賑わう釜山国際市場
60歳は還暦。生まれた年 の 干支 に再び還る。すなわち暦の上で0歳から再出発するということだ。
考えてみれば、昔は60歳以上まで生きる人はごくわずかだった。であれば、これからの人生は現代に生まれたもののみが授かった何よりもありがたい贈り物であり、大切にしなければならない。
私は人生を二度生きたといわれる伊能忠敬よろしく、第二の人生を今までと全く違った生き方をしたいと思った。そこで、第二の人生を生きる私の名前を忠野小路(ただのおじ)と決め、ワクワクした気持ちで60歳定年退職の時期を待っていた。忠野の「忠」は伊能忠敬様から勝手に一字頂き、「小路」は忠敬様にあやかり人生の小路をただひたすら歩もうというものだ。
ところで 私は昔から外国で過ごしてみたいという夢をもっていた。新しい人生の出発に当たり、またとないチャンスが訪れる。そのため、私は定年退職を前に、韓国語の勉強を始めていた。私の住む九州からは船で3時間足らずで釜山に着く。ツアーだったら2泊3日で2万円そこそこで行ける韓国。国内でもこんなに手軽に行けるところは限られる。韓国語の勉強もいよいよ楽しくなってきた。そこで、3月末に退職し、8月頃まで韓国語の仕上げの勉強をし、9月頃から韓国に行こうと決めていた。仕事は何だっていい。韓国人に日本語を教えることだったらなんとかできそうだし、釜山の国際市場で日本人観光客相手の客引きのアルバイトをしてもいい、などと考えていた。
ところが、退職まであと1ヶ月ぐらいになったある日のこと、仕事上の先輩の前畑さんから電話がかかってきた。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
不屈の男、前畑さん
講演する原辰徳監督
退職を間近に控えて、前畑さんから電話がかかってきた。前畑さんは私と同じ仕事をしていた先輩で、私より数年早く定年退職している。在職中、同じ会合に出る機会や一緒に飲む機会は多かったが、同じ職場で勤めたことはなかったし、特に親しいという間柄でもなかった。
しかし、彼については強い印象が残っていた。退職の3年前、彼は脳梗塞で倒れた。はじめは半身麻痺で職場再起を危ぶまれていた。しかし、みごと立ちなおって復帰したのだ。まだ、口元に少ししびれが残る状態ではあったが、初めて会議に出て来たときには本当に自分のことのように、うれしく思ったものだ。
後日談ではあるが、ちょうどそのころ、仕事関係で記念式典をする計画があり、その一環として巨人軍監督の原辰徳氏の講演会を開くことを決めていたのだ。職場の責任者である彼はテレビでしか見たことのない原辰徳氏を自ら宮崎のキャンプ地に訪れ、講演を依頼した。彼が倒れたのはうまい具合にその交渉が成立し、その準備が進んでいる最中の出来事だった。式典の時までにはぜひ治りたいという気持ちが快復を早めたのだという。もちろんその式典は大成功に終わった。この執念、それだけでも大したものだと思っていたが、話題はまだある。
彼は中国に生まれ、8歳まで中国で育った。引き揚げ港へ行く途中、錦州という町で迷子になったという。混雑の中で30分間ほどではあったが、完全に親の手を離れてしまった。無事に再会できたからよかったものの、ちょっと間違っていれば残留孤児として中国をさまよっていただろう、という。今も、当時住んでいた中国の街の様子を覚えているそうだ。それだけに中国を第2のふるさととしてこよなく愛している。彼が中国の歴史、地理、文学に詳しいのはそのためであろう。彼はまた、中国人もびっくりの書道家であり、囲碁についても達人である。
私たちの仕事関係では退職する前に後輩たちに向かってスピーチをするのを恒例としている。彼はその時に退職後実現したい夢について話した。それは中国で日本語教師になるということであった。私も密かに韓国へ行きたいと思い、準備を始めていたのだが、一度脳梗塞で倒れた人が、明るい希望を持って夢を実現させようという姿に、力づけられたものだった。しかし、残念なことに彼は健康上の理由で書類審査ではねられてしまい、実現できなかったのだ。現実は厳しかった。
ところが、1年以上経ったある日、彼は上海で日本語教師をしているという噂を聞いた。信じられないようなことだが、健康上の問題を解決し、1年前の同じ審査に見事合格することができたのである。そして一度上海で日本語教師を経験したあとは、中国政府労働局の担当者と直接交渉するるようになった。そして、中国各地で何度も日本語教師をし、今や日本語教師のベテランとして活躍している。私は更に彼の強い意志と実行力に恐れ入った。
ところで、私自信の退職前のスピーチでは「今までの古い上着を脱ぎ捨てて、忠野小路(ただのおじ)と名前を変えて新たな人生を歩きます。」と宣言した。「その手始めに9月頃から韓国に住む予定だ。」とも言った。また、「不屈の男、前畑さんのように第二の人生を主体的に力強く生きたい。」と言ったことも憶えている。
不屈の男,前畑さんから突然の電話があったのは、たしか、2月の下旬のことだった。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
チンタオへのお誘い

