■プロフィール

tadanooji

Author:tadanooji
忠野小路(ただのおじ);


会社ごっこ、先生ごっこ、政治ごっこ……。
「ごっこ遊び」が終わったら、誰だって [ただのおじさん」。
古い上着を脱ぎ捨てて、自分で歩こう第二の人生。
大きなことはできないけれど、世界のどこかを明るくしたり、ちょっぴり人を元気にしたり………。
そんなことができたらいいなあ。

ただのおじさんが好きな言葉……「思い立つ日が吉日」 「千里の道も一歩から」 「枯れ木も山のにぎわい」
 
まずは、中国で日本語教育ボランティア体験からどうぞ。


>☆お願いです☆
このブログを読み終わったら、下をクリックしてください。「見たぞ!がんばれ!」の清き一票です。


 

タイムブログランキング



このブログに時々登場する人
不屈の前畑さん
私に日本語教師の世界を紹介してくれた人。2006年6月30日の記事参照
小波さん
姓名は忠野小波(ただのおば)
我的愛人(あくまでも中国語)





■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック

■月別アーカイブ
■カテゴリー
■FC2カウンター

■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
第二の人生

第二の人生


20060629233456.jpg


 賑わう釜山国際市場




 60歳は還暦。生まれた年 の 干支 に再び還る。すなわち暦の上で0歳から再出発するということだ。


考えてみれば、昔は60歳以上まで生きる人はごくわずかだった。であれば、これからの人生は現代に生まれたもののみが授かった何よりもありがたい贈り物であり、大切にしなければならない。


私は人生を二度生きたといわれる伊能忠敬よろしく、第二の人生を今までと全く違った生き方をしたいと思った。そこで、第二の人生を生きる私の名前を忠野小路(ただのおじ)と決め、ワクワクした気持ちで60歳定年退職の時期を待っていた。忠野の「忠」は伊能忠敬様から勝手に一字頂き、「小路」は忠敬様にあやかり人生の小路をただひたすら歩もうというものだ。


ところで 私は昔から外国で過ごしてみたいという夢をもっていた。新しい人生の出発に当たり、またとないチャンスが訪れる。そのため、私は定年退職を前に、韓国語の勉強を始めていた。私の住む九州からは船で3時間足らずで釜山に着く。ツアーだったら2泊3日で2万円そこそこで行ける韓国。国内でもこんなに手軽に行けるところは限られる。韓国語の勉強もいよいよ楽しくなってきた。そこで、3月末に退職し、8月頃まで韓国語の仕上げの勉強をし、9月頃から韓国に行こうと決めていた。仕事は何だっていい。韓国人に日本語を教えることだったらなんとかできそうだし、釜山の国際市場で日本人観光客相手の客引きのアルバイトをしてもいい、などと考えていた。 
ところが、退職まであと1ヶ月ぐらいになったある日のこと、仕事上の先輩の前畑さんから電話がかかってきた。




  このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。
スポンサーサイト


滄州へ行くまで | 15:49:04 | Trackback(0) | Comments(1)
不屈の男 前畑さん

不屈の男、前畑さん


講演する原辰徳監督


講演する原辰徳監督


 




 


退職を間近に控えて、前畑さんから電話がかかってきた。前畑さんは私と同じ仕事をしていた先輩で、私より数年早く定年退職している。在職中、同じ会合に出る機会や一緒に飲む機会は多かったが、同じ職場で勤めたことはなかったし、特に親しいという間柄でもなかった。


しかし、彼については強い印象が残っていた。退職の3年前、彼は脳梗塞で倒れた。はじめは半身麻痺で職場再起を危ぶまれていた。しかし、みごと立ちなおって復帰したのだ。まだ、口元に少ししびれが残る状態ではあったが、初めて会議に出て来たときには本当に自分のことのように、うれしく思ったものだ。


後日談ではあるが、ちょうどそのころ、仕事関係で記念式典をする計画があり、その一環として巨人軍監督の原辰徳氏の講演会を開くことを決めていたのだ。職場の責任者である彼はテレビでしか見たことのない原辰徳氏を自ら宮崎のキャンプ地に訪れ、講演を依頼した。彼が倒れたのはうまい具合にその交渉が成立し、その準備が進んでいる最中の出来事だった。式典の時までにはぜひ治りたいという気持ちが快復を早めたのだという。もちろんその式典は大成功に終わった。この執念、それだけでも大したものだと思っていたが、話題はまだある。


