、道を渡っている異様な光景だ。
滄州の交通事情(2)

バイクと車の事故現場を見た。もめているが、どっちも悪い。
怪我がなくてよかったと、ふたりで、お祝いをすべきなのに。
もし滄州で命を落とすことがあるとすれば、それは、交通事故だと思っている。ここ、滄州にいるかぎり、反日感情によるトラブルは考えられないし、治安上の問題も通常の生活をしている限り、ほぼあり得ない。病気によるものは日本にいるよりも少し高いだろうが、注意をしていれば問題はない。おかしくなたらすぐに帰ればいいし、3ヶ月の滞在だから帰ってから治療しても十分間に合う。もちろん、旅行保険で滄州の病院にかかることもできる。
日本では、一時、交通事故による死者が1万人を超していたが、最近では6000人台に減っている。車の数は確実に増えているのに死者が減っていると言うことは、いろいろあるが、警察の取り締まりや、指導による交通モラルの向上が最大の要因だと思う。
中国では日本より車の数は少ないのに交通事故の死者は5万人を超えているという。私は滄州で生活してみて、さもありなんと思う。あの運転の仕方、あの、道路の渡り方、考えただけでも、事故が多いのは納得できる。
日本の車はいつでも内も外もピカピカだが、中国の車はいつでも薄汚れている。車体が汚れているのは全然問題はないし、私の車も同じだ。しかし、窓が、曇っていたり、汚れていたりするのも当たり前だ。日本人ならとても気になって運転できない状況だが、中国人はガンガン運転する。酒を飲んでの運転も日常茶飯事だ。
タクシーに乗っているとき、私はシートベルトを必ずするが、しなくてもいいですよと言われる。私はしなければならないからするのではなく、私が死にたくないからするのである。126歳まで生きると決めている私にとって交通事故で死ぬことほどバカバカしいことはない。
ある時、尹社長から国際免許状は持っているかと聞かれたことがあるが、私はいつでも取れるし取りたいと思っているが、中国で運転する気はないと言った。レンタカー部門を止めた滄州外経には車がたくさん余っているが、それを生かそうという考えだったのかどうか知らないが、私は、日本人は運転しない方がいいし、させない方ががいいと思う。市内の交通手段はいくらでもある。
今まで海外にいろいろな国に行ったが私がすぐにでも運転できる国はニュージーランドとオーストラリアぐらいだ。ニュージーランドを小波と二人駅伝で縦断することは日本一周駅伝よりもうんと易しいと思う。
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バスに乗った

路線にもよるがマイクロバス大の大きさ。乗ったらすぐ、右横のボックスに1元を入れる。
外国の街で外国人が一番手軽に乗れる乗り物は地下鉄である。しかし、この程度の街では地下鉄はない。
大都市ではとうてい無理だが、この程度の街ではバスが最も手軽な交通手段となる。ただし、街の概要と、バスの路線図がないと乗れない。滄州外経の本社の近くにある新華書店のレジで頼むと、後ろから筒状に巻いた市内地図を出してくれる。これで、市内の様子と、17の路線がすぐ分かる。書架には置いてないので要注意だ。
新華書店は政府関係の書店らしい。この町ではその他に本屋さんはあまり見かけない。街角のキヨスクや、国鉄の構内で雑誌を売っているのを見かけた。あとは図書館の前の露天、地べたに並べた路上露天の古本ぐらいである。一方CD,DVDビデオ屋さんは街中あちこちで見かける。
バスは5分も待てば来るので、待つことのストレスはない。都会の地下鉄並みだ。 バスの乗り方は日本とあまり変わらない。バス停で待ち、目的のバスが来ると前に進み、乗る。遠慮しないで、手を挙げればなおよい。大事なことは乗ったらすぐに1元(15円)を備え付けの箱に入れることだ。1元がなければ2元でも10元でもよい。ただし、返してはもらえない。 降りるときには誰かのあとに続いて降りればいいが、降りたい場所で誰も降りないようだったら、咳払いでもして、ちょっと大きな足音を立て、ドアの前に立つ。そうすると、運転手が気づいて、止めてくれる。降りるとき何と言えばいいか分からない私のやり方だ。
バスは1元(15円)あればどこまででも行けるし、必ず市の中心地を通るので、非常に便利な交通手段だ。在任中 17路線の全部に乗りたいと思ったが、実際始発から終点まで乗ったのは1つだけだ。今度滄州に行くときの楽しみに残している。
