北国の春
アルファベット表記はいわば中国のひらがな。
「北国の春」は日中交流のテーマソングだ。
日本の田舎の情景を見事に歌い上げる。
歌詞は「白樺 青空 南風」ではじまる。
これをそのまま中国語に直すと「白樺 碧空 何来風」となる。
ところが実際は「亭亭白樺 悠悠碧空 微微南来風」と、
歌っている。どういうことだろう。
「しらかば あおぞら みなみかぜ」で始まる歌詞の
この音節の数を見ると4ー4−5である。
ところが中国語は「ティンティンバイフォー ヨウヨウビーコン
ウェイウェイナンライフェン」と、音節数がすごく多いように
思える。
しかし、中国語の母音はイン、アイ、オウ オンなど、二重母音
があるので、実際は日本語と同じく「4−4−5」である。
すなわち、音節の数を合わせるために亭亭(まっすぐに上に伸びる)、
悠悠(ゆったりとした)、微微(穏やかな)という言葉を付け加えたのである。
それによってこのメロディに中国語がピッタリとはまるのである。
そんな話をして、研修生の前で、中国語で、日本語の直訳通りで歌って見せたら、大笑いだった。 なんとも、間のぬけた歌になるのである。
一般的に同じ内容を言うのに中国語は日本語の半分から3分の2の時間で
済む。
ちなみに、「白樺 青空 南風」の部分を中国語に訳した意味を込めて
歌ってみると、こんな風になる。
「まっすぐ伸びた白樺 ゆったりとした青空 穏やかな南風………」
とても、歌えたもんじゃない。
でしょ?
中国で日本語教師ボランティアをしてみませんか
忠野小路(ただのおじ)
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このブログの目的
定年退職後、第二の人生を積極的に生きようという私の取り組みのはじめとして、中国で日本語教師ボランティアの仕事をしてきました。そこで第一の人生の中でもめったに出会わなかった充実の3ヶ月間を過ごすことができました。多くの皆さんにも体験して頂きたいと思い、このブログを立ち上げました。
日本人教師募集について
滄州外経(そうしゅうがいけい)では
日本人教師が不足気味です。
1 条件
・ 3ヶ月間の勤務。再度勤務したいときは、帰国した後、再度行けます。
(短期で、非常に気楽です。)
・ 往復旅費およびビザ申請料・保険代は支給されます。
・ 勤務は月〜土曜日 8:30〜15:00
・ 滞在中の生活費が支給されます。
(中国では十分に生活できる額です。しかし、日本の給料から言えば
わずかですので、ボランティアととらえてください。)
2 資格
・ 日本の公的な学校(小、中、高校、養護学校等)の定年退職者、
または退職予定者
(私立学校等を含む。幼稚園、予備校、専門学校等は除く。)
・ 海外でも健康状態を保つことができる方。
・ 夫婦での応募も可
・ 中国語はできなくてもかまいません。
3 応募の仕方
興味のある方はコメントでお知らせください。非公開でもいいですが、
メールアドレスは記入してください。紹介できるかもしれません。
充実した日本語教師生活

足場組み立ての研修生です。大変礼儀正しく、大きな声で読んだり発表したりします。平均30歳ぐらいで大抵子供がいます。

正月に駅伝大会をしたら、バトンであるリンゴをかじってきたヤツがいました。

女子食品加工の研修生。20歳から23歳まで。教室にはいつも日本語ができる中国人指導員の先生がいてくれます。指導は日本語でします。

私の帰国後、女子研修センターの落成式が盛大に行われました。男子研修センターは2006年8月に完成するそうです。まもなくです。
招待所の1階はレストランだ
前回、滄州での日本語指導を終えて2ヶ月半後の3月始め、今度は山東省の聊城(りょうじょう)という街に行くことになった。今回は3ヶ月のビザを取得し、聊城での指導は2ヶ月半と決まっている。その間、22人の研修生を中国人の先生と2人で教え、5月15日に送り出すのだ。ビザの期間に余裕があるので、少し早めに行くことにした。