彼は中国に生まれ、8歳まで中国で育った。引き揚げ港へ行く途中、錦州という町で迷子になったという。混雑の中で30分間ほどではあったが、完全に親の手を離れてしまった。無事に再会できたからよかったものの、ちょっと間違っていれば残留孤児として中国をさまよっていただろう、という。今も、当時住んでいた中国の街の様子を覚えているそうだ。それだけに中国を第2のふるさととしてこよなく愛している。彼が中国の歴史、地理、文学に詳しいのはそのためであろう。彼はまた、中国人もびっくりの書道家であり、囲碁についても達人である。


私たちの仕事関係では退職する前に後輩たちに向かってスピーチをするのを恒例としている。彼はその時に退職後実現したい夢について話した。それは中国で日本語教師になるということであった。私も密かに韓国へ行きたいと思い、準備を始めていたのだが、一度脳梗塞で倒れた人が、明るい希望を持って夢を実現させようという姿に、力づけられたものだった。しかし、残念なことに彼は健康上の理由で書類審査ではねられてしまい、実現できなかったのだ。現実は厳しかった。


ところが、1年以上経ったある日、彼は上海で日本語教師をしているという噂を聞いた。信じられないようなことだが、健康上の問題を解決し、1年前の同じ審査に見事合格することができたのである。そして一度上海で日本語教師を経験したあとは、中国政府労働局の担当者と直接交渉するるようになった。そして、中国各地で何度も日本語教師をし、今や日本語教師のベテランとして活躍している。私は更に彼の強い意志と実行力に恐れ入った。


ところで、私自信の退職前のスピーチでは「今までの古い上着を脱ぎ捨てて、忠野小路(ただのおじ)と名前を変えて新たな人生を歩きます。」と宣言した。「その手始めに9月頃から韓国に住む予定だ。」とも言った。また、「不屈の男、前畑さんのように第二の人生を主体的に力強く生きたい。」と言ったことも憶えている。


不屈の男,前畑さんから突然の電話があったのは、たしか、2月の下旬のことだった。




このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。


  



滄州へ行くまで | 16:12:54 | Trackback(0) | Comments(0)
チンタオへのお誘い

チンタオへのお誘い



店頭に並ぶチンタオビール  中国を代表するビールだ




 不屈の男、前畑さんから初めての電話がかかってきた。 


「もしもし、どげんしよんね。」(もしもし、どうしてるかい。)「あんた、よかなら中国に行かんね。」(君、よかったら中国に行かないか。)……………。


中国で日本語を教える教師をしてみないかというお誘いである。


中国語は全然できませんが……………。」


「あんた、日本人じゃろが。じゃったら日本語の専門家じゃんね。」(君、日本人でしょうが。だったら日本語の専門家じゃないか。)「日本語ば話しきっと良かつ。」(日本語を話せるのならいいんだ。) 


話しっぷりまで豪快である。それで,「私にもできるのかな。」と何となく納得したような気持ちになった。


場所はチンタオ市立技工学校。高校や大学を卒業した人が1年課程で実務的な工業技術を習得する専門学校らしい。ほとんどが日系企業に就職するために日本語の時間があるが、そこに日本人教師を配属するという。今度初めて立ち上げる事業である。


私は突然のことに驚いた。韓国へ行くことは考えていたが、中国のことは全く頭になかった。しかし、私は外国での生活をしたかったのであって、実はどこでもよかったのだ。 


私は「行きます。」と即答したかったのだが、家族に韓国へ行くことは了解取っているものの、中国へ行くことは了解取っていない。前述のように韓国は九州の中部にある 自宅からなら、思い立ったその日にまるで、広島に行くぐらいの気軽な気持ちで行ける(実は広島の方が旅費は高い。)のだが中国となるとそうはいかない。


そこで、私はとりあえずv「私自身は行きたい気持ちですが、家族に相談します。」と答えておいた。


実はチンタオとは電話でその位置を聞いたけどよく分からなかったし、どんな街かも知らなかった。ただ、「チンタオビール」の名は聞いたことがあった。


 



このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。


滄州へ行くまで | 17:34:32 | Trackback(0) | Comments(0)
チンタオってどこ?

チンタオってどこ?