店頭に並ぶチンタオビール 中国を代表するビールだ
不屈の男、前畑さんから初めての電話がかかってきた。
「もしもし、どげんしよんね。」(もしもし、どうしてるかい。)「あんた、よかなら中国に行かんね。」(君、よかったら中国に行かないか。)……………。
中国で日本語を教える教師をしてみないかというお誘いである。
「中国語は全然できませんが……………。」
「あんた、日本人じゃろが。じゃったら日本語の専門家じゃんね。」(君、日本人でしょうが。だったら日本語の専門家じゃないか。)「日本語ば話しきっと良かつ。」(日本語を話せるのならいいんだ。)
話しっぷりまで豪快である。それで,「私にもできるのかな。」と何となく納得したような気持ちになった。
場所はチンタオ市立技工学校。高校や大学を卒業した人が1年課程で実務的な工業技術を習得する専門学校らしい。ほとんどが日系企業に就職するために日本語の時間があるが、そこに日本人教師を配属するという。今度初めて立ち上げる事業である。
私は突然のことに驚いた。韓国へ行くことは考えていたが、中国のことは全く頭になかった。しかし、私は外国での生活をしたかったのであって、実はどこでもよかったのだ。
私は「行きます。」と即答したかったのだが、家族に韓国へ行くことは了解取っているものの、中国へ行くことは了解取っていない。前述のように韓国は九州の中部にある 自宅からなら、思い立ったその日にまるで、広島に行くぐらいの気軽な気持ちで行ける(実は広島の方が旅費は高い。)のだが中国となるとそうはいかない。
そこで、私はとりあえずv「私自身は行きたい気持ちですが、家族に相談します。」と答えておいた。
実はチンタオとは電話でその位置を聞いたけどよく分からなかったし、どんな街かも知らなかった。ただ、「チンタオビール」の名は聞いたことがあった。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
青島は南の島かと思っていた
チンタオへ行かないかと電話がかかってきた。しかし、チンタオについてはほとんど知識がなかった。知っていたことはチンタオは青島と書くということと、青島ビールが有名だと言うことだ。そして、実は青島は南の方にある島のというイメージを持っていた。ところが前畑さんとの電話の中で、黄海や遼東半島、山東半島そして渤海湾などと話が出てくるものだからこれはちょっとちがうな、と思った。その後インターネットで調べたところ上の地図のところだった。そして、青島は一時ドイツの支配下にありヨーロッパ風の建物が並ぶ風光明媚な街だそうだ。さらに、中国で急激に発展している沿岸部の都市の一つで、日本企業も多数進出しているそうだ。青島ビールは中国ではもっとも有名なビールだが、実はドイツの統治時代から培われた技術で作っているのだそうだ。なるほど、と納得できた。
更に驚いたことには福岡空港からほぼ毎日定期便が飛んでいると言うこと。福岡から毎日定期的に飛ぶ定期便がある町は北京、大連、上海ぐらいだろうと思う。九州からは手軽に行ける街なのだ。九州に住む私が、そんなに身近な街であることを知らなかったのを恥ずかしく思う。
ところで、友達何人かに青島のことを話したら、やっぱり、南の方にある島だろう、と言った。おそらく九州ではかなりの人がそう思っているのではないかと思う。というのは九州の南の方に青島(あおしま)というところがある。宮崎県の南国情緒あふれる観光地だ。また、中国の海岸線で、いちばん南にあたるところ、ベトナムに接するところに海南島という島があり、青島がどうもそこのイメージとダブるのだ。だから青島というとそちらを連想してしまう。全国の皆さんはどうなんだろう。
九州育ちの私はちょっと緯度が高いので、寒さがちょっと心配だが、魅力のある街だ。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
チンタオに行くことにした
前畑さんの話によると、中国で日本語教育をしているときに中国政府労働部の梁さんから電話があり、青島で日本語を教える人を紹介してほしいという。高校や大学を卒業した人に就職のための技術を教えるための学校なので、労働部管轄なのだ。そして、日本に帰る途中に北京に寄って会ってきたという。さらに高速道路で5〜6時間かかる青島まで下見に連れて行ってもらったという。
青島は背後に緑溢れる岩山がそびえ、また、穏やかで澄んだ海に面していて街もとてもきれいな街だそうだ。特に北京オリンピックのヨット会場にもなり、今、整備の真っ最中で今後更にきれいになる。学校は海に面したところにあり、校内の食堂の二階の宿舎からは風光明媚な海と、反対側には市場が見える。
授業は午前中のみで、あとの時間は自由に使える。文法を教える中国人の先生が一人いて、日本人は主に会話の実習をする。期間は9月から1年間である。韓国に行くのも9月からのつもりだったのでちょうどよい。住居も日本人向けに改装するそうだ。
この内容で、私は大変気に不安も解消したので、早速家族に相談したらOKの返事が出た。どうせ、韓国に行こうとしていたのだし、福岡から毎日便があるのなら、と言うわけだ。
中国語は全然できなくてもいい、とはいうものの、やっぱり、不便だろうし、交流ができなければおもしろくないだろうということで、退職を迎える4月から中国語を勉強し始めることにした。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、ご希望の方は毎日チェックいてください。
60歳から70歳までが本当の青春
15歳から150歳まで、みんな青春!!おおむたグリー
いよいよ定年退職の日を迎えた。三十数年の間、よくがんばってきたものだ。仕事は大好きだったし、自分に合っていた。ただ、いつも時間に追われていた。
管理職になってからは、少しは時間に余裕ができて、私としてはいっぱい夢を実現させようとしたものの、窮屈な生き方を余儀なくされた。いろいろ頑張ったが、管理職になるまでが、90点だとすると管理職では80点と言うところか。ちょっと残念だけど可もなく不可もなく過ごしたというのが私の評価である。
そんな中で、ひとつだけ続けてきた趣味、男声合唱がある。創立以来18年間ではあるが、どんなに忙しくてもずっと練習に参加している。学生時代と同じ趣味をできることは幸せである。忙しい中でのほっとした時間をもてる。
この合唱団のキャッチフレーズは「15歳から150歳まで、みんな青春!!おおむたグリー」である。15歳とは声変わりをしたらすぐ、という意味で、150歳は死ぬまで、という意味だ。合唱をしていると長生きをしますよ、というメッセージも含まれる。
ところで、私は周りの人に「126歳まで生きます、」と言っている。理由はこうだ。
中学生のころ、理科の教科書の端っこに1986年にハレー彗星がにやってくると書いてあり、若干の説明があった。私はこの彗星を是非見たいと思っていた。そして、やって来る頃は自分はどんな姿で何をしているだろうかなどと、思いをはせながらずっと過ごしていた。そして40歳代半ばに、実際にハレー彗星を見ることができた。ところがそれは、なんとも貧弱なハレー彗星だった。望遠鏡でしか見ることができなかった。
そのころ、ある人から、90歳のおばあさんにハレー彗星を見せてやってくださいと頼まれた。それで、展望のよい山の上に望遠鏡を設置して見てもらった。望遠鏡を必死にのぞかれ、涙を流して喜ばれた。14歳の時に見たハレー彗星に再び会われたのだ。そして、その後まもなく亡くなられた。76年周期でやってくるハレー彗星を2回見る人は幸運な人だ。
私はあんなに貧弱なハレー彗星では物足りないので、今度来る年、126歳まで生きます、と言っている。ところが最近、ハレー彗星が来るのは私が119歳の時ということが分かった。でも、126歳は決めたことであり、訂正するつもりはない。自分自身が決めることなのだ。
ところで、その中でも私は60歳から70歳までが本当の青春だと思っている。きちんと仕事を終えて退職した人にとって、健康さえ気を付ければ、時間や仕事に縛られないで、何でもできる。こんなすばらしい時期は今まであっただろうか。誰にもなかったはずだ。そして、その後もないのだ。
私はこの時期にいろいろの体験をしたいと思っている。その手始めが、外国生活であり、今回はチンタオへ行くことを選んだ。 ということは今まで、続けてきた男声合唱も少なくとも9月から1年間はお預けになるということになる。団には大変迷惑をかけるが、私の主体的な生き方としての選択なのだ。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、ご希望の方は毎日チェックいてください。
韓国への修学旅行