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タクシー

タクシーはどこでも拾える
タクシーも便利な交通手段だ。街中どこでも走っている。初乗り4元(60円)で、日本の昭和30年代前半の値段だ。
運転席は網で、囲ってある。網の間からお金を差し出すことになる。おそらく、タクシー強盗など頻繁に起こる結果だろう。
そういえば、いつもと違って朝、街へ出たとき、頑丈な車から二人の2人の迷彩服を着た軍人らしき人が素早く降りてきて自動小銃を手にして、車の前に立ちはだかった。私は突然のことで、たじろいだが、落ち着いて見ると、実は銀行に来た現金輸送車の警備だったのだ。このようなことから見ると、治安はあまりよくないようだ。ただ街を歩いている限り、日本人だと気づかれないようだし、今にも、おそわれるという状況ではない。
タクシーは前に乗っても後ろに乗ってもいいが、私は必ず、後ろに乗る。命が惜しいからだ。タクシーに乗るときには行き先を告げなければならない。そうするとすぐ、日本人がすぐばれる。わたしは、外に出るときには滄州市内地図を持って出る。目的地を指さすだけでよい。地図を忘れたとき、仕方なく口で説明することになる。センターに帰るとき、近くに図書館があるので、そこを経由して帰るのが便利である。そこで、電子辞書で「図書館」を示し、とりあえず、図書館方面に行ってもらう。図書館前を右へ曲がるのだが、正しい中国語で「ヨウクヮァイ ヨウクヮァイ」と、「右へ、右へ」と言うのだが、いっこうに分かってくれない。しかたなく、後ろから身を乗り出して、ハンドルを右へ切るまねをしてやっと分かってくれた。危ない話だ。
いつしか、私も、「中国人は正しい中国語が分からないんだから………」と、不屈の前畑さんと同じようなせりふをはいている自分に気が付いた。
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三輪タクシー

低速車道を走る三輪タクシー
3番目に便利なのが、三輪タクシーである。三輪タクシーは人力とバイクがある。どちらも初乗りが2元(30円)だ。これも風情があって大変いい。ところが、これらは200512月28日で廃止されてしまって今はない。
以前、滄州の街は動く交通博物館と書いたけど、その博物館で主役を演じていたのが三輪タクシーであった。残念である。廃止前に何回か乗ったのが幸いだった。何でも、三輪タクシーは交通ルールを守らないので事故や渋滞の元になっているからだという。確かにそれは言えるかもしれないが、なんとか残せなかったのか。日本に帰るとき北京に寄ったが、あの雑踏の中で、三輪タクシーは幅をきかせていた。(観光用だと思うが。)
市内至るところで三輪タクシーを見かけるので、市内ではおそらく2000台ほどいると私は見ていた。2000台の運転士と、その家族の数千人は一体どうして暮らすのであろうか。よその国の話ではあるが、私は大変気がかりだ。1日に10回走ったとして20元、1ヶ月丸々30日働いたとして600元(9000円)。だいたいこういうところだろう。これでも収入があればなんとか生活はできる。その収入がなくなると………。中国は社会主義の国だからなんとかうまくやっていることだろう、自分自身をそう納得させた。
もう一度述べるが、市内の交通機関で便利なもの
・ バス どこまで行っても1元(15円) 17路線ある。
・ タクシー 初乗り4元(60円)
・ 三輪タクシー 人力、バイク式どちらも初乗り2元(30円) 現在廃止
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変調

左上の鏡が10年後の自分の姿を写す問題の鏡だ
滄州に来て2週間ぐらいたったころ、不屈の前畑さんが「何か身体の変調はないか。食べ物のせいか、気候のせいか、俺は2週間ぐらいたつといつも唇がカサカサして来る。」と言った。
思い当たる節がないので、「今のところ何にもありませんが、」と答えた。
不屈の前畑さんは「そのうちに何か出てくるよ。」とボソッと言った。
そうかなと思い、帰ってからもいろいろ考えたが、何も思いつかなかった。
その夜、シャワーを浴びて、洗面台の鏡を見ると、その向こうにまるで自分ではないようなやつが立ってこちらを見ている。明らかに日本での私と違う。髪の毛が異常に少ない。
