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Author:tadanooji
忠野小路(ただのおじ);


会社ごっこ、先生ごっこ、政治ごっこ……。
「ごっこ遊び」が終わったら、誰だって [ただのおじさん」。
古い上着を脱ぎ捨てて、自分で歩こう第二の人生。
大きなことはできないけれど、世界のどこかを明るくしたり、ちょっぴり人を元気にしたり………。
そんなことができたらいいなあ。

ただのおじさんが好きな言葉……「思い立つ日が吉日」 「千里の道も一歩から」 「枯れ木も山のにぎわい」
 
まずは、中国で日本語教育ボランティア体験からどうぞ。


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いよいよ中国へ

いよいよ中国へ 



福岡の中国領事館。九州ではここと、長崎にしかない。




 


 9月に中国へ行く予定だったが、遅れに遅れて10月中旬になった。滄州外経との連絡は不屈の前畑さんを通してしていたが、前畑さんも一緒に行くことになった。初めて中国で生活しようというものにとっては事情に詳しい人と一緒に行けることは大変心強い


これまではこちらで切符を手配して、滄州外経に着いてから切符代を請求するようになっていたそうだが、今回は切符を向こうで手配して送ってくれるそうだ。向こうで買った方が安く買えるのだろう。それでビザだけ旅行社に頼んだら断られた。ビザだけの申請で、3ヶ月は取れないというのだ。そこで仕方なく、福岡の領事館に申請に行った。取るビザは3ヶ月の観光ビザだ。中国での保証人を滄州外経の社長名を書き、目的を研修生に対する日本語指導ボランティアと書いた。場合によっては3ヶ月ビザが発給されないことがあると聞いていたのでドキドキしていたところ、何の問題なく受け付けられた。申請費用は3000円だ。


受け取りは5日後からOKだという。郵送もできるがもう一度取りに行くことにした。結局は2回分の交通費と時間が申請費用より高くなり、郵送してもらえばよかったと思った。


滞在中に事故や病気にかかる可能性があるので、旅行会社で旅行保険にかかった。いろいろ選べるが2万円程度の保険にかかった。ビザ申請費用と、保険代は滄州外経に着いてから頂いた


切符を自分で手配したときは旅行社が、ビザ申請もしてくれる。その場合は2ヶ月ビザしか出ないことがあるが、中国で簡単に延長できるので、かまわないそうだ。また、搭乗券も3ヶ月のオープンのものを購入する。帰りの便は3ヶ月有効の券だ。




 


 このブログの中で、滄州外経の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。なお、日本人教師の募集はこのブログのみで行いますので直接滄州外経には連絡しないでください。質問等については、ブログでコメントをしてください。ブログ記事でお答えします。  




 



滄州での体験 | 13:48:43 | Trackback(0) | Comments(0)
福岡空港から北京へ

福岡空港から北京へ


 


北京ダックは薄皮に包んで食べる。おもてなしの料理だ。滞在中に5〜6回食べた。




 出発の日になった。出発は午後なので福岡市近郊に住む息子の家に寄って孫の顔を見てから行くことにした。生後4ヶ月、やっと身体を返して腹這いになれるようになっている。3ヶ月後帰ってくる頃、何ができるようになっているかが楽しみだ。

空港に着くと不屈の前畑さんはすでに来ていた。飛行機が遅れるというので、電話をしなければならない。プリペイドカードを買うが、初めてで、使い方が分からない。結局分かったのは、飛行機に乗って説明書をゆっくり読んでからだった。中国では飛行機が遅れるのは当たり前、空港に迎えに来ている人は、分かっているはず、と、二人いれば安心できる

この飛行機は大連経由の北京行きで、いったん大連に降りる。大連から北京までは国内線となるので、ここで入国手続きをしなければならない。手続きといっても荷物を持って、飛行機を一旦降り、ターミナルの中をぐるぐる回って、また、同じ飛行機に戻るだけだ。その間ちょっと待たされたりすることはあるが、パスポートを見せることもない。ただ、このとき大切なのは前の人を見失わないことだ。意外と、目だ立たない入り口から入ったりするからだ。

以前大姑娘山へ行ったとき、上海で、同じような経験をしたが、ここではタラップから降りて、一度バスに乗ってターミナルに入るが、バスに乗るときに入国手続きが必要な人は専用のバスで運ばれる。案内人は口と身振りでは正しいことを言っているが持っているプラカードにに書かれている矢印はバスの待っている方向とまるで逆の方向を指しているから、用心しなければならない。添乗員さんの話では、ここで毎回、間違う人がいて、そのため、飛行機の出発が遅れるそうだ。その時も、大声で、人捜しをしていた。矢印を書き換えるぐらい簡単なことだが、それをしないところが、中国らしい。


飛行機はずいぶん遅れて、北京に着いた。空港には会社の庶務係祝さんと通訳代わりで指導員の李先生、そして、私たちと入れ替わりに日本に帰る日本語教師笹原さんが、迎えに来てくれていた。


更に空港の近くのホテルに着いたら、尹社長が出迎えてくれた。社長が、迎えに来ることは普段はないが、北京出張のたtめに来たのだそうだ。そして、早速ホテルの前のレストランで北京ダックのおごちそうを頂いた。


不屈の前畑さんと、笹原さんもどちらも俺の方が中国語は上手だと日本語で言い合っているそうだが、どちらも、中国人には通じない中国語だそうだ。私といえば、ずいぶんの時間のかけて、中国語を勉強してきたが、依然として口の金縛りが解けない状態で中国に来てしまった。 




 このブログの中で、滄州外経の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。なお、日本人教師の募集はこのブログのみで行いますので直接滄州外経には連絡しないでください。質問等については、ブログでコメントをしてください。ブログ記事でお答えします。  




 


 