海印寺と伽耶山
退職後外国で生活したいという私の第二の人生への準備の一つは韓国語を勉強することだった。
私が韓国語を勉強し始めたのは7〜8年前だった。いわゆる韓流プームが起こる前のことだ。私の街で在日コリアという団体主催で在日の人のためのハングル講座が開かれた。講師は韓国から派遣された韓国人で、1週間に1度講座があった。日本人も参加できるということだったので参加した。一時は受講者が70人ぐらいにふくれあがり、大変な活況だった。しかし、外国人がその国の言葉を教えるというのは難しいものだ。韓国人講師は一生懸命教えられたが、結局は受講者が続かなかった。在日の人はいなくなり、日本人ばかりが7名ほどになった。そのころ、サッカーワールドカップが開かれるために、講師の韓国人先生が試合会場の一つの大分に行かれることになり、その講座は終了した。
残った7人で、話し合い、自分たちで勉強会を続けることにした。講師はいないので、進行役は私がすることにした。メンバーの中には私よりずっと上手な人がいたけど、その人の力をうまく活用しながらとにかくNHKラジオテキストを教材にして、少しずつ勉強した。年配の人が多いので、遅々として進まなかった。私も予習をして臨むのではなくその場限りの勉強なので、要領が悪かった。勉強ばかりではなく、韓国の話題をいっぱい出して、みんなでおしゃべり会をした。それが楽しかった。私が、韓国へ行って、自分で「地球の歩き方」を参考にしてバスで河華島へ行った話などすると、自分で、韓国内を動けるようになるといいなあと、感嘆の声があがった。
この勉強会を始めるに当たって決めていたことがある。それは今までの講座は一人あたり月に3000円ずつの受講料が要ったので、それをそのまま積み立てる形で集めて、お金が貯まったら韓国へ修学旅行に行こう、ということだ。お金は、どんどんたまった。ところが、全員揃って韓国へ行く日程が決まらなかった。原因はほとんど私にあった。まとまって休みを取れないのである。結局、お金を払い戻して、行ける人がグループで行くことにした。その後、私が参加しないグループの韓国旅行が次々に行われ、勉強会は、その体験談で、盛り上がった。
退職後初めて、私も参加することができた。いわゆる韓国への修学旅行が初めて実現できたのである。これまでに会員の皆さんはそれぞれに韓国内に友達ができていた。特に、釜山の国際市場は、軒並みに店の人と知り合いである。「またきたよー。」と声をかけて通られる。
目的地は海印寺(ヘインサ)だ。ここに収蔵されている8万部の教典が世界遺産である。伽耶山という山懐に抱かれた荘厳なお寺だ。私は家族で伽耶山に登ったことがあったので、ここは2度目だが、やはり今度は勉強会の人たちとの旅行であり、また、違う楽しさがあった。
この会は現在、「冬のソナタ」のDVDを韓国語シナリオと対比させながら見て楽しんでいる。こうやって原語で聴いて見ると文化の違いや習慣の違いを別の表現で置き換えるなど訳者の工夫がよく分かる。さらに日本語吹き替え声優の薄っぺらさもよく分かる。また、この会とも、1年間のお別れだ。
結局は私の韓国語は直接的には役に立たないことになったが、その後中国へ行くときに間接的にはいろいろ役に立つことになった。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、ご希望の方は毎日チェックいてください。
地球上の半分の人と話せる?

ラジオ講座は手軽で安い
いよいよ退職してフリーになった。人が空いているとき、街に自由に行ける開放感は格別だ。また、雨の日の憂うつ感がなくなった。雨の日は家の中で仕事をすればいいのだ。
そんな開放感に浸りながら、実はやることはいっぱいあった。中国語を勉強することにしたのだ。「中国語はできなくてもいい」、という話だったが、せっかく行く以上、ある程度分かった方がおもしろいし、やりがいもある。それで、9月には少し話せる程度になろうと、目標を立てた。
朝、8時20分からのラジオ講座を聴いて、引き続き11時15分まで中国語の勉強をする。12時までにまでにテレビでニュースをチェックしながら食事を終える。昼間は一人なので、麺恋人(めんこいびと)の私のメニューは夏場は冷やしそうめん、冬場はうどんと決めている。午後は1時から3時までと3時から5時までの時間帯に分けて、中国語の勉強や他の用事を済ませる。これが昼間の日程である。午後は野暮用でつぶれることが多いので午前中に集中的に中国語の勉強をするようにしている。
まさに60の手習いであるが、時間はたっぷりある(はずだった)。韓国語の独学の経験があるので、中国語も何とかなるだろうと、考えた。「思い立ったが吉日」だ。ところが、勉強が進むにつれて中国語は難しいことが分かってきた。
やっかいな問題がいっぱいなのだ。
ほとんどの人が英語を勉強してきたが、10年間勉強したらだいたい分かるし、だいたいしゃべれる。この程度を難易度10とすると、韓国語は難易度1だ。すなわち、きちんと勉強すれば1年でだいたいのことは分かるし、だいたいしゃべれる。中国語は漢字が共通だから難易度1か2かな、と思ってやり始めたら、意外と手強い。今では難易度5ぐらいではないかと思っている。もちろん欧米人とっては難易度10、あるいはそれ以上かもしれない。
ともかく、それを乗り越えて、しゃべれるようになりたい。世界には英語を話す人が17億人いるという。それに13億の中国語それに日本語と韓国語をあわせ全部で32億人。地球上の約半分の人とその人の母国語で話せるならば、すばらしいことではないか。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
韓国語は日本語の強烈な方言である