目指すは北京の中国政府労働部。今回は労働部からの派遣教師として聊城(りょうじょう)へ行くのだ。宿舎はその招待所というところ。暗くなって飛行場に着いたが日本語のできる職員の方に迎えにきていただいていた。労働部本館は夜でも門と玄関に不動の姿勢の警備員が立ってガードしている立派な建物だ。
招待所はその隣にあった。ここにもガードマンがいるが、1階はロビーと一般の人も入れるレストランだ。招待所は地方から労働部に用事がある人が来て泊まる宿泊所のようで、一般のホテルと変わらない。
その夜はこのレストランで好評だというしゃぶしゃぶを食べた。セットになっていると思って、メニューの写真で肉だけ頼んだらウェイトレスさんにけげんな顔をされた。あわてて野菜や何やを適当に追加し何とか格好のつくしゃぶしゃぶになった。おかゆとか、マントウとかを勧められるがそんなに食べられるもんじゃない。ビールも飲まなければならないし。

滄州北京間は30分に1本出ていて気楽に利用できる
(滄州ターミナルの時刻表)

このあたりの高速道路はまだ比較的空いている(パーキングエリアにて)
延々と続く華北の平野
2日目は滄州へ行った。前回教えた研修生たちがセンターに全員残っているというのだ。滄州―北京間は金老師と一度バスで移動したことがあるので、だいたい分かる。ただしそのときは霧のため、普通道路を通ったが今回は逆コースの高速道路である。
早めに起きて、タクシーでバスターミナルへ行った。いくつかターミナルがあるので、それを間違えると大変だ。
バスの中では車掌さんがコップにお湯を持ってきたり、お菓子を持ってきてくれたりと、接待は大変いい。ただ、マイクにエコーがかかっているので車掌さんの説明が非常に聞きづらい。そうでなくても、どうせ分からないのだが……。
目的地滄州が終点で、乗るときに車掌さんに切符を確認してもらったから、途中説明は分からなくても大丈夫だ。ビデオも放映しているが、河北の平野を南へ240キロ、どこまでも続く同じ景色を「また、やってきたなあ」と、懐かしい気持ちで、楽しんだ。初めての郊外への一人旅であり少し緊張したが何なく滄州に着くことができた。
再会
まだ壁に残っていた日本の歌を復習
前回の別れ際、「皆さんが日本へ出発する頃、私は中国の他の街で日本語を教えているので、皆さんにはこれで会えません。」と言ったら大変残念がっていた。幸い、今回全員に会う機会ができ、研修生たちも大喜びだ。
別れたときはまだ、12課までしか進んでいなかったが、もう25課まで全て終わり、復習と応用練習をしているという。
みんな笑顔で迎えてくれた。予想よりすばらしく日本語が上手になっている。特に発音がきれいだ。ほとんど会話ができなかったAさんもきちんと対応できるようになっている。
日本語教育をしていると、相手に今どこまで教えたかを知らず知らずに意識して話す癖がついてくるものだ。もう、この娘たちにはそんな意識なしに話できている。以前教えた研修生とは別人と話しているような気さえしてくる。中国人先生と後任の新井さんの指導のおかげだ。この成長ぶりは何よりもうれしく、ここまで会いに来た甲斐があったというものだ。
しかし、ここには受け入れ会社の社長さんとの面談も終わり、もう出発を待つばかりで、ルンルン気分の研修生と、まだ、受け入れ会社の名前さえ知らされないで不安げな研修生とがいるのだ。
最近、日本の受け入れ審査が厳しくなり、なかなかビザが予定通り下りなくなったからだ。しかし、いずれにしろ近々に全員が日本へ出発するのは間違いない。日本で充実した研修生活を送れることを祈るばかりだ。
持ってきたおみやげのじゃんけん取りをしたり、まだ壁に残っていた日本の歌の歌詞で歌ったり、最近の日本の事情を話したりして励まし、研修生たちとの再開のひとときを過ごした。
歓迎会

よく利用する食堂。1年前には一つもなかったが、今は近くに大小3軒ある。
滄州を訪れるもう一つの目的はここで教えている日本人先生たちとの再会である。特に不屈の前畑さん(2006年6月30日版に紹介)への陣中見舞いである。といっても、ただ、焼酎一本ぶら下げて、遊びに行くだけだが……。