滄州での体験 | 21:50:53 | Trackback(0) | Comments(0)
北京から滄州へ

北京から滄州へ 



大平原の中を車は走る



福岡から滄州へ行く場合、北京に着くのが夜になるので、どうしても一泊しなければならない。従って、迎えに来る人も一泊する。

翌朝、関さんの運転する車で滄州へ向かう。北京の街は10年ぐらい前に一度来たことがあるが、そのころから始まっていた建設ラッシュが、更にすごい。大きなビルが林立している。建設中のビルもたくさんある。そこをかすめるようにして高速道路を進むとまもなく大平原に出る。1時間ぐらい走るとまたにぎやかな町並みになった。天津(テンシン)の近くまで来たのだ。天津も中国に4つある直轄市の一つで大都市である。ここで、一旦広い一般道に出た。すると、それまでは乗用車や大型トラックだったが、三輪自動車や、古いタイプのトラックなど自動車の種類が多くなった。中にはこれでよく動くなと、思われるような車もある。更に高速道路に乗り、時速130キロで走る。ほとんど直線道路だ。この道は上海へ続く大動脈だ。周りはきれいに整備された畑が続く。家は所々にあり、防風林らしきものがあるので、地平線がみえるわけではないけど、それらがなければ、おそらく、地平線がみえるだろう。中国のほんの一部しか見ていないが、あの第姑娘山から見た光景とは大違いだ。この山の見えない大平原を見て、いよいよ本当に中国に来たのだ。今から本当にここ、中国で過ごすのだ。未知の体験が始まるのだと、心が引き締まる思いがした。

二つの川を渡り、北京から3時間あまりで滄州に着いた。



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滄州での体験 | 20:18:43 | Trackback(0) | Comments(0)
男子の研修センター

男子の研修センター 




滄州外経日本語研修センターおよび私の宿舎は、このホテルを借りている




 私は男子の担当になった。不屈の前畑さんは女子担当で、入れ替わりに日本へ帰った笹原さんが住んでいたアパートに住むことになった。。


上の写真の建物が男子の研修センターである。ここは大きな通りに面した門から入り左に折れたところにある。門から入った正面には政府の機関らしい建物がある。聞くところによると、地質調査の研究所らしい。敷地全体は塀で囲まれている。敷地内には何か分からないが、工場や、倉庫やあったり、食堂やシャワー施設などがある。門には門番がいて、車の出入りを管理している。人は自由に出入りできる。実はこの建物は招待所と書いてあり、ホテルだ。


センターはこの校舎の1階から3階までを使用している。少しではあるが一般の泊まり客もある。建物は鉄筋コンクリート建ての立派なものだが、あまり、清潔とは言えない。


私の宿舎はこの3階にある。バストイレ付きの2部屋のゆったりとした部屋で、このホテルでは最高級の部屋ではないかと思う。一泊あたり100元(1500円)程度ではないだろうか。いわゆる職員室とも言える2階の部屋も普通の部屋で、ここはその半分50元程度の部屋だと思われる。トイレは共同便所を使う。更に研修生たちの部屋はそのまた半分ぐらいだとすると、25元、掃除は自分たちでするので、20元となる。それを4人で使うので、一人5元。と、考えたがちょっと安すぎるので、1人10元とすると、150円だ。


一般に日本人が泊まるような部屋は、この町では100元、北京では200元というのが、相場だそうだ。安いのは10元やそれ以下でもあると聞いた。
私は、このセンターの一室で2ヶ月近くを過ごすことになる。


※ 現在男子研修センターは別の場所に建設中です。


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滄州での体験 | 10:34:47 | Trackback(0) | Comments(0)
宿舎と食事

宿舎と食事 



日本から持ってきたもの。ワカメがよかった。毎日使って、3ヶ月保てた。




 


宿舎はセンターの3階にあるので大変便利だ。安宿の最高級の部屋というところだ。

昼はセンターの近くにいくらでも食堂があるので、指導員さんたちと一緒に食べに行くが、朝と夜は自分で作ることにした。味噌やわかめなどを大量に持ってきていたので、みそ汁を作り、あとは野菜をゆでたり、トマトやキュウリを食べたりして済ます。お米を5kg買った。日本のほどおいしくはないが、がまんできる程度だ。ちょっと焦げ目の付く炊飯器もある。わざと、そう作ってあるのだろうと思う。出発前、不屈の前原さんから電熱器があると聞いていたので、へえ、中国では電熱器を使っているのか、遅れているな、と思っていたら、立派な電磁調理器だった。日本では使ったことはない。もともと200ボルトなので、お湯などはあっという間に沸く。大変重宝した。


ただ、野菜を切ったり、調理したりするところはベッドのない方の部屋でするとして、水場は洗面所だ。洗面所といってもシャワー兼トイレ兼洗濯場兼洗面所である。それに台所水場が加わったのだ。あんまり気持ちいいもんではない。


ここのシャワーにはずっと悩まされた。お湯は使っているとすぐ温度が下がる。要領よく周りに飛び散らないようにするのは至難の業だ。


いつも思うが、西洋ではどうしてトイレとバスが同じ部屋にあるのだろうかと、不思議に思う。欧米人の感覚を疑いたくなる。もっとも、日本でも家の狭さからそうなりつつある。残念だ。



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滄州での体験 | 20:27:16 | Trackback(0) | Comments(0)
携帯電話を買った

携帯電話を買った



携帯電話屋さん




 


冷蔵庫には当面の食料品が入っていたが、生活に要るものを買いに連れて行ってもらった。


今後、何回も中国に行こうと思うので、携帯電話を買った。日本円で、13000円ぐらいと、結構高い。これは普通の人の1ヶ月分ぐらいの給料に当たる。こちらは一般的にプリペイド式で、使い切ったら、送受信ともできない。通話料は市内だったらごく安いが、日本へかけると1500円のプリペイドでもあっという間に終わる。また、同じ中国でも別の省にかけると高いそうだ。お金は電話番号を言って銀行に払う。