韓国の 町に溢れるハングル。実はこれはローマ字だ
過激なタイトルを掲げたが、逆もまた真で、「日本語は韓国語の強烈な方言」とも言える。
簡単に言うと単語は違うが文法はほとんど同じということである。たとえば、「私は今日友達と一緒に食事するつもりだ。何がいいかな。」という文を韓国語に直すには次のように一つずつ韓国語の単語に置き換えればいい。
「私(ナ)は(ヌン)今日(オヌル)友達(チング)と(ワ)一緒に(カッチ)食事(シクサ)する(ハル)つもりだ(コエヨ)。何(ムォ)が(ガ)いい(チョ)かな(ウルカヨ)。」
「ナヌン オヌル チングワカッチ シクサ ハルコエヨ。ムォガ チョウルカヨ。」という具合である。
何のストレスもない。単語さえ覚えれば、穴埋めゲームなのだ。
この中でシクサは中国語からきた「食事」であり、日本語とよく似ている。一度漢字の読みを覚えれば食堂は「シクタン」、事件は「サクォン」とイモヅル式に覚えられるのだ。高速道路は、「コーソクトーロ」であり、「ありがとう。カムサハムニダ」は「(カムサ)感謝(ハムニダ)します」なのだ。
韓国ドラマを見ていると、日本語と似たような言葉が時々聞こえるが、日本と同じように中国から渡ってきた言葉がたくさん使われているからだ。
沖縄で、レンタカーに乗り、地元民放の、沖縄弁の放送を聴いた。私は九州人なので比較的沖縄弁が分かる方だが、全く聞き取れない。少しかじっていた韓国語の方がむしろ分かるほどだ。そういう訳で私は韓国語は日本語の強烈な方言だと言っている。
さらに、あの難しそうに見えるハングル文字は実はローマ字だ。KとA を組み合わせて「カ」、SとUを組み合わせて「ス」とよむように子音と母音の組み合わせだ。一番難しそうに思えるハングル文字が実は一番易しい表音文字なのである。
ハングルは15世紀に哲学的思想と音韻学を取り入れて、国家的事業として人為的に作った文字であり、非常に合理的にできている。ハングルとは、韓(ハン、偉大な)、グル(言葉)という意味であり、韓国の人たちはこの文字に誇りを持っている。
ついでに言えば、韓国は偉大な国。正式な国名は大韓民国(テハンミングク)だから、更に偉大な国だ。韓流は「かんりゅう」と言う人もいるし「はんりゅう」と言う人もいてどちらが本当かなと迷っている人が多いと思うが、どちらでもいいわけだ。
韓国語が難易度1だということは、上記の2点だけ述べれば十分であろう。
韓国に行くと、看板にハングル文字が躍っている。大抵の店のガラス戸が閉まっているせいもあって、何の店だか、さっぱり分からない。ところが中国へ行けば看板文字は大抵漢字で書いてあり、たとえば電脳(実際は簡体字で書いてあるが)とあれば、コンピュータを扱っている店と、類推できる。だから、中国語は筆談ですれば意味が通じる、という人がいるが、実はそう簡単にはいかないのが実情である。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
意外と手強い中国語(1)

日本人 「わーっ、机が飛んでる。」 中国人 「僕には飛行機に見えるけどなあ。」
中国は漢字の国だから、筆談で通じますよ、と言う人がいるが、それは かなり難しい。
単語レベルであっても実際に中国で使われている単語は日本で使われている単語とは意味も使われ方もかなり違うのだ。分かりやすい例を挙げると中国語で汽車は車のことだし、手紙はトイレットペーパー、飛机と書いて飛行機のこととなる。発音もかなり違う。むしろ中国語より韓国語の方が日本語の発音に近い。
理由はこうだ。昔、漢字や文化が日本に伝わってきた。その時同時に韓国にも伝わった。日本や韓国では外来語だから、そのまま温存された。一方、中国ではどんどん変化していった。言葉は生きているのだ。
したがって、日本と韓国の漢字語は非常に似ていて、中国の漢字は変わっているのだ。実際、高校で習う漢文は、中国人より日本人の方がかえって分かるという話を聞いたことがある。
筆談ができなければ、どうするか。実は電子辞書が威力を発揮する。中国語版を買えば中日、日中はもとより広辞苑も入っている。英語だって入っている。分からないことがあれば、日中辞書で、飛行機と入れれば即座に飛机と出てくる。それを相手に見せれば、即OKだ。特に日本語を教えようとするときには広辞苑が役に立つ。必須の道具だ。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
電子辞書にするか、眼鏡にするか

中国に住むなら電子辞書は必須のグッズだ
電子辞書は退職してまもなく買った。CASIOのExーword XDLP7300というやつで、インターネットで2万円台だった。音声付きで性能的には不足はない。中国語の場合は四声(別にふれる)があるので、音声付きは便利がよい。
ところが、最近画面が見づらくなった。買った当時はよかったが、老眼が更に進んだのだ。最近新しい機種が出て、小型化しバックライトがついて文字も大きい。更に、韓国語と共用のものもある。
実は韓国語の辞書をSDカードで買って中国語の電子辞書に入れているが、韓国語の辞書を出すのにめんどくさい操作がいる。だからいっそのこと買い換えようかと、思った。
しかし、待てよ。眼鏡を買い換えたら方がいいんじゃないか,ということで、今は落ち着いている。
実際、本を読むにもちょっと不自由するようになったし、眼鏡を買い換えたらそちらの問題も解決するのだ。
たしか、期間限定ではあるが、博多港からシルバー料金で釜山行き15000円でビートル(高速艇)往復があるらしい。眼鏡と、くたびれきった運動靴を韓国で買い換えれば国内で買うのとトントンで行けるのではないかなどと考えている。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
意外と手強い中国語(2)