20060706182857.gif


青島は南の島かと思っていた


 




 


 チンタオへ行かないかと電話がかかってきた。しかし、チンタオについてはほとんど知識がなかった。知っていたことはチンタオは青島と書くということと、青島ビールが有名だと言うことだ。そして、実は青島は南の方にある島のというイメージを持っていた。ところが前畑さんとの電話の中で、黄海や遼東半島、山東半島そして渤海湾などと話が出てくるものだからこれはちょっとちがうな、と思った。その後インターネットで調べたところ上の地図のところだった。そして、青島は一時ドイツの支配下にありヨーロッパ風の建物が並ぶ風光明媚な街だそうだ。さらに、中国で急激に発展している沿岸部の都市の一つで、日本企業も多数進出しているそうだ。青島ビールは中国ではもっとも有名なビールだが、実はドイツの統治時代から培われた技術で作っているのだそうだ。なるほど、と納得できた。


 更に驚いたことには福岡空港からほぼ毎日定期便が飛んでいると言うこと。福岡から毎日定期的に飛ぶ定期便がある町は北京、大連、上海ぐらいだろうと思う。九州からは手軽に行ける街なのだ。九州に住む私が、そんなに身近な街であることを知らなかったのを恥ずかしく思う。


ところで、友達何人かに青島のことを話したら、やっぱり、南の方にある島だろう、と言った。おそらく九州ではかなりの人がそう思っているのではないかと思う。というのは九州の南の方に青島(あおしま)というところがある。宮崎県の南国情緒あふれる観光地だ。また、中国の海岸線で、いちばん南にあたるところ、ベトナムに接するところに海南島という島があり、青島がどうもそこのイメージとダブるのだ。だから青島というとそちらを連想してしまう。全国の皆さんはどうなんだろう。


九州育ちの私はちょっと緯度が高いので、寒さがちょっと心配だが、魅力のある街だ。  


 



このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。


滄州へ行くまで | 12:47:50 | Trackback(0) | Comments(0)
チンタオに行くことにした

チンタオに行くことにした


前畑さんの話によると、中国で日本語教育をしているときに中国政府労働部の梁さんから電話があり、青島で日本語を教える人を紹介してほしいという。高校や大学を卒業した人に就職のための技術を教えるための学校なので、労働部管轄なのだ。そして、日本に帰る途中に北京に寄って会ってきたという。さらに高速道路で5~6時間かかる青島まで下見に連れて行ってもらったという。


青島は背後に緑溢れる岩山がそびえ、また、穏やかで澄んだ海に面していて街もとてもきれいな街だそうだ。特に北京オリンピックのヨット会場にもなり、今、整備の真っ最中で今後更にきれいになる。学校は海に面したところにあり、校内の食堂の二階の宿舎からは風光明媚な海と、反対側には市場が見える。


授業は午前中のみで、あとの時間は自由に使える。文法を教える中国人の先生が一人いて、日本人は主に会話の実習をする。期間は9月から1年間である。韓国に行くのも9月からのつもりだったのでちょうどよい。住居も日本人向けに改装するそうだ。


この内容で、私は大変気に不安も解消したので、早速家族に相談したらOKの返事が出た。どうせ、韓国に行こうとしていたのだし、福岡から毎日便があるのなら、と言うわけだ。


中国語は全然できなくてもいい、とはいうものの、やっぱり、不便だろうし、交流ができなければおもしろくないだろうということで、退職を迎える4月から中国語を勉強し始めることにした。


このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、ご希望の方は毎日チェックいてください。



滄州へ行くまで | 21:04:20 | Trackback(0) | Comments(0)
60歳から70歳までが本当の青春

60歳から70歳までが本当の青春


みんな青春おおむたグリー


15歳から150歳まで、みんな青春!!おおむたグリー




いよいよ定年退職の日を迎えた。三十数年の間、よくがんばってきたものだ。仕事は大好きだったし、自分に合っていた。ただ、いつも時間に追われていた


管理職になってからは、少しは時間に余裕ができて、私としてはいっぱい夢を実現させようとしたものの、窮屈な生き方を余儀なくされた。いろいろ頑張ったが、管理職になるまでが、90点だとすると管理職では80点と言うところか。ちょっと残念だけど可もなく不可もなく過ごしたというのが私の評価である。


そんな中で、ひとつだけ続けてきた趣味、男声合唱がある。創立以来18年間ではあるが、どんなに忙しくてもずっと練習に参加している。学生時代と同じ趣味をできることは幸せである。忙しい中でのほっとした時間をもてる。