  買ったものの、あんまり必要性はなかった。電話があるところにいつもいたからだ。ただ、メモリーに必要な人の電話番号を入れてもらっていたので、その分便利だった。


私は日本では携帯電話はあんまり使わない。だけど、ないと困る。電話機は安いが、契約するだけで、使わなくても結構お金がいる。やむを得ず家内と兼用で、1台持っていたが、いいのを見つけたので、解約した。auに1年間有効で、10000円というプリペイド電話があったのだ。通話料は1分で100円ぐらいで高い。しかし、1分間の通話なら100回かけられる。けど、1年間使えるので、1ヶ月に800円ぐらいだ。それで、1週間に2回ぐらいはかけられる。実際私はそんなにかけていないので、この方がずっと安くつく。おまけにプラス90日間は受信はできる。実際中国に行っている期間などを考えるとこの方がずっといい。 


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滄州での体験 | 21:41:18 | Trackback(0) | Comments(0)
ギターを買った(1)

ギターを買った(1)



ギターを買った楽器屋さん。胡弓など伝統楽器の教習が盛ん。手前はマツダ車。


 


57歳の9月からギターを始めた。5年練習すれば人前でも引けるようになるだろうと思って、練習を始めた。ギターは隣の人が以前、粗大ゴミ置き場から拾ってきたのをもらっていたものだ。ちょっと音がおかしかったし、弦がすぐ切れた。3年間練習した頃、退職記念にと3人の息子たちがお金を出し合って、ギターを買ってくれた。実際はそれに、退職金を足して、私としては目の玉が飛び出すぐらいのクラシックギターを買った。10万円とか30万円とかの中古車しか買ったことのない私にとっては車を買うのに等しい金額だ。それだけ強い意識を持って買ったのだった。


ところが、練習はするが、思うように上達しない。このままではあと2年で人前で弾けるようになるのは無理。そんなときに、中国へ行くことになった。3ヶ月間ギターを弾かないなら、ますます、遅れる。それで、どうやって、ギターを持っていこうか、と考えた。また、持っていくとき壊れたり、なくなったりしたら、とも考えた。結果、いい方法を思いついた。中国で買うことだ。買ったギターは誰かにやって帰ればいい。


ということで、早速楽器屋さんに連れて行ってもらった。狙いのクラシックギターはなかったが、フォークギターがあったので、それを買った。実はこの方がよかった。歌に会わせてコードで、ジャンジャカジャンジャカと、やればいい。クラシックギターではそれがやりにくい。楽譜通りに練習するより簡易な方法だ。いわゆる練習のショートカットになる。


実際、滄州で3ヶ月間使ったギターは私がコンビを組んだ金先生(老師)の6歳の娘さんにプレゼントしてきた。でも、今度また来るときには貸してくださいとお願いしている。


教則本とケースと1ヶ月分の教習代を入れてギターの値段は3000円ぐらいである。飛行機で、来るとき、預ける荷物が5kgオーバーしただけで、5000円払ったことから考えると、安いものだ。ギターの教習を受けたが、中国語は全然分からないし、週に1回だから、全然上達しない。1ヶ月して、2ヶ月目の教習を受けますかと、聞かれたので、受けることにしたが、教習代が800円だった。これは、他の物価に比べると非常に高いと思った。


実はこの文章を書いている時点であと、1ヶ月でギターを初めて5年の節目になる。だから、そろそろ人前で弾けてもいいはずだが、人前で弾けるのは遙か先の話となっている。今のところ人の斜め後ろ500メートルの所で弾けるぐらいの実力である。でも、更にあと5年後には人前で堂々と弾けるようになるさ、と気を大きく持って練習している。中国へ来た以上、気持ちも、大きくなるべきだ。いまも、中国で練習した「童年」という歌の伴奏を練習している。中国のテレビでやっていたので、かなり有名な曲らしい。




 


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滄州での体験 | 00:57:07 | Trackback(0) | Comments(0)
ギターを買った(2)

ギターを買った(2)



 海岸線のでこぼこが多い九州。津々浦々を走ると通常の日本一周より距離がある。


 



ギターを買ったのには訳がある。

 


伊能忠敬を人生の師として仰ぐ私は彼のような生き方をしたいと思う。日本地図を作るような大きなことはできないけれど、彼のまねをするぐらいのことはできると思う。そこで、時間がゆっくりとれるようになったら日本一周をしたいと考えてきた。


その手始めとして、妻の小波(おば)と一緒に九州一周をした。それも、2周したのだ。1周目は世界で1番長い駅伝競走といわれる西日本新聞主催の九州一周駅伝と似たような主な国道を結ぶコースだ。1070kmの距離を土日を利用して、1年間で走った。次は九州津々浦々の海岸線を走った。これは4000km以上、5年ぐらいかかった。橋が架かっている島も1周した。中にはその島から更に橋が架かっていることもある。とにかく、走れるところは津々浦々走ったのである。


私の街は九州の真ん中近くにある。だから、九州の80%の地域は3時間以内で行ける。もし、宮崎や長崎の人が同じようなことをしたら大変だったろう。


やり方はこうだ。まず、スタートとゴールは長崎と決めていた。それ以外の時は天候や季節によって走り始める場所は変える。走った道を塗りつぶし、最終的には全コースを塗りつぶして長崎にゴールするのだ駅伝だから私と小波が交互に走る。私から走り始めたとすると、小波が5kmぐらい先に、車で先回りして、待っておく。そして、そこから先の5kmを小波が走る。その繰り返しである。


2日連続の時は車の中に寝る。そうして、翌朝から走る。ジョギングペースで、走ると、1kmを約6分である。そうすると1時間で10km、5時間走って、50kmである。実際一人が走るのはその半分で、休み休み、そして、誰と競走するわけでもないので、比較的楽だ