声調は日本人にとってむずかしい
中国語は漢字ばっかりだ。その漢字一つ一つに明確な意味がある。そして2つ以上の漢字が組み合わされると熟語となり、別の意味を持つ。日本語と同じ組み合わせの熟語でも意味は違うことが多い。だから結局は全部覚えなければならない。
やっかいなことは中国語には同音異義のタンゴが無数にあることだ。それらを区別するためにどうするのだろう。中国語では声の高さとその変化によって認識させる。それは声調といい、4つの変化の仕方があるので、四声とも言う。たとえば「マ」という読みの漢字があったとすると、4種類の発声の仕方がある。したがって、四つの漢字を想定できる。しかし、実際は同じ声調の異なる漢字もあるので、もっと多いと考えた方がよい。実際に「マ」の発音の漢字を電子辞書で引いてみたら、実に24の漢字があった。やめてくれよ、と言いたくなる。更に2文字の熟語、たとえば「ママ」と読む漢字があったとすると、理論的には4×4で16種類の発声の仕方があることになる。そう考えると、もうヤーメタと言いたい。この文を書きながらおそるおそる電子辞書をたたいたら、なんと「媽媽(お母さん)」という意味の一つの単語しかなかった。ほっと安心した。
いずれにしろ中国人は声調によって同音異義語を区別しているのであるが、その感覚がない日本人は非常に苦労する。別の声調で言ったり声調を付けないで言ったりすれば違う意味になったり意味が通じなかったりするのである。
しかし、声調のおかげで、中国語は大変美しい表現豊かな言語になっている。よくフランス語は美しいとかいうけど、私はそうは思わない。中国語のあの流れるような抑揚こそが世界で一番美しい言葉なのだと思う。どちらも、よくしゃべれもしない「ただのおじさん」が言うのだからあまり信用しない方がよいが、……………。
ところで、歌で、英語を覚えたという話をよく聞くが、中国語でもできないのかと、思った。ひょっとしたら中国の歌の独特のころころとした節回しは瀬調に従って、節をつけたのではないか。日本の伝統的な歌曲の作曲法も日本語の高低アクセントを重視して節を作る。もし、そうであれば、歌で、正しい声調を覚えられるのではないかと、思い、調べてみた。そうしたら声調を全く無視して節を付けてあることが分かった。予想が見事にはずれた。中国語は意外と手強いのだ。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
意外と手強い中国語(3)

中国語文法ないアルヨ。単語によって文の構造かわるアルヨ。
日本語で「象は鼻が長い。」というが、どれが主語なんだろうと考えてしまう。英語に直す場合には「象は長い鼻をもっている。」と考えないといけない。つまり、主語は名詞または代名詞であり、きちんとしている。そして、述語になるのは動詞だけである。
中国語は主語になるのは名詞はもちろんのこと動詞だって形容詞だって主語述語のある文だってなれる。話題の主体が主語なのだ。だから、「本屋で立ち読みするのは悪い」という文を中国語風にいうと、「本屋で立ち読みする悪い。」となる。「本屋で立ち読みする」という文が主語なのだ。手品師がこのあとに「アルヨ」を付けて中国人のまねをするのを聞いたことがあるだろう。
「今日は日曜日です。」を中国語でいうと、「今天星期天。」そのまま日本語に置き換えると「今日日曜日。」である。よく見ると動詞がない。「日曜日」はもちろん名詞である。中国語では名詞も述語になるのだ。形容詞だって主語述語を伴った文だって述語になるのだ。
日本語には助詞があるから分かりやすい。順番を少々変えても大丈夫だ。中国語は単語の並べ方が厳密に決まっている。そして、それが単語によって、並び方が決まっているのだ。単語によって違うので、中国語には文法がないという人もいるくらいだ。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください
雲行きが怪しくなってきた

「我は行く。」 「ああ………、やっぱり行くですねえ………。」
退職後、チンタオに行くことを夢見て中国語の勉強を続けていた。独学なので、なかなか進まない。でも私が中国に行く9月頃には少しぐらいは話せるようになるだろう、と希望を胸に、夢を明日に託して、勉強を続けていた。
不屈の男、前畑さんは私をチンタオの技巧学校に紹介したあと、日本語教師としてまた中国のどこかに行った。
ところが、そのころから日中の関係がだんだんとおかしくなってきた。首相の靖国神社参拝をめぐる問題である。5月頃になると、各地でデモが起こり、大使館まで襲撃される事態になった。
そうなると知人から「中国へ行っても大丈夫ですか、………」と心配の声があがるようになった。私も心配がないとは言えないが、少なくとも日本語を勉強しようという人たちのところへ行くわけだから、あんなに激しい考えをもっている人はいないだろうと、思う。中国人から暴行を受けた日本人のニュースも伝わった。しかし、これはお互い酒を飲んだ上のことだったので、どこでもよくあるトラブルだろう。日本人の店が被害を受けたが、何万人もいる日本人が直接危害を受けた報道はない。ただ、反日デモに近づいたり、うかつな発言をしないことは大切だ。こう、考えていた。
一方、首相は強気なので、この先、どうなるのだろうと心配はあった。
そして、3ヶ月中国で過ごした前畑さんが帰ってきた。そして、電話をかけてきた。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
チンタオはだめになった
6月になって、不屈の男前畑さんから電話があった。中国から帰ってきたのだ。
「チンタオはだめんなったばい。」(チンタオはだめになったよ。)
「ええっ、」
チンタオの海と空とそして人々と出会うことを楽しみにしていた私はちょっと残念であった。
しかし、前畑さんの言葉は続いた。
「あんた、ほかんとこんでん 行くね。」(君、他のところでも行くかい。)
「はい、もちろんです。よろしくお願いします。」
中止の理由を聞いたけど、それは分からないと言う。
とにかく、北京の労働部からの連絡で取りやめになったということだ。
おそらく「……………」、と推測する他はない。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
滄州は どげんね