この合唱団のキャッチフレーズは「15歳から150歳まで、みんな青春!!おおむたグリー」である。15歳とは声変わりをしたらすぐ、という意味で、150歳は死ぬまで、という意味だ。合唱をしていると長生きをしますよ、というメッセージも含まれる。


ところで、私は周りの人に「126歳まで生きます、」と言っている。理由はこうだ。


中学生のころ、理科の教科書の端っこに1986年にハレー彗星がにやってくると書いてあり、若干の説明があった。私はこの彗星を是非見たいと思っていた。そして、やって来る頃は自分はどんな姿で何をしているだろうかなどと、思いをはせながらずっと過ごしていた。そして40歳代半ばに、実際にハレー彗星を見ることができた。ところがそれは、なんとも貧弱なハレー彗星だった。望遠鏡でしか見ることができなかった。


そのころ、ある人から、90歳のおばあさんにハレー彗星を見せてやってくださいと頼まれた。それで、展望のよい山の上に望遠鏡を設置して見てもらった。望遠鏡を必死にのぞかれ、涙を流して喜ばれた。14歳の時に見たハレー彗星に再び会われたのだ。そして、その後まもなく亡くなられた。76年周期でやってくるハレー彗星を2回見る人は幸運な人だ。


私はあんなに貧弱なハレー彗星では物足りないので、今度来る年、126歳まで生きます、と言っている。ところが最近、ハレー彗星が来るのは私が119歳の時ということが分かった。でも、126歳は決めたことであり、訂正するつもりはない。自分自身が決めることなのだ。


ところで、その中でも私は60歳から70歳までが本当の青春だと思っている。きちんと仕事を終えて退職した人にとって、健康さえ気を付ければ、時間や仕事に縛られないで、何でもできる。こんなすばらしい時期は今まであっただろうか。誰にもなかったはずだ。そして、その後もないのだ。


私はこの時期にいろいろの体験をしたいと思っている。その手始めが、外国生活であり、今回はチンタオへ行くことを選んだ。 ということは今まで、続けてきた男声合唱も少なくとも9月から1年間はお預けになるということになる。団には大変迷惑をかけるが、私の主体的な生き方としての選択なのだ。 


このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、ご希望の方は毎日チェックいてください。



滄州へ行くまで | 19:36:06 | Trackback(0) | Comments(0)
韓国への修学旅行

韓国への修学旅行



海印寺と伽耶山


退職後外国で生活したいという私の第二の人生への準備の一つは韓国語を勉強することだった


私が韓国語を勉強し始めたのは7~8年前だった。いわゆる韓流プームが起こる前のことだ。私の街で在日コリアという団体主催で在日の人のためのハングル講座が開かれた。講師は韓国から派遣された韓国人で、1週間に1度講座があった。日本人も参加できるということだったので参加した。一時は受講者が70人ぐらいにふくれあがり、大変な活況だった。しかし、外国人がその国の言葉を教えるというのは難しいものだ。韓国人講師は一生懸命教えられたが、結局は受講者が続かなかった。在日の人はいなくなり、日本人ばかりが7名ほどになった。そのころ、サッカーワールドカップが開かれるために、講師の韓国人先生が試合会場の一つの大分に行かれることになり、その講座は終了した。


残った7人で、話し合い、自分たちで勉強会を続けることにした。講師はいないので、進行役は私がすることにした。メンバーの中には私よりずっと上手な人がいたけど、その人の力をうまく活用しながらとにかくNHKラジオテキストを教材にして、少しずつ勉強した。年配の人が多いので、遅々として進まなかった。私も予習をして臨むのではなくその場限りの勉強なので、要領が悪かった。勉強ばかりではなく、韓国の話題をいっぱい出して、みんなでおしゃべり会をした。それが楽しかった。私が、韓国へ行って、自分で「地球の歩き方」を参考にしてバスで河華島へ行った話などすると、自分で、韓国内を動けるようになるといいなあと、感嘆の声があがった。


 この勉強会を始めるに当たって決めていたことがある。それは今までの講座は一人あたり月に3000円ずつの受講料が要ったので、それをそのまま積み立てる形で集めて、お金が貯まったら韓国へ修学旅行に行こう、ということだ。お金は、どんどんたまった。ところが、全員揃って韓国へ行く日程が決まらなかった。原因はほとんど私にあった。まとまって休みを取れないのである。結局、お金を払い戻して、行ける人がグループで行くことにした。その後、私が参加しないグループの韓国旅行が次々に行われ、勉強会は、その体験談で、盛り上がった。