私が出国したのは3月2日、その前日から100ミリリットル以上の液体の機内持ち込みが禁止され、大変厳しくなったので、焼酎も飛行場の免税店で買うしかなかった。似たような芋焼酎が二つ置いてあったが、大きく「最高級品」と書いてある箱入りの方を買って持っていった。案の定「おっ、最高級品だ!」といって喜んでおられた。同じ値段なら最高級品と書いてある方が喜ばれるだろうという私のねらいは当たったわけだ。
結局滞在中、食事のたびにセンターの前の店で歓迎会をしてもらい、思い出話に花を咲かせた。特別に私だけ鶏とアヒルの「尾頭付き」ならぬ「ダブル頭のみ」を頂き、恐縮した。
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チャイナ帽
前日前畑さんにもらったチャイナ帽。
こんなものもらっても仕方がないなと思っていたけど………
不屈の前畑さんが「俺のクラスもやってくれんかい。なんでんよかけん。(何でもいいから)」という。実はそれはこちらからお願いしたいくらいだった。
というのは、会社へのおみやげの一つとして、いま日本でもっとも注目されている「千の風に乗って」のCDを買ってきていたからである。この曲は昨年末の紅白以来注目を浴びている曲で、CDも手に入りにくいほどだという。
まもなく日本へ行く研修生たちはきっと、この曲を日本で聴くであろう。そのときに、「あっ、この曲知ってる」と言えるなら、それでいいと思う。当然、私のクラスには教えた。この曲をここの研修生全員に教えたいと思っていたのだ。
このクラスの研修生たちは私が前回来たときには軍事訓練を受けており、前畑さんの表現によると、「男か女か分からない」ような状況だった。私は一人一人は分からないが、この娘たちは私に面識はあるはずだ。
「できるだけ楽しくやってほしい」と言うから、私を紹介するとき、「チャイナ服とチャイナ帽姿でお願いします。」とお願いした。私は前日前畑さんにもらったチャイナ帽をすでに持っている。
滄州外経の社長は40代後半のバリバリの経営者。アイディアマンでイベント好き。
一昨年は社員を京劇の扮装で撮り、それをカレンダーにして配ったのだそうだ。私なんかはそのカレンダーを見て、本物の役者さんだとばかり思っていた。その写真の原板をセンターの廊下に飾ってある。時々社長はこんな楽しいことをする。そして、太っ腹のところがあり、直接社長にお願いするとかなうことが多い。
今年の旧正月は社員全員がチャイナ服を着て記念写真を撮ったそうだ。そのとき、不屈の前畑さんたち日本人は社長の前で、欲しそうな顔をしたという。そしたら、そのとき使ったチャイナ服(おそらく貸衣装)をもらうことになったのだそうだ。
帽子は別に全員がもらっていたので、不屈の前畑さんは帽子が二つになった。それで「俺の頭は一つしかなかけんやるばい(ないから、やるよ)」と、余ったチャイナ帽を私にくれた。私は「こんなものをもらっても……。」と思ったが、「どうせ只だし、荷物にもならないから……。」と、もらっておいた。
それが、翌日、即、生かせることになるとはそのときには思いもしなかった。
雪の中の耐寒訓練(男子)
研修生は実によく働く。軍事訓練の成果だろうか。
軍事訓練の話を出したのでちょっとふれておく。
滄州外経では日本語教育を始める前に軍事訓練をする。滄州外経だけではなく、中国では新しい教育を受けるとき、あるいは組織的に海外に出かけるとき軍事訓練を受けるのが必須なのかもしれない。
滄州外経では約1ヶ月間日本語研修生と同じところに泊まって徹底的に心身を鍛えられる。軍事訓練だと言っても鉄砲を持って戦闘に関わるような訓練はない。主に整列、行進など集団行動訓練だ。何時間も不動の姿勢で立ち続ける。体力作りのための持久走もある。
礼儀や生活面の指導も徹底して行われる。軍服を着た専門の先生がいて、日本語の研修生を含めて、生活面のチェックをしている。たとえば、掃除の仕方、毛布のたたみ方など。優しい先生で研修生に慕われているが躾は厳しい。