滄州は北京から高速道路で3時間、華北省の平野のまっただ中だ
不屈の男、前畑さんから次の電話がかかってきたのは2〜3日後のことだった。
「あんた、「そうしゅう」はどげんね。」(君、「そうしゅう」はどうかね。)
「そうしゅう」とは聞いたことがあるようでないような街だ。「どんなところですか。」と、聞いた。北京の南南東240kmのところにある人口30〜40万人ぐらいの街だそうだ。具体的には北京から高速道路で東へ120kmの天津(テンシン)の近くを通り、さらに南へ120km下ったところだ。所要時間は約3時間。
どんな漢字を書くか聞いたら「三ズイにトンガリ屋根のクラ、そして九州の州」だそうだ。というと「滄州」になる。やっぱり聞いたことのない街だ。中国、特にこのあたり河北省ではこの程度の街はざらにあり、目立たない街だそうだ。「滄」は中国の簡体字ではちがう文字となる。電子辞書の大漢和辞典で「滄」の字を調べたら「緑がかった青草や水の色。転じて広く青緑の冷たい色。」とある。北京は寒いことは知っている。そこからさほど遠くない滄州もきっと寒いだろう。それに、この地名からも何となくそう感じる。南国育ちの私にはちょっと心配だが、そんなことは言っておられない。
とにかく、すぐに不屈の前畑さんの家に行って詳しく聞くことにした。
このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
滄州外経について

滄州外経のマーク
詳しいことを聞くために不屈の前畑さんの家に行った。話によると前畑さん自身が滄州で、日本語教師を経験したのだそうだ。
紹介された会社の名前は、滄州外経(そうしゅうがいけい)。いろいろな事業をやっているが、私たちがお手伝いするのはいわば人材派遣事業である。日本で研修するという名目で近郊の村から仕事の経験者を募集する。そして、3年間日本へ派遣する。日本側はいくつかの同業者で受け入れ組合を作り、受け入れ態勢を作る。組合が中国人を受け入れるのだ。そして、各会社に振り分けて、各職場で仕事(研修および実習)をしてもらうのだ。
この手の研修は、日中間できちんと制度化されていて、それにのっとやっている。たとえば、日本へ送り出す前に3ヶ月以上の日本語教育をしなければならない、とか、日本へ渡ったら1ヶ月程度の日本語教育をしなければならない、などである。私が今、目指しているのは、中国での3ヶ月の日本語教育の部分である。
滄州「外経」の「外」は外国の「外」、「経」は経済の「経」である。
このブログの中で、滄州外経の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。なお、日本人教師の募集はこのブログのみで行いますので直接滄州外経には連絡しないでください。質問等については、ブログでコメントをしてください。ブログ記事でお答えします。
日本語教師ボランティアの概要

日本で実習中の研修生たち(会社案内誌より)
前畑さんの話によるとこうだ。日本で3ヶ月の中国観光ビザを取り、中国に渡る。
滄州外経には男子の研修センターと女子の研修センターがある。滄州外絵経から派遣される研修生はいろいろの業種があるが、女子は食品加工の軽作業員、男子は足場組み立ての職人の研修生が多い。どちらのセンターに配属されるかは分からない。
センターでは中国人教師たちと3人一組のチームを作って日本語を教える。日本人教師が教えるのは日本語会話だ。文法や他の重要なことは中国人が教えるので、会話だけを教えればいい。授業のときには日本語で教える。日本語ができる中国人先生が必ず教室にいるので、分からない言葉は通訳してくれる。
勤務は月曜日から土曜日までの、8時半から15時まで1日を3コマに分けて授業する。授業がない時は自由だ。
3ヶ月のビザが切れるまでに帰国する。向こうでの宿舎は無料で用意されている。食事は自費で食べるが、十分過ぎる手当が出るのでお金は余る。ただ、そのお金を日本にもって帰っても大した額ではない。だから絶対に金儲けはできない。国際交流のボランティアだと考えた方がよい。席が空いていれば、何度でもお呼びがかかる。
会社も、先生も、生徒も、みんな日本人を大事にしてくれる。
病気や事故等については事前に旅行保険に入ってから行く。行き帰りの往復運賃、保険代、ビザ申請費用等全て会社が出してくれる。だから、基本的にはお金は全然かからない。むしろ、日本での生活費が要らないので、結果としては年金生活者にとってはその月分だけ稼いだことになる。
このブログの中で、滄州外経の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。なお、日本人教師の新規募集はこのブログのみで行いますので直接滄州外経には連絡しないでください。質問等については、ブログでコメントをしてください。ブログ記事でお答えします。
滄州に行くぞ
チンタオの計画が終わって、残念に思っていたが、不屈の前畑さんにたのんでいたので、どうにかなるだろうと、私も少し不屈の精神で待っていた。ところが意外と早く滄州の話がきたのでびっくりした。
早速、家内にも相談せずに「はい、行きます」と、答えた。というのはチンタオの場合は1年間の仕事であったが、滄州の場合は3ヶ月であり、その分家庭に迷惑をかけるのが少ないからだ。更に滄州の場合はいったん北京に行くので、福岡からの飛行機の便数がが多いからいいだろうと思った。ところが、実際は滄州の場合はどうしても行き帰りとも北京で1泊しなければならないのでその日の内に行けないことがあとで分かった。
実際、チンタオの場合は友達などが私がチンタオにいるときに一度遊びに行きたいなどと言っていたが、滄州の場合はそれが簡単にはできないのだ。
時期は9月頃ということだ。というより不屈の前畑さんが、9月頃にしてくれと言ったのではないかと思う。そうすると、11月末か、12月はじめには帰れる。正月は日本で過ごせるのだ。
期間が3ヶ月ということで、他に迷惑をかけるのがずいぶんやわらいだ。韓国語学習会は3ヶ月のお休みで済むし、おおむたグリークラブもコンサートが6月だから詰めて練習すれば、参加できる。5月には次男の結婚式があるが、支障はない。夏には家内と海外旅行に行ける。そういうことで、次回またお呼びがかかるなら9月にしよう、と来年の日程まで、勝手に決めてしまった。実際そのようにことは進み、私は今年は9月に行くようにしている。
とにかく、滄州へ行くことを楽しみに中国語の勉強を続けた。でもなかなか進まなかった。
このブログの中で、滄州外経の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。なお、日本人教師の新規募集はこのブログのみで行いますので直接滄州外経には連絡しないでください。質問等については、ブログでコメントをしてください。ブログ記事でお答えします。
中国人研修生たちに会った(1)