今までは九州しか走れなかったが、ゆっくりなったら、日本一周でも十分可能だ。そして、今まではできなかったが、時には地域の方との交流をしながらできる。その時、ギターが役に立つのだ。


そんなことを夢見ながら、ギターの練習をしている。 




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滄州での体験 | 10:32:21 | Trackback(0) | Comments(0)
お金

お金



中国で買った靴。よく見ると、カンガルーは、メーカー名、イタリアデザインと書いてあった。




 日本から出る時、中国元は全然持って行かなかった。着いて早々1ヶ月分の手当の前借り分3000元(45000円)と、日本で支払っていた保険代と、ビザ申請代会わせて、23000分相当の元をもらった。おそらく1ヶ月3000元は使いきれないでしょう、と言うことだった。


はじめの携帯電話とギターは大きかったが、その後の出費も少なく、結局は3ヶ月でほとんど1ヶ月分ぐらいしか使わなかった。本当は日本から出るときには処分前の古い衣服を着ていって、中国で買い換えようと考えたのだが、実際は寒くなるのが予想され、ダウンの外套まで持っていったりして、結局はほとんど買い換えなかった。ただ、革靴だけはいよいよダメになっていたので、デパートで買い換えた。カンガルーと書いてあったが、カンガルーの革製なのか、メーカー名なのかは分からない。日本円で、6000円ぐらいだったと思う。履きやすい靴だ。お金が余る生活をしたのは60年以上この世に生きてきて初めての経験だ。


中国のお金は古くて、ボロボロだ。100元など大きなお金は中国人は必ず空かして見て、確かめる。偽札が横行しているのだろう。


日本からいくら持っていけばいいだろうか、ということだが、不屈の前畑さんは全然要らないよ、でも、心配なら3万円であとは日本国内の旅費ぐらいかな、という。


ほんとにたくさん持っていく必要はない。どうしても、けんか別れして、飛び出して帰ってくることが心配な人は北京1泊分と、北京から片道の飛行機代それに国内で家に帰り着くまでの費用ぐらい持っていけば、安心だろう。たくさん買わないなら、おみやげ代も余った手当の中から出るし、基本的に元は持ち出せないのである。このブログの中で、 滄州外経の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。なお、日本人教師の募集はこのブログのみで行いますので直接滄州外経には連絡しないでください。質問等については、ブログでコメントをしてください。ブログ記事でお答えします。   



 






滄州での体験 | 14:53:59 | Trackback(0) | Comments(0)
建設中の女子研修センターを見学

建設中の女子研修センターを見学



工事は内装工事の真っ最中。12月頃完成予定。




女子の研修センターは街の北東のはずれにある。元小学校のあとを借りているそうだ。トイレ等も水道が1個しかないとか、食堂までは遠いとか、あんまり条件がよくないらしい。そこで、新しいセンターを建設中だ。日曜日が挟まり、まだ、授業が始まらないので見学に行った。


今度は街の南の方で製薬会社があったところを買い取って、建設中だという。もちろん買い取ると行っても中国のことだから、権利を買い取るのだと思う。一部は改築、一部は新築で、すでにだいたい外装までできていて、内装の真っ最中である。12月頃に完成するという日本人教師の部屋も併設されるので、そのうちにそこに入ることになるとのことであった。食堂もセンター内に設置されるけど研修生用はあんまりおいしくないでしょうと言うことだった。ただし、日本人用の調理室もあるそうだ。


夜は私たちを歓迎しての食事会があった。このあと、いろいろな機会に食事会があり、おいしい中華料理をたらふく食べることになる


どんなセンターができるのか、楽しみだ。 



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滄州での体験 | 18:48:53 | Trackback(0) | Comments(0)
先生

先生



中国人老師、指導員の先生との会議。もちろん、日本語で。




 


滄州外経日本語研修センターには三種類の先生がいる。まずは中国人で日本語検定1級度以上の経験を積んだ先生である。研修の全体を統括している。研修生たちに対しては教材に従って基本的な文法を教えるが、日本の受け入れ組合や会社との連絡調整等、重要な仕事を受け持ち、多忙である。

次が指導員といわれる先生で、日本語検定2級程度以上の実力のある中国人先生だ。各クラスを担当して指導し、文法の指導の後を受けて練習や補充をし、自習時間や寮生活の管理も受け持っている。

次は私たちのように3ヶ月ビザで入り、ボランティア的に日本語会話を教える日本語教師である。これも、文法の指導の後を受けて、日本語の生の会話と日本の文化や、習慣など日本での生活に適応する指導するのが使命である。

中国人の先生たちのほとんどは滄州外経で日本語研修を受けた上、日本で3年間の研修を経て帰ってきた人たちだ。日本から帰ってくるころ、ほとんどの人は日本語がかなり上手になっている。しかし、その中でも特に勉強した人たちは日本語会話2級の資格を取って帰ってくる。そういう人たちの中から更に選ばれて、指導員として採用されるので、滄州外経の先生たちはみんな優秀な先生ばかりである。

これからは混同しないようにそれぞれを中国人老師、指導員の先生、日本人教師と呼ぶことにする。




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滄州での体験 | 16:18:57 | Trackback(0) | Comments(0)
先生(2)

先生(2)


中国では先生のことを老師(ラオシ)という。それは知っていたけど、 私がギターを習った先生は大学生ぐらいの若い先生だった。こんなに若い人に老師といってもいいのか、失礼ではないのか、と、これまた私の子供のように若い指導員先生に聞いたとこどんなに若くても老師は老師だ、という。考えてみれば日本語の先生という言葉の使い方も同じである。別に先に生まれていなくても先生は先生なのだ。


中国ではという文字は敬意のこもった意味があるようだ。老王といえば、王さんと、敬意を込めた言い方になる。中国は儒教の国だ。年長者を大事にする。日本では最近老人のことを、高齢者などと言うが、中国人には理解できないことだろう。