軍事訓練が始まった頃は日本の高校生やそこいらのお姉ちゃんとおなじように挨拶もしない普通の女の子だが、1週間ぐらいたつとニーハオと挨拶するようになり、軍事訓練が終わり研修生になるや、立ち止まって深々と頭を下げ、にこやかに挨拶をするようになる。ドアを開けようとすると、我先に寄って来てサッと開けてやり、どうぞと頭を下げる。この変化は何だろう思うばかりだ。
「消しゴムを消すというのは嘘でしょう」冷たい視線。
不屈の前畑さんのクラスにも「千の風になって」を教えることになった。とにかく楽しくやってくれということだから、事前に前畑さんにはチャイナ服とチャイナ帽を身につけて来てくださいと、頼んでおいた。私は前畑さんにもらったチャイナ帽をかぶって教室に行った。もうこれだけで、雰囲気は十分である。
日本であれば、これに「ワタシハ ホンモノチューゴクジーン アールヨ。ワタシノニホンゴ ワカルアールカ」と始めるところだが、ここは本場の中国だ。この手ばかりは使えない。もし、使ったら「先生の日本語は下手です。」とやられそうだ。
前畑さんはいつも「俺はホンモンの中国人だ。俺の中国語が分からんやつは中国人じゃなか。(俺は本物の中国人だ。俺の中国語が分からないものは中国人ではない)」といって怪しい中国語を使うのだが、チャイナ服ばかりはよく似合う。本物の中国人よりもっと中国人だ。
その前畑さんが私を大げさに紹介している。「忠野先生は日本の有名な合唱団の指導者でテノール歌手です。こんな先生に直接習えることをありがたく思いなさい。」
それなら、とばかりに私も「実は前畑先生は日本で有名な手品師で、私はその一番弟子です。」と始めた。そして、「師匠だけがチャイナ服を着ることができます。私はまだ、この帽子しかかぶることはできません。」と続けた。
「それでは前畑先生に習った手品を披露します。でも、これは大変難しい手品なので、なかなか成功しません。世界中で自由自在にできるのは前畑師匠だけです。修行中の私は時々しか成功しません。でも、それは許してください。」といって近くの机の上の消しゴムを手にとってそれを肘に刷り込むふりをした。
そして、3回ほど失敗してみせる。みんなは立ち上がって真剣に見ている。そして失敗するたびに「なあんだ、」という顔で見ている。「やっぱり……」と軽蔑のわらいも聞こえるようだ。今日は調子が悪いな、といいながら、祈るようなふりをして、4回目に「エイ!」とばかり気合いを入れて手をのけると見事に消しゴムが消える。あっと驚きの声があがる。みんなは完全にはまってしまった。
そして、今度は出してみます。とまた、2回ばかり失敗した後、同じところから先ほどの消しゴムを出して見せた。
みんなあっけにとられている。それで、「今の手品が分かった人」と言ったら一人の研修生が手を挙げた。じゃ、ちょっと出てきてやってもらいましょう、といって前に出して実演させた。
消しゴムをシャツの袖の中に滑り込ませるような仕草で、やってくれたので、「わあ、すごい、あなたは私が30年間かかってやっとできるようになった技をすぐにできるようになった。あなたは天才です。もう、今日からあなたは前畑先生の第一の弟子です。あなたの言うことは何でも聞きます。よろしくご指導下さい。」といってチャイナ帽をかぶせた。
みんな大笑い。ところがそのとき、前の方の席で異様な音とともにちょっとした騒動が起こった。研修生の一人が床に倒れている。何だろうと見ると、隣の席の研修生が「これです」と、まっぷたつに割れた椅子の天板を取り出した。
あまりのおかしさに飛び上がって笑い、お尻で椅子を壊したのだ。幸いけがはないが、申し訳なさそうにしている。「心配しなくてもいい。悪いのは笑わせた私です。社長に私が謝ります。そして、今度から私は決して人を笑わせる様なことはしません。」と、言ってまた笑いの渦。
ちょうどそのとき あまりの騒々しさに事務員の孫さんが教室をのぞきに来た。私がペコペコして、謝りながら椅子の天板を孫さんに渡すので、これまた大笑い。