大蛇山を曳く中国人の女性たち

火を噴く大蛇山が練り歩く
以前、職場の近くで若い女の子たちが、連れだって歩いているのを時々見かけた。我が町はお年寄りが多く、高校生は別として、町中でも若い女の子たちが何人かで歩くのをあまり見かけない。ましてこのあたりのはずれではよく目立つ。時にはスーパーから食料品らしいものを買って帰るのも見かけた。フィリッピン人などは時に見かけるが、服装も違う、体型も違う。年齢は高校生ぐらいかなと、思うけどもっと上かもしれないし、下かもしれない。歩き方も違う、お互い話しているときのふるまいも違う。なんだか不思議に思っていた。
それがどういう人なのが分かったのは祭りの日のことだった。
我が町大牟田は炭坑閉山以来、火が消えたように冷え込んでいる。その中にあって、大蛇山まつりだけは今、最高に燃えている。大蛇山というのは大蛇(実際は龍の姿をしている)の山(山車)と意味で、大きく口を開けた鋭い目つきのすごい形相をした龍の頭を付けた大きな山車を曳いて回るのである。神社に由来するのは6山あるが、今はいろいろの団体が出すので、非常にたくさんの大蛇山がある。すごいのは口から火を噴くところだ。これが、一斉に動き出すと街はすごい迫力に包まれる。私は勝手に日本の三大大蛇祭りと言っている。その勇壮さから言えばこの大蛇山に勝るものはない。その2つ目は長崎の蛇踊りだ。これは長崎おくんちの一つの出し物として演じられるが知名度としては抜群だ。テレビなどで見るとその動きが激しく見えるが、実際に見ると意外と上品な演技だ。3つないと三大大蛇祭りと言えないので、もう一つは出雲あたりに何かあるのだろうと、いま、探しているところだ。その大蛇山まつりは今年は7月22日と23日に行われる。このページを公開する翌日だ。大蛇山はいま、まさに昇り龍だ。近くの方は、是非、見に来て欲しい。西鉄大牟田線の終点、または鹿児島本線大牟田駅の西口で降りれば歩いて10分で、祭りの中心地に着く。19時頃に着くように行けばよい。福岡近郊の人なら簡単に行ける。
話を戻そう。その祭りに、以前見たような30人ぐらいの女の子たちのグループが来ていた。彼女たちは一人の男の人の指示に従い、整然と行動していた。大蛇山は大勢の子供たちが綱を曳くようになっているが、彼女たちも曳いていた。団体で祭りに協力しているのだ。話声が聞こえるところに近づいてみたら中国語らしい抑揚のある言葉で話している。そうだ、と、ピンと来るものがあった。実はこの町にはスポーツ用品のアシックスの工場があり、そこに中国からの女子作業員がたくさん来ているという話を聞いたことがあった。それに、違いないと、思った。いつも見かける場所とアシックスの工場とはちょっと離れている。でも、中型バスで送れば問題ないと思った。
このブログの中で、滄州外経の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。なお、日本人教師の募集はこのブログのみで行いますので直接滄州外経には連絡しないでください。質問等については、ブログでコメントをしてください。ブログ記事でお答えします。
中国人研修生たちに会った(2)

毎日弁当を作って持っていく。質素だが量良は十分だ。
ある時、後輩から突然電話がかかってきた。中国人に日本語を教えて欲しいと言うのだ。時期は10月。約1ヶ月間。友達の会社社長さんから頼まれたそうだ。
私が退職して、暇になっただろうと思って電話したらしい。いささか興味はあったが、私は中国へ行くので、その時期は日本にはいないと言うと誰か紹介してくれという。私は知り合いの安藤さんを紹介し一緒に見学に行くことにした。
場所は数年前に田圃の中に突然建った工場である。白い建物の壁に〇〇食品と書いてあり、いつも白い湯気が出ている。景気が良さそうだ。この工場は何を作っているのだろうといつも思っていた。
社長さんが出てきた。ところが、なんと、あの大蛇山祭りの時中国人女性たちを引率していたあの人であった。実はこの工場はキノコの栽培をしている会社で女子の中国人作業員を受け入れているという。そればかりでなく九州一円の同業者で受け入れ組合を作ってその組合長をしているとのことだ。
会社社長室ではなく工場の2階にある組合長室に案内され、話を聞いた。中国は山東省のある街から受け入れた研修生をここで一時預かり、日本語と日本の習慣を勉強するのだそうだ。そして、九州一円の組合員の会社の工場に分かれ、3年間の研修(仕事)を受けるのだそうだ。これで、全ての謎が解けた。滄州外経の場合と全く同じ研修体制である。いわば、ここはこの組合の日本における日本語研修センターなのだ。ただ、研修施設はここにはないのであとで歩いて10分ぐらいの公民館へ行くことにし、話を聞いた。
こざっぱりとした部屋に2段ベッドの宿舎、集会室、シャワー室など完備されている。ここでは当番を決め、自分たちで調理をする。スーパーに買い物に行くのはこういう訳だ。ここの場合、研修生たちには月に7万円の手当が出される、必要なお金を差し引いて、残りは全部受け入れ組合が貯金をして管理する。自分では引き出せないので、お金は確実に貯まる。ここの研修生たちの場合は3年後に確実に200万円から240万円を持って帰国することになる。中国では農家の家が、だいたい60万円から70万円で建てられるというから、家3軒分ぐらいを持って帰ることになる。だいたい20歳ぐらいでほとんどが中学卒業程度の田舎の子たちだそうだ。中国人たちは大変人なつっこく、優しく、まじめで、集団生活における問題はほとんど起こらないそうだ。
このブログの中で、滄州外経の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。なお、日本人教師の募集はこのブログのみで行いますので直接滄州外経には連絡しないでください。質問等については、ブログでコメントをしてください。ブログ記事でお答えします。
中国人研修生に会った(3)