そういえば、不屈の前畑さんから、中国で、バスの中で、席を譲られた、という話を聞いていたが、私も、40代の女性から席を譲られた。「私はまだ、元気なんだけど、………」と、とまどったのだが、ここでは素直に受け入れるのが礼儀だろうと思って、金縛りの口を無理にこじ開けて。謝謝といって、座った。


不屈の前畑さんも、まだ、席を譲ってもらえる年齢にはとうてい見えない。日本だったらあと10年たってもそんな場面に出くわすかどうか、分からない。そんな前畑さんが素直に座ったのか、中国語で突っ張って断ったのか、私は聞いていない。




 


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滄州での体験 | 17:38:11 | Trackback(0) | Comments(0)
1日の研修日程

1日の研修日程



日本語の勉強を中心に徹底的にたたき込まれる。




私の担当は男子研修生の3クラスだ。各クラスとも30人以下。Aクラス足場組み立て実習のいくつかの組合の混合編成で29人。Bクラスはダイサンという足場組み立ての組合の18人。Cクラスは足場組み立て、鋳造、機械関係などの研修生で、すでに3ヶ月の研修が済んだが十分に成果が上がらなかった者や、日本側との受け入れ時期調整のための期間で、継続研修を受けるものなどの混声の補習クラスで構成人数は刻々と変わる学級である。


AクラスとBクラスは前任の笹原さんがひらがなとカタカナの50音を教えており、いわゆる第1課から始めるクラスである。Cクラスは今までの復習をする。


私の日程は、月曜日から土曜日まで、8時30分から10時までがAまたはBクラス。10時から10時30分までが休憩時間。10時30分から12時までが、逆でBまたはAクラス。12時から13時30分までが昼食を含む休憩時間。13時30分から15時までが、Cクラス、と単純である。


一方、研修生たちは朝、8時の朝自習から始まって、20時30分の晩自習終了まで、日本語の文法(中国人老師)、演習(指導員の先生)、会話(日本人教師)を基本に、足場組み立て実習、集団訓練、中国の音楽、法律等、短期間にたくさん詰め込まれる。


 



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滄州での体験 | 19:47:50 | Trackback(0) | Comments(0)
研修生はどんな人

研修生はどんな人 



声をそろえて、大きな声で




男子の研修生の場合は30歳前後の人が多い。一応経験者を募集するというから、足場組み立ての場合、それに近い仕事をしていた人たちである。ほとんどが、田舎の中学校卒業者で結婚して子供を持っている者が多い。すなわち、一家を支える大黒柱となるべき人であり家族からの期待が大きい。


会社(本社)の前の大きな看板に出国打工(ダーコン)と書いてある。打工とはいわゆる出稼ぎのことであり、日本へお金を稼ぎに行くのである。そのために、滄州外経にたくさんのお金を払うのだが、3年後中国に帰るときにはその数倍のお金を確実に持って帰れるのである。先に、女子の軽作業の場合200万から240万円のお金を持って帰ると書いたが、男子の場合重労働のため更に高額のお金を持って帰ることだと思う。


研修の態度は非常にまじめである。日本では考えられないほど大きな声で、声を合わせてテキストを読んだり、会話をしたりする。また、教師に物を出したり、受け取ったりするときには捧げるように受け渡しするし、廊下ですれ違うときには立ち止まって、大きな声で、挨拶するので、前に進むのに躊躇するぐらいだ。みんな陽気で、家族思いの人たちだ



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滄州での体験 | 21:18:55 | Trackback(0) | Comments(0)
3人の先生の連携

3人の先生の連携



滄州外経で使う教科書。日本語版と中国語版



 教科書は海外から日本に来る研修生用に作られたもので、中国語ばかりでなく、いろいろな言語用のものがある。この手の研修所では一般的に使われているものである。


日本へ来る研修生は知的レベルの非常に高いグループから、そうでないグループまで様々である。残念ながら、今から始める研修生そうでないグループであることが予想される。そのほとんどが、中学校を卒業をして、希望する仕事に就けず高所作業に従事しているのだ。仕事は厳しく、とてえも、本を読んだり、語学を勉強したりする時間は持てなかったはずだ。しかし、卒業から15年以上もたっており学問とはずっと離れた生活をしてきた。


しかし、ここで、家族の幸せのために一念発起、日本に行って、お金を稼いで、豊かな生活をしようとする者たちである。大事な家族を置いて日本で働こうという彼らにとって、気持ちだけは満々である。


先に、韓国語を勉強したとき、韓国人の先生から習ったが、あまり上達しなかったと述べたが、ここではその欠点が見事に解消されている。私たち日本人が文法的なことを話しても彼らの知りたいことを適切に教えることはできない。また、中国人が会話を教えても、実践に役立つ会話や細かい表現を身につけさせることができないであろう。ましてや、私たちが演習をさせても無駄であろう。


そこで、滄州外経では立場と能力の違った3人の先生がチームを作り連携し、それぞれの役割をきちんと果たすことによって、総合的な力を引き出せるように工夫してあるのだ。


Aクラスは金老師と張指導員 そして忠野。Bクラスは金老師と竺指導員 そして忠野。 Cクラスは王老師と竺または張指導員 そして忠野。この組み合わせで、やっていくことになった。




 


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滄州での体験 | 18:32:43 | Trackback(0) | Comments(0)
教科書

教科書



ちょっと手強い教科書。研修生はこの1冊(中国語版のあるので実際は2冊)を徹底的に覚える。




 上の写真は日本語版教科書の第1課である。2ページに渡って、文型と文例、そして会話例が載っている。更に6ページに渡って、練習問題が載っている。


まず、金老師が別の中国語版の文法解説編で、文法を教えた後、私がこの2ページを中心に徹底的に丸暗記させ、練習問題から抜粋して応用会話をさせる。同時に指導員の先生が練習問題をさせる。