「前畑師匠は当然私より手品はもっと上手です。世界で只一人、いつでもどこでも、何の仕掛けもなくて、人間を消したり出したりできる方です。そんな方でも人間を消すのは難しいので、時々失敗もあります。今まで消した人が、3人ほどまだ、出てきていないそうです。だから今は慎んでいるそうです。」そういって手品の部は幕にした。
「千の風に乗って」は本格的なテノール歌手秋川雅史が歌っている。前畑さんは私に生で歌って指導しなさいと言う。でも、私のような偽物のテノール歌手が歌ったらすぐ下手がばれる。
そこで、1番だけをCD付属のカラオケでそこそこに歌ってごまかし、あとはCDで指導した。ちょっと暗い歌ではあるが、メロディは覚えやすいし、歌詞も分かりやすい。
この歌は日本で必ず何回も聞くはずだ。そのとき、口ずさんで欲しい。また、ホームシックにかかったとき、この歌を歌い、あの偽物手品師の変なパフォーマンスも思い出して、3年間の研修を楽しく過ごしてくれればいい。
カラゴマ名人
本物のカラゴマ名人のカラゴマは止まっているように
見えても回っているのだ
パフォーマンス授業の後、不屈の前畑さんと話していると、うちの老人会に来てくれないかと話になった。
実は前畑さんは地域の老人会の世話をしている。月々の例会の時、時にはレクレーションをするそうだ。そのときに行って、楽しい時間を過ごさせてほしいというのだ。今までもそういう話はあったが、「いまギターの練習をしているのでもう少し上手になってから行きましょう」と、答えていた。そして、他の歌が上手な人を紹介したこともある。
私がギターを人前で弾けるようになるのは2年後の6月頃のはずである。
そのころから小波さんと二人で駅伝方式で走り、日本一周をしようという計画がある。そして、それをブログかホームページで紹介し、時には片田舎の集会所で楽しく話をしたり、歌を歌ったりして全国ふれあいの旅をする。そして、全国の「ただのおじさん」と「ただのおばさん」たちに元気を与える。そんな計画だ。
そんなわけで、まだちょっと時期が早いのだが、今回の件で、不屈の前畑さんに認められた格好になり、私の生き方にも完全にマッチするので引き受けてしまった。
前畑さんもこんどはカラゴマの師匠になってもいいと、いっているし、中国モノだったら、小道具もそろっている。そういえばいつかの前畑さんからのメールに「今度中国から日本に帰ったら、カラゴマの普及に努めます。」と書いてあった。私も協力すべきだ。
不屈の前畑さんはカラゴマの超名人だ。いくら名人でも時には失敗して落とすこともあるが、前畑名人はどんなに振り回しても絶対に落とすことはない。そこいらの名人のカラゴマはまるで止まっているように見える。しかし、前畑名人のカラゴマは絶対に止まっているように見える。そのあたりがそこいらの名人と違うところだ。
前畑名人のカラゴマは特製のカラゴマだ。誰にもさわらせないので、よくは分からないが、軸に紐を結びつけてあるのではではないかと疑う人さえいる。
そんな名人の協力があれば爆笑ものができるかもしれない。私が引き受けたゆえんだ。
私が滄州に行ったのは3月始め。
今年の旧正月は2月18日でそれからずいぶん経っているので、もう、正月気分もぬけ、新しい気分で、仕事を始めているだろうと思っていた。
ところが、飛行機の中でも北京でもまだ、明けましておめでとうございますの看板や挨拶が聞かれる。
滄州外経では旧正月には香港マカオ方面に職員旅行があったそうで、そのとき故郷へ帰れなかった先生たちが私が着いた時、この土日を利用して今から帰るということだった。それで、中国人の先生たちはほとんどいなかった。
3月4日の日曜日は朝早くから花火や爆竹の音がひっきりなしになっていた。そして滄州外経でも夜は、花火をしますよ。ということであった。何事だろうと思っていたら小正月だという。
小正月は旧正月(新月)から数えて15日目、すなわち年が明けてからの初めての満月の日を言うそうだ。そして、中国では小正月を祝って初めて正月が開けるのだそうだ。だから、まだ、中国は正月気分だったわけだ。
門の前の道路をふさいで花火は大々的に打ち上げられた。あちこちであがっているので、中国の花火の業者は非常に多いのだと思う。