熱心に受講する研修生
日本語研修センターの研修現場である公民館に行った。近くの大学の中国人留学生が教えているが、忙しくなって辞めるので次を探しているのだそうだ。ノックして前からはいる。社長さんの顔が見えると同時にちょっと甲高い声で「あ、社長さ〜ん」と、はじけるように笑顔がこぼれる。と同時に一斉に起立して、「社長さん、おはようございます。」といって立ったまま社長さんの話を待つ。いる。誰かが指示するのではなく、ここまでが、声も動作も同じ調子で揃っているのが不思議だ。社長さんは挨拶されたあと、私たちを紹介された。社長さんの言葉もほとんど分かっているようだ。私たちはしばらく、授業の様子を参観した。
3人組で、寸劇を作って実演している。寸劇はかなり、上手にできている。そして、それを発表させる。「自転車で行けばどうですか。」「いや、坂が多いから、歩いて行ったら楽ですよ。」こんな風にだ。そのあと、はじめの文では、「行けば」はまちがいで、「行ったら」が正しいです、とか、あとの文では「行ったら」より「行った方が」の方がいいです、と、先生の指導が入る。かなり細かいところまで分かるレベルになっているようだ。中国で使っていた教科書をそのまま持ってきていた。見ると、不屈の前畑さんに教えてもらって、私もすでに手に入れている「新日本語の基礎」というものだ。ただ、私のと違ってすごく使い古されて、うすよごれ、すり切れている。
私は初めてこの教科書をみせてもらったとき、こんなにむずかしい教科書で、力が付くのだろうかと非常に疑問に思った。でも事実、彼女たちはこの教科書を使って、たったの3ヶ月でこんなに日本語ができるようになっている。一方私はいっぱい教材を買って、もう、4ヶ月になんなんとする今、どれもピカピカ新品同様で、中国語も、全然進まない状態だ。
それを実証するようなことがすぐに起こった。授業参観が終わり、帰ろうとすると、社長さんから一言挨拶してください。と言われた。私たちは前に出て、安藤さんから挨拶し始めた。なんと、中国語で話し始めたのだ。実は彼は中国で中学の頃まで育ったのだそうだ。といっても私には分かったが、彼女らに分かったかどうかは知らない。不屈の前畑さんの中国語も私にはよく分かるけど、中国人にはよく分からない場面をよく見た。理由は声調(音の高低変化)と、そり舌音というむずかしい発音を無視されるからだ。だから、私に分かる中国語は中国人には分からないと言っていいようだ。ところで、私もいよいよ努力の成果を見せるときが来たわけだが、「ニーハオ、ウォ シー 〇〇。」まではよかったが、あとは口が金縛りにあって、続かなかった。仕方なく、日本語でお茶を濁してしまうことになった。情けないけど仕方がない。いいわけがましいが、私も例え中国語がしゃべれたとしても日本語で話した方がよく分かったかもしれない。というのは最近中国語検定3級を受けて、合格通知を頂いたが、なんと一番大事な声調の問題については20点の配点の内4点しか取れなかったほどだからだ。
ともかく、中国で出会う人たちもこのような人たちだろうと予想され、中国での体験が更に楽しみになった。
このブログの中で、滄州外経の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。なお、日本人教師の募集はこのブログのみで行いますので直接滄州外経には連絡しないでください。質問等については、ブログでコメントをしてください。ブログ記事でお答えします。
パンダに会った

体長20センチぐらいのあかちゃんパンダ。パンダは保育器で育てられる。
中国は四川省にある大姑娘(タークーニャン)山に登るために中国に行った。山登りのツアーに家内と一緒に参加したのだ。
この間の金縛り体験から立ちなおり、中国語が少しは分かるようになったかなと思いながら、現地へ行ったら全く分からない。ホテルで、家内が靴下を乾かすからというので、フロントにヘヤドライヤーを借りに行った。若い女の子がいたので、「ヘォ ドゥロィォ、と英語っぽく言ってみたけど通じない。日本語っぽくも言ったけどやっぱり分からない。だったらボディランゲージとばかり、右手でドライヤーを持ったつもりで、頭の斜め上でクルクル回し、左手で髪の毛をバサバサさせてみる。それでも分からない。いかに熱演しても、「この人クルクルパーじゃないの?」という目つきでこちらを見ている。
こんな時に役に立つのが電子辞書だと思い出し、部屋に取りに行った。部屋で電子辞書でヘヤードライヤーをしっかり調べて、自分の口で言ってみようと何度も復唱して、下に降りた。
フロントの女の子に、「ウォ ヤオ 吹風机(チュイフェンジー)」と、完璧な中国語で言うけど、これまた分からない。何回か言っても通じないので、仕方がなく懐から伝家の宝刀「電子辞書」をおもむろに取り出した。そして、水戸黄門よろしく、「これが目に入らぬのか」」とばかりに、画面を前にして、目の前に突き出した。こいつ、やっと分かったらしく、クスッと笑って、「はい、すぐにお持ちします。」と言った…(ように思えた)。ところが、待てど暮らせど、持って来ない。まだ、フロントに女の子はいるが、こいつに聞いても、どうせ私の正しい中国語も理解できないだろうと思った。
しばらくして、もしや、と思い部屋に帰ってみると、家内は「ボーイさんが、20分前に持ってきたよ」という。本当に中国人は中国語が下手くそで困る。
大姑娘山はパンダ生息地を通り抜けたその奥にある。このツアーのおまけはパンダ飼育場を訪れることだ。可愛いパンダの姿をいっぱい見た。大抵の動物は、生まれた時は本当に可愛いが、大きくなるとそれなりのりりしさ、精悍さ、怖さ、などその動物特有の個性を持ってくるものだ。ところが、パンダに限っては赤ちゃんの時のそのままのかわいさを保っている。姿にしても、動きにしても。これは何かパンダ特有の進化の歴史があるのではないかと思う。それが個性だよといわれればそれまでだが。
このブログの中で、滄州外経の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。なお、日本人教師の募集はこのブログのみで行いますので直接滄州外経には連絡しないでください。質問等については、ブログでコメントをしてください。ブログ記事でお答えします。
大姑娘(タークーニャン)山に登った

大姑娘山は四つの姑娘山のひとつだ。画面に見えるのは 2,3,4姑娘山。実際に登ったのは手