私も昔に比べたらずいぶん髪の毛は薄くなってはいるものの、昼間だったらまずは地肌が見えるほどではない。髪を洗った直後は幾分地肌が見えるようにはなったものの、それでも地肌率でいえば10パーセント程度だ。ところが何と今日は地肌率40パーセントほどに見える。見れば見るほど、地肌率が上がる。地肌は幅をきかせ、髪の毛たちは思い思いに身を寄せ、くっつき合っている。
鏡の向こうにいる私はきっと私の10年後の姿だ。いや、少なく見積もっても5年後の私の姿だ。
「もしやドッキリカメラ……」と、あわててパンツを前に当て、キョロキョロするも、その気配はない。
そうか、これが不屈の前原さんが言う「変調」なのか。それにしてもいやなところに変調が出てきたものだ。それも、たったの2週間でこんな風に変調をきたすのなら、3ヶ月後には地肌率100パーセントはおろか、反射率も………!」
翌日も、そして、その翌日も、シャワーを浴びた後、じっと観察した。ところが、どうも、進行している気配はない。そこで、一安心した。それにしても、不思議だ。
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変調(2)
継続観察により、抜け毛は進行していない様子なのでなんとか安心したものの、一体何が原因なのだろう。まさか、ストレス????
そんなはずはない。シャワー兼トイレ兼洗濯場兼洗面所兼台所水場には少々不満はあるものの、ストレスというほどのものではない。むしろ現職時代にはストレスの海を泳いで渡ってきたのに、ここでは何の心配もない。中国人たちは日本人を大切にしてくれるし、少々覚えの悪い研修生たちの指導も悪戦苦闘しながらも順調で、それがまた楽しみでもある。
まさか、今までに感じたことのないストレスのない経験、これがストレスになるのか。そんなことまで考えたときにふと、思いついた。
シャワー兼トイレ兼洗濯場兼洗面所兼台所水場は異様に明るいのだ。そこで、洗面台専用の明かりを消して、メインの明かりだけにして、鏡をのぞいてみた。ところが、なんと、2週間の私がそこに立っているではないか。
何のことはない。斜め上前方から照らす強い光が、髪の毛の奥まで入り込み、地肌を照らし出しているのだ。それに光の来る角度がちょうど、反射して目に入る位置にある。私の家での照明環境と明らかに違うのだ。
原因が分かって安心した。結局何の身体の変調もなかったのだ。これは大いに喜ぶべきことなのだ。
しかし、明るく照らされた私の頭髪の現状の方がむしろ現実なのだということも受け入れなければならない現実なのだ。
実際、引っかからない髪を3枚の櫛を束ねて使っているのも現実である。(これ、お分かりにならない方があるかもしれません。)コメントでもあれば、詳しく書きます。
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日本語教師募集開始
このブログは今、日本で書いている。
8月22日から日本語教師の募集を開始した。
募集開始後の反応は少ない。ただ、1日70人以上のアクセスがあるのは心強い。
日本語教師を目指す人は多いが、そのための資格や何やで、自分の条件に合うものをすぐにというのは少ない。
結局は高い金を払って、研修を受けて、実際に職があるかどうか不透明な状況である。私はそれでも、希望を持って行きなさいと言いたい。世界は広いのだ。
このブログへ訪れた人の中でもここで示した募集条件に合う人は、少ないはずだ。
滄州外経の意向により、教職退職者という条件を付けているからだ。教職退職者であれば特別の試験もないのだから、かなりの広い門であるが、もともと、教職退職者の中で、インターネットに対応できる人がいくらいるのだろうか。そう考えてくると、限られた中で選択していることになる。
このページを訪れた人のかなりの人の中にはこういうことに関心のある知り合いやおじさんおばさんなどの親戚がいるかもしれない。そんなとき、是非、ブログにコメントを出して欲しい。本人記入が基本だが、代理でもかまわない。
「僕のおじさんは去年〇〇学校を退職しましたが、今、ぶらぶらしています。話したら興味ありそうです。」でもいい。
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謝謝