そういえば、日曜日はどこかで必ず結婚式の花火が上がっているし、葬式にも花火を上げるという話も聞いたが……。
一面の雪の中を北京に向かう
中国での最後のピール
滄州から北京へ戻った。珍しく雪が積もっていた。
北京には翌日飛行機で日本へ向かう研修生たちが聊城(りょうじょう)から来ていた。私は出発前夜の食事会に参加した。初対面だが、私が今度教える研修生の2ヶ月半後の姿だ。全部で15名、西安や四川省など遠いところから聊城に集まってきて日本語の研修を受けたという。
彼らにとって、出会った日本人は前任の神戸さんただ一人。したがって習った日本語を試したいという気持ちがいっぱいだ。盛んに話しかけてくる。
神戸さんはこの道のベテランで中国語がじょうずだ。しかし今日ばかりは彼らにとってはむしろ中国語がしゃべれない私の方が魅力的で貴重な日本人なのである。
私は仕事に励むこと、お金を大切にすること、日本語の勉強を続けることなど、いろいろな話をした。みんな目を輝かせて聞いてくれた。
昨日会ってきた滄州外経の研修生たちは5ヶ月間日本語を勉強していたので、比べるべくもない。しかし、彼らは2ヶ月半でこんなに話せるのかと、驚くほどだ。ゆっくり、はっきり折りたたむように話すとたいていのことは理解できる。人間の集中力はすごいものだと思った。
もちろんこれで、すぐに日本で通用するかと言えば別問題だが、後は経験を積むだけである。これからその場はたくさんある。日本での1ヶ月間の日本語教育も残っている。
やがて宴も終わり、レストランを出てホテルへ帰る。誰からともなく聊城(りょうじょう)で習った「さくら」(森山直太郎)を歌い始めた。純粋で一途な若者たちの歌声が北京の夜の街に響いた。
北京から聊城へ
グリーン車の切符
広々とした駅構内、昔の駅を思い浮かばせる
どこまでも続く畑と用水路
のどかな途中の駅のホーム
通路左が個室になっている
駅前広場を隔てた市街
中国を列車で移動するのは初めてで、期待に胸をふくらませて北京西駅に向かう。
今回は開講式に参加する労働部の李研修部長と今回日本へ出発した研修生を引率してきた聊城の会社代表の王さんと一緒で安心して列車に乗れる。
北京西駅は南方面への列車の出発駅となる大きな駅だ。
列車は大平原の中を南へ南へ下る。どこまで行っても畑また畑である。畑がある以上家はもちろんある。煉瓦造りの集落を成しているが、どこも同じような景色だ。
途中、先日行った滄州市をかすめるようにして通るが、電話はつながらない。
私たちの席はいわゆるグリーン車だろう。2段ベッド二つの個室になっている。昼間でもベッド状態で下段が3人掛け程度の椅子になる。3人しかいないので余裕がある。
話をしたり、窓の外を見たりしながら過ごすが、眠くなったので、1時間ほど寝た。
列車は6時間かけてゆっくりと440キロ南へ下り、聊城に着いたときは暗くなっていた。すばらしくきれいな道路のイルミネーションが迎えてくれた。
北京から聊城へ向かった。
開講式
緊張した表情の研修生
開講式があった。
この研修は中国労働部(正式には労働部と社会保障部)の委託を受けて魯西人力資源開発センターという民間会社が行うものだ。
私は労働部からの派遣講師でこの期の研修生の会話の指導をもう一人の中国人の林先生と行う。
研修生は15人、旋盤、板金、溶接などの経験者で、ここに泊まり込んで2ヶ月半の日本語の集中教育を受け、その後日本へ向かう。
日本で、さらに1ヶ月足らず日本語教育を受け、各会社へ配属される。会社での研修は3年間だ。各人はすでに日本の会社の面接と実技試験を受け、合格している者だ。
私も挨拶の時間があった。私はおまけつきグリコを念頭に置き、「むかし、日本に小さなおまけの付いたキャラメルがあって、子供たちは喜んで買っていた。そのころおまけは子供には価値があったが、大人にとっては何の価値のないものであった。しかし、今では高価に取引されている。