退職後初めて、私も参加することができた。いわゆる韓国への修学旅行が初めて実現できたのである。これまでに会員の皆さんはそれぞれに韓国内に友達ができていた。特に、釜山の国際市場は、軒並みに店の人と知り合いである。「またきたよー。」と声をかけて通られる。


目的地は海印寺(ヘインサ)だ。ここに収蔵されている8万部の教典が世界遺産である。伽耶山という山懐に抱かれた荘厳なお寺だ。私は家族で伽耶山に登ったことがあったので、ここは2度目だが、やはり今度は勉強会の人たちとの旅行であり、また、違う楽しさがあった。


この会は現在、「冬のソナタ」のDVDを韓国語シナリオと対比させながら見て楽しんでいる。こうやって原語で聴いて見ると文化の違いや習慣の違いを別の表現で置き換えるなど訳者の工夫がよく分かる。さらに日本語吹き替え声優の薄っぺらさもよく分かる。また、この会とも、1年間のお別れだ。 


結局は私の韓国語は直接的には役に立たないことになったが、その後中国へ行くときに間接的にはいろいろ役に立つことになった。


このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、ご希望の方は毎日チェックいてください。 



滄州へ行くまで | 10:28:04 | Trackback(0) | Comments(0)
地球上の半分の人と話せる?

地球上の半分の人と話せる?



ラジオ講座は手軽で安い




いよいよ退職してフリーになった。人が空いているとき、街に自由に行ける開放感は格別だ。また、雨の日の憂うつ感がなくなった。雨の日は家の中で仕事をすればいいのだ。


そんな開放感に浸りながら、実はやることはいっぱいあった。中国語を勉強することにしたのだ。「中国語はできなくてもいい」、という話だったが、せっかく行く以上、ある程度分かった方がおもしろいし、やりがいもある。それで、9月には少し話せる程度になろうと、目標を立てた。


朝、8時20分からのラジオ講座を聴いて、引き続き11時15分まで中国語の勉強をする。12時までにまでにテレビでニュースをチェックしながら食事を終える。昼間は一人なので、麺恋人(めんこいびと)の私のメニューは夏場は冷やしそうめん、冬場はうどんと決めている。午後は1時から3時までと3時から5時までの時間帯に分けて、中国語の勉強や他の用事を済ませる。これが昼間の日程である。午後は野暮用でつぶれることが多いので午前中に集中的に中国語の勉強をするようにしている


まさに60の手習いであるが、時間はたっぷりある(はずだった)。韓国語の独学の経験があるので、中国語も何とかなるだろうと、考えた。「思い立ったが吉日」だ。ところが、勉強が進むにつれて中国語は難しいことが分かってきた。


やっかいな問題がいっぱいなのだ。


ほとんどの人が英語を勉強してきたが、10年間勉強したらだいたい分かるし、だいたいしゃべれる。この程度を難易度10とすると、韓国語は難易度1だ。すなわち、きちんと勉強すれば1年でだいたいのことは分かるし、だいたいしゃべれる。中国語は漢字が共通だから難易度1か2かな、と思ってやり始めたら、意外と手強い。今では難易度5ぐらいではないかと思っている。もちろん欧米人とっては難易度10、あるいはそれ以上かもしれない。


ともかく、それを乗り越えて、しゃべれるようになりたい。世界には英語を話す人が17億人いるという。それに13億の中国語それに日本語と韓国語をあわせ全部で32億人。地球上の約半分の人とその人の母国語で話せるならば、すばらしいことではないか。  



このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。

  



滄州へ行くまで | 21:27:11 | Trackback(0) | Comments(0)
韓国語は日本語の強烈な方言である?