見て分かるように、中学校で初めて英語の教科書を手にしたときよりも、文字の数も多いし、内容も豊富だ。明らかに知的レベルの高い人向きの教科書だと思う。それでも、やらねばならぬ。1課から25課まであるが、1週間に2課ずつ進むと、文字の練習等もあるので3ヶ月で全部はできない。従って、19課までをめどにしている。補習などで残って研修を受ける者は25課まで、全部をやる。


文型のところを転載すると、
  1.わたしは ラオです。
  2.ナロンさんは日本人ではありません。
  3、アリさんは研修生ですか。
  4.りーさんも研修生です。


日本人から見ると、なんでもない文だが、助詞の感覚が全くないのに、「は」と「も」の二つの助詞があり、さらに、肯定と否定の文がある。それに、例文と会話ではさらにいろいろ入ってくる。大変苦労するところだ。特に、慣れるまでの、1課から6課ぐらいまでは大ごとだった。 




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滄州での体験 | 20:10:59 | Trackback(0) | Comments(0)
会話練習(1)

会話練習(1)



できるだけ、多くの会話の機会を




足場組み立ての作業は危険を伴うので、日本語をきちんと教えてください、といわれる。高所で右に行けというところを左に行けば、落下の危険性があり、命の問題だからだ。それで、会話では実際に即して、できるだけ会話する機会を多く取る。


たとえば、こうだ。
    A: いらっしゃいませ。
    B: このかばんはいくらですか。
    A: 3500円です。
    B: じゃ、これをください。
と、例文にあったとする。


 1 まず、私が日本語で言うのを、 中国語で何回か言わせる
 2 次にクラスを二つに分けて、それぞれをAとBとし、向かい合わせて日本語で声を
  を合わせて
言わせる。
 3 そして、向かい合った一人一人に順番に対話させる。
 4 最後に席を離れて、それぞれ別の3人の人と対話させて、戻らせる。


こういう具合にだ。


 そして次はAとBの役割を変わって同じことを繰り返す。そのころは、値段を変えさせたり、
かばんをカメラに変えさせたり
して対話させる。もちろん最終的には教科書は見ないで言えるようにさせる。





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滄州での体験 | 22:11:06 | Trackback(0) | Comments(0)
会話練習(2)

会話練習(2) 



 この赤いかばんはいくらですか?じゃ、この黒いかばんは?




 


教科書を使っている以上、教科書はバイブルである。しかし、会話練習については教科書通りやればいいというものではない。教科書に乗っとって、できるだけ実際の場面に即して、対応させることが必要だ。たとえば、前回の教科書の会話にちょっと味付けをする。


たとえば、
    A: いらっしゃいませ。
    B: このかばんはいくらですか。
    A: 〇〇〇〇円です。

    B: じゃ、このかばんはいくらですか。
    A: 〇〇〇〇円です
    
B:
 じゃ、これをください。


この場合Aの売り手にはあらかじめ二つのかばんに値段を付けさせておく。または、その場で値段を付けさせる。そうして、買い手はどちらが安いかを判断して買わなければならないようにする。



もちろん単なる繰り返し練習は絶対必要だが、判断する場面をつくり、それに対応させる訓練もまた絶対必要だ。




 


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滄州での体験 | 00:10:02 | Trackback(0) | Comments(0)
キョロキョロカンニング

キョロキョロカンニング



「カンニングは止めましょう」、「ハーイ」、とはいうものの。



いくら会話が大事だと言っても、書くこともおろそかにしてはいけない
生まれたての赤ちゃんは文字による言葉の習得はできないが、大人が学習するときは大いに活用すべきだ。ただ、文字が主になってはいけない。


毎時間、少しの時間を使って書取のテストをした。教科書と同じ文をこちらが読んでそれを書くわけだが、研修生にとってはそれが、むずかしい。前から見ていると目がキョロキョロ動く。カンニングだ。こちらからは実によく見えるが、本人たちはこちらから見られていることが分からないのだ。ただ、本当に見たかどうかは判定できない。


この程度のカンニングは時代を通して、万国共通だ。私にも経験がないとは言えない。ただ、私の場合、それが成功した憶えもない。だから、この研修生たちもその程度だろうと思い、目くじら建てるほどの者ではないと思っていた。カンニングがあまりにひどいとテストの意味はもない。だから、このテストは自分の勉強の成果を確認するためにするのだから、成績とは直接は関係ないと言っている。


しかし、キョロキョロカンニングはひどくなる一方だったから、最もひどい(へたな)ヤツ見つけて、「君はテストを受ける意味がない。今から、私と一緒に監督をしなさい。テストは0点だ。」といって、監督をさせた。彼は青ざめて、前に立った。そうするとみんなのキョロキョロは一切なくなった。2日目も監督をさせたら、そのあと、班長(クラス長)と一緒に謝りに来たので、許してやった。それからはキョロキョロカンニングは皆無ではないが、かなり減った




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滄州での体験 | 19:50:54 | Trackback(0) | Comments(0)
怒りの日中連携

怒りの日中連携



まじめに勉強する研修生



 

失敗するようなキョロキョロカンニングは、かわいいもんで、まだ許せるが、悪質なカンニングは許せない。


小テストは文を一字一句間違わないように書いた者を「」、句読点など、ちょっとした間違いを」、それ以外を全部「×」として採点した。問題は分かっているものだから、60%は「〇」で、10%がぐらいが「×」をもらっていた。「×」のなかでも、ほとんどは文をある程度書いていたが、A君だけはほとんど1文も書けなかった。だから、毎日1時間ぐらい夜自習の時間を利用して、部屋に呼んで個別指導をしていた。少しは変化があったとは思うが、依然他の研修生並みには行かなかった。