45km歩いてたどり着いた空中都市マチュピチュ。向こうに見えるワイナピチュにも登った。
この10日あまり、ブログの更新を休んで、ペルーのインカ道トレッキングに行ってきた。4200メートルの峠を越えて45kmを歩き、今、超人気の空中都市マチュピチュに至るコースだ。単なる観光と違って、高山病に悩まされながら、苦労してたどり着いたマチュピチュは圧巻だった。
ところで、このツアーには現地ガイドや数多くのポーターが付く。外国人は付けなければ入山できないシステムになっているのだ。荷物を運んでくれるのはもちろんのこと、料理の世話やテントの設営、臨時トイレの設置まで、徹底してやってくれる。国にとっては外貨獲得であり、彼らにとっては貴重な現金収入なのである。
ところで、私は外国へ行くときにはその国の言葉を少しでも覚えていって、出会った人に使うようにしている。といっても、「こんにちは」や「ありがとう」ぐらいなものである。今回も、スペイン語のグラシアス(ありがとう)をしっかり覚えていって、ことあるたびに使っていた。
ある朝、ポーターさんがテントの入り口に洗面用のお湯を持ってきた。いつものように「グラシアス」とお礼を言った(つもりだった)。ところが、横にいた小波(おば)さんがすかさず、「今、何と言った。」と来た。「えっ」と考えてみると、まだ、口の中に残っている感覚は、「謝謝」なのだ。思わず、二人で、笑ってしまった。
こんな所で、「謝謝」なんておかしい、など思われるかもしれないが、私にとって無意識に出た「謝謝」は実に貴重な「謝謝」なのである。口の金縛りからのがれる前兆なのかもしれないからだ。
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ギネスもの

きってのハンサムボーイ料理長を誘っての小波(おば)さんのダンス。
魔法使いのおばあさんの服装にたじろぐ料理長。
キャップランプならぬヘッドランプは炭坑節にぴったりだ。
大姑娘山に登ったとき、ポーターさんたちとのお別れのパーティーのがあり、「炭坑節」を歌ったら、酸素が薄いせいで、声が続かなかったことを前に書いた。
今度もインカ道トレッキング最後の夜に同じような企画があった。
ポーターさんたちにお礼のチップを渡すので、その場を利用して交流会をしようというのだ。チップを渡した後、ポーターさんたちがお礼に何か歌うので、日本からも何か出してくれ、という。同行の人たちと話し合った。だれも、何を歌うか悩んでばかりで話が進まないので、私から、日本からの出し物は「山男の歌」と、「炭坑節」にしましょうと、提案した。「山男の歌」はみんなで手をたたきながら歌うこと、そして、「炭坑節」は私が歌うからみんなで、輪になって踊ってください、とお願いした。そして、「炭坑節」については踊りの振り付けまで、確認した。更に、「炭坑節」の歌はきっと失敗しますけど許してください、と予告していた。
全ての光を吸い込むような真っ暗闇の中、天井に白く、天の川だけが、輝いている。3600メートルのキャンプ地で交流会が始まった。
まず、現地ポーターたちが何やら歌ってくれた。そして、私たちは「山男の歌」を歌った。遠慮がちながら、まずまずの、国際交流だった。だいたい一般的にはこんなところで、交流会は終わるのだろう。
しかし、次に私がしゃしゃり出て「炭坑節」を始めた。
「月がー、出た出たー」と、私が歌い始めたのはいいが、誰も踊ってくれない。ちょっと約束が違う。それで、やむなく私は歌いながら踊り出した。みんなの動きがあまりにも鈍いので、ついつい私の踊りに力が入る。踊りに力がはいると息が上がる。ハーハー、ゼーゼーとあんまりにも聞き苦しい歌に、同行の人の助っ人が入る。
私はもう本来の炭坑節は止めて、「掘ってー、掘ってー、また掘ってー、担いで、担いでー、下がって、下がってー、押して 押してー、チョチョンガ、チョン。」と、もうこうなったら炭坑節ではない。「掘って掘って節」だ。本来の歌の方は助っ人さんが引き継いでくれたので、なんとかつながった。
どうせ、ペルーの人には「炭坑節」だろうが「掘って掘って節」だろうが、分からないはずだ。きっと、私の「掘って掘って節」もまともに日本民謡を歌っていると思ってくれたに違いない。