皆さんには日本で研修するには日本語が必要だが、これはおまけのようなものだ。しかし、このおまけが実は一番価値があるということはすでに今から分かっている。せっかく日本へ行く決心をしたのなら、このおまけを大事にしてほしい。このおまけは自分でさらに大きな価値のあるものに育てることができる。私はそのお手伝いをするためにはるばる日本から来た。一緒にがんばりましょう。」と、こんな話をした。
実際、「日本での研修」は建前で、研修生にとっては出稼ぎに行くのだ。すなわち「お金が一番の魅力」なのだ。ところが、日本語を学ぶことができることはもっと、価値があると言うことは明白な事実なのだ。

湖の中の島は美しい橋によって結ばれている
湖の中の中国風の建物
湖の畔にあるこの劇場は東洋一の大きさだとか
運河がさかんに利用されていた頃に立てられた山夾会館
開講式の後で街を車で案内してもらった。
聊城市の市街地は前回の滄州市の市街地とほぼ同じ大きさと思われる。人口は30万人ぐらいだろう。
この町を特色づけるのは東昌湖と運河である。東昌湖は巨大な人工湖だ。人工湖の中には中心に城を配した城郭都市の島がある。そしてそこは周りから4本の美しい橋でつながれ、その形は見事に整っている。
最近は観光に力を入れ、国内からの観光客を呼び寄せている。全国ネットのテレビでも盛んにコマーシャルを流している。
聊城は水城とも言われている。日本語的には水の城といってもぴったりだ。
しかし、中国人の感覚から言えば、そうではない。中国では歴史のある街は城郭で囲まれた中にあるのが通常なので一般に都市のことを城市(チャンシ)という。「城=都市」なのである。
それで水城とは水のある都市、もっと日本的に言えば「水の都 聊城」というのがふさわしいと思う。
聊城は市街地の面積の3分の1が湖や運河や川などの水にしめられていると説明されている。
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会社
就職先へ出発する人たち
この日本語研修センターは魯西人力資源開発センターという会社の海外部門の研修所である。魯はこの地方の昔の国の名前でに車のナンバープレートは魯で始まる。
この会社は中国国内および国外へ労働者を派遣する仕事をしている。また、旋盤や板金などの技術者養成所、海員養成学校なども併設する。
総元締めは局長と呼ばれ、政府のお役人さんである。中国のお役人さんは権力がある聞くがこの方ばかりは頭が低い。中国では公務員が民間の仕事を兼任している例が多いという。
会社の人たちもみんな穏やかで暖かい人で、日本人が私一人のため、何か、不都合なことがあったらいつでも言ってくださいといろいろと気を遣ってくださる。私はお言葉に甘えて早速部屋に掃除機を買ってもらった。
会社は仕事を求める人たちでいつもごった返している。たいてい毎日どこかの面接があっており、仕事が決定し、大きな荷物を持ってバスで出発するのを見かけることも多い。
私が担当するのは15人。旋盤、板金、溶接、鋳造の経験者で、主に関東地方に実習に行く。平均年齢は28歳ぐらいでほとんどが子供がいる。
寮
茶色の部分が会社事務所 日本語研修センター教室は2階
超豪華に見えるアパートの3階、会社の上の部分(見えない)が寮
私の宿舎も研修生の寮も同じところにある。会社の裏が大きなアパートになっており、その3階の1区画がそれだ。
日本のアパートに比べると大変大きな部屋が5つありそれに食堂と台所がある。研修生は3つの部屋に分かれて泊まっている。研修生は台所は使わない。
食事は朝晩は会社の隣のおかゆ屋さんで、昼は配達される弁当を食べる。アパートとセンターは実はつながっている。しかし、直接は行けないので、いったん外に出て会社の玄関から入り、2階の教室に入る。エレベーターを使って、4分だ。
私は昼だけ弁当を食べて、朝、晩は自炊だ。
研修生は朝7時30分に寮を出たら夜8時45分まで帰ってこない。私は昼に授業が終わるのでいったん帰る。夜に授業があるときはまた出かける。
ここは街のほぼ真ん中であり、買い物もバスによる移動も大変便利がいい。
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