ところがある日、小テストで、いきなり、「〇」を取ったのだ。それまで、用紙の管理をあまりよくしていなかったので前日余った紙を取っておいてそれに事前に書いて提出したのが、すぐに推測された。それで、次の日はちょっと紙の大きさを変えてテストをしたところ、また、「〇」だった。それで、部屋に呼んで、もう一度同じテストをしてみたら、案の定「×」だった。あっさり白状した。


金老師も据えかねたところがあったと見えて、私が怒っていろいろ言うと、もっと言ってくださいよという目をして、私の言葉を訳してくれる。早口の中国語の中に独特のイントネーションの「タイドゥ」という言葉が何度も聞こえる。これは「態度」に間違いない。私が言っていることに付け加えて、日常の態度の悪さについて付け加えて言っているようだ。怒りの日中連携だ。わたしは、彼のために特別に時間を割いて個別指導をしてきたが、今後一切しないことを伝えた。実際その後成績の悪い方から6人を個別指導したが、一番に該当するはずの彼は除外した。


金老師と話し合ってこのままでは日本へ行けるだけの学力は保証できませんという報告書を社長に上げることにした。


ここでは研修態度が悪いと、家に帰されることがあるという。成績が、悪いだけだったら、補習を受けて、日本へ行く時期が遅れるだけだろうけど、他と条件と重なれば本当に家に帰される。そうなったら、本人にとっても家族にとっても大変なことになる。滄州外経に支払った研修派遣費も戻ってこないはずだ。日本に派遣されてからいろいろな問題が起これば日中双方にとても本人にとっても大変困った問題になる。私は心を鬼にして、報告書を書いた。


ところが、その後、2回ほど、実習をさぼる事件が起きて、とうとう家に帰されるはめになった。しかし、親(保証人)が謝りに来て、なんとか復帰はしたというが。




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滄州での体験 | 21:23:11 | Trackback(0) | Comments(0)
思わず吹き出した(1)

思わず吹き出した(1)



数字をとっさに言えるように「番号!」の号令をかけた。




言葉を覚えるときに、数字を覚えることは何よりも大切である。買い物だって、仕事だって、数字なしには過ごせない。しかも、考えずにとっさに言えることが大切である。


そのための練習法として、私は整列などの時に使う、「番号!」と号令をかけて、数字を順に言わせたり、逆に言わせたりして訓練していた。また、「2,4,6,8,10,」や「5、10、15、20、30」も言わせた。全体の流れの中で途切らせないようにすることはかなり緊張するものだ。その緊張感が、力になると考えている。


どういう訳かほとんど30歳代という研修生の中に特別若い、20歳の研修生がいた。彼は若いせいか、物覚えがよく、抜群の成績だった。


あるとき、「番号!」と号令をかけると、番号をかける時に15,16,17,18,19、ハタチ!、と言ったヤツがいる。20に当たったのはまさしく二十歳の若者だった。ふざけているわけではない。


私は思わず、吹き出した。指導員の先生も吹き出した。私たちが、大声で笑ったので、途中でとぎれた。残りの研修生はなんだか訳の分からないような顔をしている。二十歳の若者は不満そうな顔をしていた。




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滄州での体験 | 07:33:42 | Trackback(0) | Comments(0)
思わず、吹き出した(2)

思わず吹き出した(2)



「どうしたんですか」   「おなかがいたいです」



ある日の授業中、B君が突然前へ出てきて、「先生、頭が痛いです。」という。
見ると、おなかを押さえ、腰をくねらせながら、青白い顔をしてせっぱ詰まっているようだ
私は全てを悟り、さあ、早く行きなさいと外へと促した。
あの仕草はどうしてもトイレに行きたいのだ。私は笑いをこらえきれず吹き出したのだが、他の研修生にはこのやりとりはほとんど聞き取れていなかったようだ。


B君は数分後、何事もなかったような爽やかな顔をして、教室へ戻ってきた。


「B君、さっき、どこが痛いと言って出て行きましたか。」
「はい、おなかが痛いと言って行きました。」
「私には頭が痛いと聞こえたんだが、君の頭はこんな所にあるのかね。」と、おなかあたりを指さした。
「はい、さっきはおなかか頭か、分からなかったので頭と言いました。でも、先生が笑ったのでおなかと分かりました。」
これは、通訳としての指導員の先生を介しての会話である。


研修生一同、大笑い


日本人教師には日本語で話しかけるように言われているので、どうしようかと、ずいぶん迷ったに違いない。そして、いよいよせっぱ詰まってから出て来たはずだ


日本で生活すると、こういう場に出くわすことが結構あるはずだ。
そこで、これを、すぐ教材として取り上げた。

   「どうしたのですか。」
   「おなかが痛いです。」


この会話を練習した。
もちろん、「おなか」の部分を、「頭」、「歯」、「足」……などに置き換えて、
ジェスチャーと表情を交えてしたのは当然である。




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滄州での体験 | 16:29:27 | Trackback(0) | Comments(0)
街は交通博物館

街は交通博物館



練炭を運ぶ荷馬車。 用途は限られるが、荷馬車はあちこちで見かける。



これでも動くのか、と思われるような車が実際に動いている。



電動自転車は快適。日本の電動自転車と違って、人力(ペダル)は補助動力だ。


 




滄州の街には日本では考えられないような古い車や三輪人力車、馬車などが走っている。かと思えば、最新型の日本製高級車、スイスイと走る電動自転車………。日本で言えば昭和20年代から現代まで、全ての車が走っている。まるで、に街全体が動く交通博物館だ。


特に、電動自転車の普及はめざましい。もともと、街全体に高低差がほとんどないが、音もなくスイスイと走る人たちはこの町ではちょっとハイクラスな人たちだ。ここでは新車が2万円以下で手に入る。持って帰りたいぐらいだが日本では交通法規上乗れないはずだ。もちろん、こちらの給料からすれば、そう安いものではないが、私が買った携帯電話と同じぐらいといえば安く思える。