ペルーの人たちには円く、輪になって、踊るのが、大変気に入ったようで、思わず大きな拍手が起こった。これで、盛り上がった交流会は終了の予定だったが、ペルー側からまた歌が出た。ところが、小波(おば)のヤツ、若くて一番ハンサムなコック長を引っ張り出して、歌に合わせて、ジルバらしき踊りを踊り始めた。ハンサム君も小波の唐突な行動にとまどいながらも、ノリノリになった。みんなは唖然、私は呆然として見ていたが、そのうち、踊りの輪が広がり、それぞれパートナーを見つけて、みんな、思い思いに、踊り出した。その後数曲、ペルー側の歌で、その輪は広まり、見事に輝く天の川の下での楽しい国際交流会になった。
翌朝、日本人リーダーの藪t田さん曰く。「こんな高いところで、炭坑節を踊るのはギネスブックもんですよ。」
そういえば、そうだ。
今日のニュースでは長さ1500メートルのそうめん流しのギネス記録が報道されていた。
そうであるなら、最高地点での炭坑節も立派なギネス記録になるだろう。そうすると、ヒマラヤの3000メートルのキャンプで、ギネス記録を打ち立てた私は大姑娘山の3500メートルで記録を更新し、更に今回の3600メートルのインカ道のキャンプ地で記録を更新したことになる。
自分勝手のギネスの思い。。これも、楽しいものだ。
まあ、それはいいが、小波には、あんなに踊れるのなら、これからは炭坑節の踊りの指導は任せるから、しっかりしてくれよ、とお願いした。
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フルス

「フルス」を手にした硝君、「フルス」は実に心温まる音色だ
滄州へ行って2回目の日曜日、不思議な笛の音で目が覚めた。
何とも中国的な旋律で、フルートやリコーダーより、まろやかで奥の深い響きがする。温かくほのぼのとした気持ちにさせてくれる響きだ。これは一体なんだろうと、聞こえる方の窓の外を見回したが、何にも見当たらない。きっと、何かの物売りの笛の音だろうと思ってはみたが、それにしてはもっと引きつける芸術的な響きがする。これを吹いている人はきっと達人だと思い、外に出て、それを確かめるべく、玄関ホールに降りた。そこにいた研修生に聞くと、それは硝さんですよと、なんと、同じ棟の1階の部屋に案内してくれた。そこにはまさしく、硝さんが笛を吹いている姿があった。そしてそれは今までに見たこともない奇妙奇天烈な笛であった。
硝君は、日本語が上達しなくて残された補習科の中でも下手な方だ。しかし、みんなから硝さん硝さん、と慕われている。研修生の間では何かに秀でた人は尊敬される。たとえば、料理、絵、歌………など。そしてみんな、何かを得意とし、それを自信の糧としている。君は実に温和な人だが、サーカスが得意だと聞いていた。サーカスは中国語では雑伎というのだろうと聞いても、違う。サーカスが上手なのだ。サーカスと雑伎は違うと言う。だから、硝君は尊敬されているのだ。サーカスの得意な硝君が楽器まで得意とは、……と、更に驚いた。
「フルス」は簡単に言えば縦笛だが、何と歌口(吹くところ)はひょうたんでできている。たしかに、こうすれば豊かな響きが出そうだ。でも、おもしろ半分に硝君が取り付けたのだろうと思ったが、よく見せてもらうと、ひょうたん部分はプラスチックでできており、フルスと、なにやらむずかしい字体の漢字で浮き彫り風に書いてある。まさしくこれは立派な既製の楽器だ。ちょっと吹かせてもらったが、私が吹いても、何とも豊かな音がする。
後で、ギターを習っている楽器屋さんで見たら、同じような楽器が大小幾種類か並んでいる。そして、教則本まで、置いてある。 何と魅力的な楽器だろう。大した値段でもないので、買おうかな、と思ったが、止めておいた。どうせ、買って帰っても吹けるようになるはずがないし、小波に「また買ってきた」と、笑われるだけだ。
後に、インターネットで調べたフルスの説明はこうである。
「中国雲南省の少数民族に伝わる、ひょうたんと竹を使って作られたユニークなたて笛です。真ん中に太い管、両側には単音竹という2本の管があります。単音竹には管をふさぐ蓋がついており、その蓋を着脱することによって、実に多様な和音を楽しむことができます。吹き口には銅製のリードがついています。日本の雅楽に通じる、独特な響きの多重音を奏でます。今、中国全土で大人気の楽器です。」
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