韓国語は日本語の強烈な方言である 



韓国の 町に溢れるハングル。実はこれはローマ字だ 




 過激なタイトルを掲げたが、逆もまた真で、「日本語は韓国語の強烈な方言」とも言える。


簡単に言うと単語は違うが文法はほとんど同じということである。たとえば、「私は今日友達と一緒に食事するつもりだ。何がいいかな。」という文を韓国語に直すには次のように一つずつ韓国語の単語に置き換えればいい。


「私()は(ヌン)今日(オヌル)友達(チング)と()一緒に(カッチ)食事(シクサ)する(ハル)つもりだ(コエヨ)。何(ムォ)が()いい(チョ)かな(ウルカヨ)。」


ヌン オヌル チングワカッチ シクサ ハルコエヨ。ムォガ チョウルカヨ。」という具合である。


何のストレスもない。単語さえ覚えれば、穴埋めゲームなのだ。


この中でシクは中国語からきた「食事」であり、日本語とよく似ている。一度漢字の読みを覚えれば堂は「シクタン」、件は「クォン」とイモヅル式に覚えられるのだ。高速道路は、「コーソクトーロ」であり、「ありがとう。カムサハムニダ」は「(カムサ)感謝(ハムニダ)します」なのだ。


韓国ドラマを見ていると、日本語と似たような言葉が時々聞こえるが、日本と同じように中国から渡ってきた言葉がたくさん使われているからだ。


沖縄で、レンタカーに乗り、地元民放の、沖縄弁の放送を聴いた。私は九州人なので比較的沖縄弁が分かる方だが、全く聞き取れない。少しかじっていた韓国語の方がむしろ分かるほどだ。そういう訳で私は韓国語は日本語の強烈な方言だと言っている。


さらに、あの難しそうに見えるハングル文字は実はローマ字だ。KとA を組み合わせて「カ」、SとUを組み合わせて「ス」とよむように子音と母音の組み合わせだ。一番難しそうに思えるハングル文字が実は一番易しい表音文字なのである。


ハングルは15世紀に哲学的思想と音韻学を取り入れて、国家的事業として人為的に作った文字であり、非常に合理的にできている。ハングルとは、(ハン、偉大な)、グル(言葉)という意味であり、韓国の人たちはこの文字に誇りを持っている。


ついでに言えば、韓国は偉大な国。正式な国名は大韓民国(テハンミングク)だから、更に偉大な国だ。韓流は「かんりゅう」と言う人もいるし「はんりゅう」と言う人もいてどちらが本当かなと迷っている人が多いと思うが、どちらでもいいわけだ。


韓国語が難易度1だということは、上記の2点だけ述べれば十分であろう。


韓国に行くと、看板にハングル文字が躍っている。大抵の店のガラス戸が閉まっているせいもあって、何の店だか、さっぱり分からない。ところが中国へ行けば看板文字は大抵漢字で書いてあり、たとえば電脳(実際は簡体字で書いてあるが)とあれば、コンピュータを扱っている店と、類推できる。だから、中国語は筆談ですれば意味が通じる、という人がいるが、実はそう簡単にはいかないのが実情である。


 



  このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。

 


 



滄州へ行くまで | 22:52:10 | Trackback(0) | Comments(0)
意外と手強い中国語

 意外と手強い中国語(1)



日本人 「わーっ、机が飛んでる。」   中国人 「僕には飛行機に見えるけどなあ。」


 




 


中国は漢字の国だから、筆談で通じますよ、と言う人がいるが、それは かなり難しい


単語レベルであっても実際に中国で使われている単語は日本で使われている単語とは意味も使われ方もかなり違うのだ。分かりやすい例を挙げると中国語で汽車は車のことだし、手紙はトイレットペーパー、飛机と書いて飛行機のこととなる。発音もかなり違う。むしろ中国語より韓国語の方が日本語の発音に近い。


理由はこうだ。昔、漢字や文化が日本に伝わってきた。その時同時に韓国にも伝わった。日本や韓国では外来語だから、そのまま温存された。一方、中国ではどんどん変化していった。言葉は生きているのだ。


したがって、日本と韓国の漢字語は非常に似ていて、中国の漢字は変わっているのだ。実際、高校で習う漢文は、中国人より日本人の方がかえって分かるという話を聞いたことがある。


筆談ができなければ、どうするか。実は電子辞書が威力を発揮する。中国語版を買えば中日、日中はもとより広辞苑も入っている。英語だって入っている。分からないことがあれば、日中辞書で、飛行機と入れれば即座に飛机と出てくる。それを相手に見せれば、即OKだ。特に日本語を教えようとするときには広辞苑が役に立つ。必須の道具だ。 




 


  このブログの中で、中国の日本語研修センターで中国人研修生に日本語を教えるボランティアを募集します。募集の要項等は順次公開していきますので、興味のある方は毎日チェックしておいてください。

 






滄州へ行くまで | 12:54:49 | Trackback(0) | Comments(0)
次のページ

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。