滄州外経に勤務する3人の中国人老師は会社からよく仕事をし、功績があったとして電動自転車をもらっている。それが、日本で言うボーナスの全てかどうかは知らない。でも、老師たちは会社とセンターの移動の際に使うなど、実際、仕事上でも使っているし、大変頭のいいやり方だと思う。もちろん老師もそれ以上に通勤等に助かってはずだが




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滄州での体験 | 20:00:09 | Trackback(0) | Comments(0)
滄州の交通事情(1)

滄州の交通事情



舗道は商売空間だ。人々はやむなく低速車用車道を歩く。




 


滄州の市街地は大ざっぱに言えば一辺が7〜8kmの大きな道路に囲まれた長方形の街と言える。街は、数本の大きな道路が縦横に通じている。


その大きな道路はおおむ真ん中に上下4車線の高速車用の車道があり、その外側に安全地帯を設け、更にその外側に上下2車線の低速車用の車道がある。そして、更にその外側に舗道があり、全部で50メートルぐらいの道路となる。


ところが、実際は一番外側の舗道は商売の空間である。店があるところは、店を広げ、店がないところは、誰かが露天を広げている。そして、店も露店もないところは敷石がはげ、ガタガタだったり、掃除をしていないので、犬の糞が散乱していたり、実際に歩くのにはとても、不便なところである。それで、人々はみな、低速車用の車道を歩く。この部分は、市から常に清掃作業員が出ており、比較的きれいに掃除してある。


安全地帯まではスムーズに行けるが、高速車用車線を横切るのは大変である。私はまずは、交差点では道を渡らないようにしている。交差点では車は右折(日本で言うと左折)はいつでもできるので、歩行者用信号の正面が青でもいろいろな方向から車が来る。したがって、私は交差点を少し離れたところで渡る。ここだったら単純だ。真ん中まで、左だけを確認して渡り、真ん中から右だけを確認して渡れるからだ。渡っていても車は止まってくれない。スピードも緩めないで、予測運転をしている。中国人は歩く方も止まらない。普通の速さの歩き方で、予測歩行をしている。予測と予測がうまく合うのでいい。ちょうど、ポパイの漫画やチャップリンの映画で出てくるように、空中で、クレーンにつるした建築資材の上を歩いていて、足が、はずれようとすると横から、すっと次の資材が出来て落ちないような。そんな綱渡りのような感じがする。日本人の私にはそんなことはできない。車道の脇で車がとぎれるのをじっと待って、急ぎ足で渡る。待っていると大抵タクシーが止まる。だから、タクシーが来そうなときにはクルッと、後ろ向きになったり、靴のひもを結ぶふりをしたりする


中国人と一緒の時には私と腕を組んで、しっかりリードしてくれる。中国人が二人の時は両脇から抱えるようにしてリードしてくれる。中国人が4人いたら両手両足を抱えてく担いでいってくれるのじゃないかと心配しているが、まだそんな経験はない。日本人は渡るのがへただから、会社からしっかりガードするようにとのの指示があるのだろう。不屈の前畑さんも同じようなことを言っていた。日本だったらおじいちゃんと娘がくっつき合って、道を渡っている異様な光景だ



滄州での体験 | 00:22:44 | Trackback(0) | Comments(0)
滄州の交通事情(2)

滄州の交通事情(2)



バイクと車の事故現場を見た。もめているが、どっちも悪い。
怪我がなくてよかったと、
ふたりで、お祝いをすべきなのに。



もし滄州で命を落とすことがあるとすれば、それは、交通事故だと思っている。ここ、滄州にいるかぎり、反日感情によるトラブルは考えられないし、治安上の問題も通常の生活をしている限り、ほぼあり得ない。病気によるものは日本にいるよりも少し高いだろうが、注意をしていれば問題はない。おかしくなたらすぐに帰ればいいし、3ヶ月の滞在だから帰ってから治療しても十分間に合う。もちろん、旅行保険で滄州の病院にかかることもできる。 


日本では、一時、交通事故による死者が1万人を超していたが、最近では6000人台に減っている。車の数は確実に増えているのに死者が減っていると言うことは、いろいろあるが、警察の取り締まりや、指導による交通モラルの向上が最大の要因だと思う。
中国では日本より車の数は少ないのに交通事故の死者は5万人を超えているという。私は滄州で生活してみて、さもありなんと思う。あの運転の仕方、あの、道路の渡り方、考えただけでも、事故が多いのは納得できる。


日本の車はいつでも内も外もピカピカだが、中国の車はいつでも薄汚れている。車体が汚れているのは全然問題はないし、私の車も同じだ。しかし、窓が、曇っていたり、汚れていたりするのも当たり前だ。日本人ならとても気になって運転できない状況だが、中国人はガンガン運転する。酒を飲んでの運転も日常茶飯事だ


タクシーに乗っているとき、私はシートベルトを必ずするが、しなくてもいいですよと言われる。私はしなければならないからするのではなく、私が死にたくないからするのである。126歳まで生きると決めている私にとって交通事故で死ぬことほどバカバカしいことはない

ある時、尹社長から国際免許状は持っているかと聞かれたことがあるが、私はいつでも取れるし取りたいと思っているが、中国で運転する気はないと言った。レンタカー部門を止めた滄州外経には車がたくさん余っているが、それを生かそうという考えだったのかどうか知らないが、私は、日本人は運転しない方がいいし、させない方ががいいと思う。市内の交通手段はいくらでもある。


今まで海外にいろいろな国に行ったが私がすぐにでも運転できる国はニュージーランドとオーストラリアぐらいだ。ニュージーランドを小波と二人駅伝で縦断することは日本一周駅伝よりもうんと易しいと思う。




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